御前田あなた
ラテンアメリカ文学でおそらくははじめて語りに錯綜する時間意識を取り込んだ傑作。生者と死者の脱境界的な混淆は、日常=非日常のマジックリアリズムの「ただしい」古典ともいうべき。「夜空に満ちあふれる星空をみてがっかりした。わたしは静かな空がみたかったのだから」

ペドロ・パラモ (岩波文庫)
ナイス! ★★★★★★★★★★★★★★★ -
コメント(0)
- 07/15
Tweet
share
ナイスした読書家さんと感想
どうしてこんなになってしまったのか、驚愕である。この小説の言葉は、私たちの世界の言葉とはあまりにもかけ離れていて、ここにあり得ないほど奇異で凄惨な世界が立ち上がっている。本書を語ろうとするとそういう言語コードの齟齬が生じて何も考えられない。断片を繋ぎ合せる極小の円環と小説全体を包む極大の円環が読者の遠近感を錯乱させ、妙に生き生きした、不毛の大地に支配された不思議な語り口が狂おしいほどの熱狂を一手に引き受けている。今はそれしかわからないが、この世界には全く理解の範疇を越えた自分の知らない場所がまだあるのだ。
「父さんが殺されたんだよ」「じゃ母さんを殺したのは誰?」。主人公が訪れた死者の町。徘徊する死者たち。濃密な死の雰囲気の中で短い断章が暴力を、美しい緑を、強欲な男を、町の死を力強く描いていく。一つの短篇集と一つの長編だけを残した作者の全てが凝縮している。「夜は罪でいっぱいなの、フスティナ?」「そうよ、スサナ」
「物語は、過去から未来に向けて、語り手を明らかにして語るもの」というルールを離れた奔放な語りと、ひとつの構造物のように緻密な物語構成を両立させた傑作。 構成の緻密さゆえ、次々に提示される話の断片を繋ぎあわせながら能動的に読むことで、物語の全体像を自ら構築していくことができる。これが滅法楽しい。一読後即座に読み返したのだが、二読目で初めて明確に見えたことも多く、読み返す価値の大きい一冊だと思う。まだわからないこともあるので、またいつか読み返すだろう。
正直、最初のうちは戸惑った。過去→現在→未来というシーケンスが完全に無視されているばかりか、生と死の境界すら定かではない。末期の人間の頭の中を覗いてみたら、案外こんなかもしれない。あまりに曖昧な世界。にもかかわらず、そこからは雨上がりの土の匂いが、砂の混じった風の感触が、そして窒息しそうなほど濃密な夜が、たしかに立ち上ってくる。これほど妖気に満ちた(?)傑作はそうそうないと思う。あんまり似てもいないのだが、エイモス・チュツオーラの『やし酒飲み』を思い出した。凄い。
顔も知らぬ父親ペドロ・パラモを探して死者の町コマラへやってきた「おれ」。死者や亡霊たちと関わり合っていくうちに、次第に語りの時空はねじれ始める。そしてあらわになるペドロ・パラモの生涯と「おれ」の正体。傑作。
コマラは死者のささめきに空気が満たされている街。同じく、この本のページの空白、行間、文字の形成する空間の中にもぎっしりささめきが詰まっている。
あまりの濃縮還元具合に酔った。三半規管がぶっ壊れるかと思った。ここでは過去も現在も未来も生も死も境界なく錯綜し、私たちはただただ世界に呑み込まれる。怒涛のように押し寄せる濃密な死の匂いに惑わされ円環する。すっかり迷子だ。本作が「百年の孤独」と並び称されるのも頷ける。やっぱり南米文学は恐ろしい。恐ろしくて素敵だ。きっとこれから何度でも読み返す。そしてその度に酔うだろう。言うまでもないが傑作だと思います。
短くて、超濃密なTheラテン文学。さっさと重版しろ畜生、こんなに再読したくなる本もそうない。買って手元に置いときたい。
















