HF
- 記録初日
- 2009年08月01日
- 経過日数
- 929日
- 読んだ本
- 270冊(1日平均0.29冊)
- 読んだページ
- 91518ページ(1日平均98ページ)
- 感想/レビュー
- 260件(投稿率96.3%)
- 本棚
- 0棚
- 自己紹介
- 多読自慢や「本は沢山読むべき」という価値観が嫌いで、パチンコ中毒も活字中毒も変わらねえよ、という姿勢で本を読んでいます。読む時は読みすぎて馬鹿になるんじゃないかという勢いで読むけど、読まない時は年単位で殆ど読まない。そして読んでも何も覚えてません。
そんな覚えの悪い自分のためだけの記録なので、コメントは「レビュー」や「紹介」ではなく、まるっきり自分だけ解ればいいような内容です。でもしばしば自分でも解りません。
当初今ヨミと並行して使ってたけど途中からこっちに全面移行(向こうのコメントログや、登録以前の記録は移行しません)。
使い方の自分ルール。
*最初から最後まで読んだ本のみ登録。ちょっと思い出したところだけ読み返した短編集とかエッセイ集とかは入れない。
*漫画、雑誌、ムック、美術展図録、画集は入れない。ただし画集に関しては「読みもの」的な傾向が強いものは例外ありかもしれない。その辺は明確な基準なく気分で。あと絵本は登録する。
*人に紹介するレビューは書かない。自分が思い出すための感想を書く。
*SNSとして使わない。自分の記録としてだけ使う。
読み終わった本(270冊)
最近のコメント(260件)
![]() | ガラテイア2.2 作者と作中の「リチャード・パワーズ」の過去と作品の背景はどこまで同じでどこまでフィクションか、という枠虚実の中に、物語の中の「パワーズ」の体験の虚実が入れ子になっているようだ。AIの言葉はそれの「意識」なのか。そうではなくて人間が勝手に己の中の意味を投影しただけなのか。後者だとしたらまるで知らない相手を狂ったように恋する事とAIに意識を見いだす事は何が違うのか。ずっと一緒にいた人でさえも互いに不可知であるのなら。それ自体が「意識」を持つ事と、それに勝手に「意識」を見いだす事の何が違うのか。 02/12 |




















