夜と霧 新版
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夜と霧 新版の感想・レビュー(910)
精神科医が戦争中に強制収容所に送られ、過酷な労働、満足に与えられない食事で非衛生的な生活をおくる体験記。 劣悪な状況の中で、自分の生きる意味を考える。できるんだろうか。 精神科医である著者だから、収容所生活の中での心の持ち方を客観的に実験的に見つめられたからこその境地なのではないか。自分ではどうしようもない状況の中で、人間らしさを失わず生還した著者は賞賛に値するものの、意味を見つけられずに死んでいった多くの人たちも決して間違っていないはず。たぶん、私はガス室で祈ることなどできず泣き喚くんだろうなあ。
貴重な実体験と精神医学者だからこそ書くことができた名著。 「無期限の暫定的存在」収容所にて内面的勝利か堕落か、なぜ生きていられたのか?そして人間性をことごとく奪われなぜ生きているのか?苦痛の中でもユーモアを目的をそして死をもひっくるめて生きるということ。 うまく説明できないのでぜひ一読を。
静かで壮絶な体験記。戦時中のアウシュビッツや、その他のユダヤ人収容所での悲惨な体験記や映画は、いくつも目にしているけれど、これはまた違った観点からの、その体験。著者は精神分析学者であり、この過酷な、想像を絶する経験においても、人の心を冷静に見つめることを忘れない。
読むのが遅すぎた名著。主人公の妻がどうなったのかが気になるが、それは本編では明かされない。「訳者のことば」で明らかになる。去年訪れた2か所の旅先の宿の図書室のどちらにもこの本があったのは、「生きること」を考えさせてくれるからだろう。
書いてある内容の部分部分を見ると、よくある精神論のようにもとれる。でも、精神科医である著者が実際に体験し、分析し、記した内容だからこそ、他の本にはない説得力がある。 ”人間”というものに絶望もするし、一方で希望も持てる本。 何度か繰り返して読まなければ。
「ハイコンセプト」で引用されていて気になったため読んだ。アウシュビッツの悲劇の記録ではなく極限状態でどう生き抜いたかという人間の底力を伝える本。自分がなぜ存在するかを知っていればほとんどあらゆるどのようにも耐えられる。
名著。あちこちで引用を見聞きしていたため、初めて読む気がしなかった。そして読み終えて、今まで未読だったことを恥じた…。概要や名言を知っていても、その一冊を読むということとはほど遠いんだ、と改めて痛感。とりあえずこの本の感想は簡単には書けそうにない、が、1箇所だけ腑に落ちなかった点を備忘録として残そう。――「この世にはふたつの人間の種族がいる、まともな人間とまともではない人間だ」(145頁)この文言はどうだろう。人間は二元論なんかでくくれちゃうのか?それとも切実な条件化ではそうなのか。はてな。
名著。当時の人間の体験と、その体験や自身の研究から考察される心理に関する言説が実に興味深い。人間という存在、その奥深さについて改めて考えさせられる一冊となった。それに、生き方についてじっくりと見直すことを迫られた。豊かな語彙によって収容所での体験が語られる点も魅力的だ。
精神医学者が経験したナチ強制収容所の書。究極の生と死。沢山書がある中、精神医学者の立場から書かれた物は、珍しい。同じ事が、二度と起こらない事をただ祈るばかりだ。
後世に残したい名著。私達が経験し得なかった過去の体験記を残してくれる著者に感謝したい。この書を読むことによって、人間的に変化を遂げられるように思う。丸裸になった人間の内面。苦しむことは何かを成し遂げること、と述べられているが、自分の場合をに置き換えてみると、そのような時にそう思えるかどうか、群れの一匹になり下がってしまうとやはり思ってしまう。「何故生きるか」を問われ、私が今まで生きてきた中で一番説得性があった。
ドイツの強制収容所に収監された医師が綴る体験記。壮絶な経験をしながらも、最後まで人間らしさを失わず、生き抜いた姿に感動しました。もっと詳しく強制収容所について知りたいので他の本も読んでみようと思います。
こんな歳になってようやく読むなんて遅すぎたかもしれん。いろいろあるけど、あとがきの立場を異にするもの同士が許しあうというのがすごく重いと思う。
私自身、苦しみのために虚ろになった過去がある。もう転ばないように、力みすぎず生きていこう、それを掲げた今の生活は安穏で、過去を克服した結果だと思っていた。だが、この本を読んでそれは違うと思った。私は虚ろであることを克服したのではない。ただそれに慣れただけだった。そして思った。愛する人の悲しみを自分の悲しみとする権利が欲しい。その人が傷ついたとしたら、たとえわずかでも自分の責任だと思いたい。自分に、この人生に、あるはずの意味、それが欲しい、と。
語るべきことは多い。でも私が語るとすれば、アウシュビッツの管理者全てが残虐非道であったとすればそれは誰もが同じ立場、つまり誰かを苦しめる事で我が身を守れるのだったら、彼らと同じように子供を、女を、年寄りを苦しめ犯し殺戮すると言う事ではないか。チェルノブイリの今を容易に知りうるにも関わらず年末番組で「福島原発事故は今や安全」と強弁する学者や役人達の顔を見ながら改めてそう思う。
価値観、常識等そういったものを揺さぶり破壊するものが名著だとするなら、この本はまさしく名著でした。極限状態で人間が感じるもの。生きることだけを考え、生きることを最終目的にしなければ、たちまち死んでしまう。そんな地獄で獣にならず尊厳をもった人間として生きること。その苦悩と困難をひとつひとつの小さなエピソードにまざまざと見せ付けられ、人間という生き物に慄きました。そしてこれらが紛れもない事実であったことに私は苦悩せずにはいられません。丸裸にされた自分という生き物は果たして人間でいられるのか、と。
「ユーモアは勇気だ」とフランクルは言う。自分を客観的に眺めて、その悲惨さを笑い飛ばす。おかしいから笑うのではなく、苦しいから、耐えられないから、だから笑うのだという。満たされた生活をしていては、わからない境地だ。
苦と死を含んだ意味での「生きること」を考えさせられた。 自分の日常からは到底達することができないであろう。 真摯に受け止めたい。
この新版は1977年に出た改訂版で、日本語訳は2002年に出版。太陽が沈む様子に心奪われた被収容者達の様子を描いた文章と言葉「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」には涙が出そうになりました。ユーモアを持つこと、自然への畏怖の心、自分を見失わないこと、未来を信じる気持ち・・・これは強制収容所という極限の環境に置かれなくても大切なことだと思います。自分を見失わないための魂の武器、心に盾をいかにたくさん持つことができるか、それが生死の境目になるんですね。深く心に留めておきたいと思います。
言わずと知れた名著。著者の凄惨な体験が、心理学の観点を交えて淡々とした筆致で語られている。ほんの少しの違いで生死を分ける運命に翻弄された人は、その後何を信じられるのだろう。解放された後に著者を襲ったであろう絶望についても思う。内容は衝撃的だが、あまりに想像を絶する状況だからか、いまひとつ現実感が無かった。解説と資料付きの旧版も読んでみたい。
名著として長く読み継がれている『夜と霧』。強制収容所での体験を綴っていることは知っていたが、このような内容だとは思わず、驚かされた。収容所の過酷なエピソードを紹介しているのかと思いきや、心理学者である著者は、心理学の立場から、自らの収容所体験を解読しようと試みるのだ。どんな悪夢でさえ、収容所での現実には及ばないと記しながらも、燃えるような天空を映す水たまりを見て「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」と叫び、自分を見失わないためにユーモアを武器とし、絶望から負けないための方法を試行錯誤していく。(つづく)
アウシュビッツから幸運にも生きて帰った心理学者V.Eフランクル氏が、収容所において、人間であることのすべてをはぎ取られてもなお、人間として生きる意味を見いだしていく。その心の世界を書き上げた一書。 「絶望の淵に立ったとき、何のために生きるのかを見失わなかった人だけが、生き残る」 今、モノに溢れ、豊かな時代に生きる私も、この一点を見つめ、深めながら「この人に出会ってよかった」と思ってもらえる人間に成長したい。
著者は心理学者。強制収容所の一被収容者として、その経験や心の反応を綴る。「人間はなにごとにも慣れることができる、どこまででも可能だ」という言葉はあまりにも重い。
現代に生きている自分には、きっとこの先一生この本に書かれているような全てを奪われることはないと思う。まともな食事もとれず、ボロボロになっても働かされる、働けなくなったら「死」しかない…壮絶としか言いようがないこの出来事が事実なのが怖い。113Pにある、およそ生きることそのものに意味があるとすれば〜のくだりは本当に色々考えさせられた。
苦しみも悲しみも、他の誰かではなく自分が背負っていかなければならないということ。だから、自分は「人生に必要とされている」のだということ。そんなことは今まで考えもしなかったが、あれほどの環境のなかでこんなことを考え、希望を失わなかった著者は本当に強い人だと思う。重苦しい話題だが暗い気持ちにはならない、不思議な力を持った本だった。
ずっと読んでみたくて、やっと読めて、圧巻。恐らく文章からは想像できないくらい壮絶な光景、日常があったのだろう。強制収容所というアリエナイ極限状態での人間の心理が、我々の真の本性なのだろうか。
夜と霧 新版の
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