百鼠 (ちくま文庫)
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百鼠の感想・レビュー(107)
「一角獣」「百鼠」「到来」…この三つの短編、或は長編の、第一章のみを収めた「序奏集」。第二章以降が書かれる事はあるのか分からないけれど、個人的には「百鼠」を長編で読みたい。
雰囲気モノ。優しくふんわりした話の短篇集で、気を張らずに読めます。逆に起承転結や理論を求める人にはあまり向かないかもしれません。俺はこっち側なんですけどね。
どれも暖かな気持ちになる心地よさ。「百鼠」の設定には斬新なものを感じました。素人の私にも神の声ならぬ鼠の朗読が聞こえてくればいいのに。第2章集も出してほしいです。じわじわと来ますね。ほかの吉田作品も読みたくなりました。
この人の本を読み終わると、日常が少し美しく感じられてくる。今回もその心地よい感覚に浸れた。いつもながら独特の言葉の選び方がいい。あとがきで筆者も述べているが、この本におさめられている三つの作品は長編の第一章、始まりを集めたものである。この本自体が、作中に出てくる「終わりと始まりがいっぺんにくることがあるのか」という問いに対する、筆者の一つの答えなのかも。
吉田さん大好き。とてもいい。「一角獣」のモルト氏が6歳の時に自転車に対して臨む姿勢。「楽天的。無計画。神経質。根性無し」とは随分ひどく、めんどくさそうな42歳だけれど、その水面下の話はとても愛らしい。「百鼠」は続きがひどく気になる。三人称の世界。「到来」も好きだなぁ。風神雷神に会いに京都へ行きたいなぁ。
吉田さんの本は空気が澄んでいるような文章で、何かに焦っている時に読むと、癒して安心させてくれるような包容力がある。文章の色で言うとかなり文系寄りで、目に見えるものが無いと、もやもやするという人には向かないかもしれない。 また、Amazonのレビューで池澤夏樹ぽいという意見もあったが、確かにそれも分からないでもないけれど、吉田さんの話には吉田さんにしかない匂いや色があると思う。
三つのお話の中に、味のある会話が溢れている。「安上がりな至福だね」「安上がりなのが至福なの」(一角獣)、「今のところ、考えはそこまで」「その先があるわけ?」「運良く生きてればね。考えることに終わりはないはずだし、だから結論なんてものもどこにもない」(百鼠)、「若いうちにムズカシイ本をいっぱい読んでおいて、歳とったら楽しい本だけ読んで暮らしたいから」(到来)、など。この三番め、特にいいなぁ(笑)。
幻想的のような現実的なような不思議な作品。ふにゃふにゃしてます。でも、響く言葉があって、読みながら考えて、立ち止まって、再び読んで世界観にのまれてまた考えてしまう、その繰り返しでした。
「一角獣」モルト氏と彼女とモルト氏の妹と彼女の不肖の兄。「考えが足りないのよ」「考えすぎなのよ」・「百鼠」僕と風の兄貴と雷電の兄貴と売店の彼女と太鼓もちの彼女と人称をめぐるドラマ・「到来」作家の母と主人公とちょっぴりどじな彼氏と木馬とポニーと指輪と光差すほうへ
とても哲学的なのにファンタジック、日常的な淡泊さなのに非現実的な後味。吉田さんの話を読むといつも感じる“ふわふわした掴みきれない鋭さ”がたくさん詰まってます。純粋な一人称は存在せず誰しもが意図せずとも神の視点に立ってしまってる。だからこそ百鼠は危険を侵してまで一人称を求めるんじゃないのかなあと思いました。吉田さんはやっぱり言語学や精神分析をかじってるのかしら
読書メーターを始めて、どなたかの”読み終わった本”の中で、”百鼠”の文字と装丁に魅かれて読みました。不思議な3つのお話し、想像力を緩めると時々迷子になってしまいそうになりつつも、時々にゃっと笑いながら、不思議の中に隠れた”言葉”にはっとしつつ楽しく読みました。吉田篤弘さんの作品は初めてでしたが、もっと読んでみたくなりました。
短編集のような、長編の序章集。展開が気になってきたあたりで終わり、宙に浮いたようではあるが、これはこれでさらっとした一つの作品と思わせる。淡い夢の中で静かに流れていくような感覚はどことなく小川洋子っぽいと思った。 どの話も一人称と三人称、雷、といったテーマが共通で、最も続きが気になるのは表題作。いつか完結することがあったら読んでみたい。
鼠色の、やさしい風が吹くイメージ。基本的に人は「僕」「私」という一人称で生きていると思う。けれど、それぞれの「名前」は三人称であって、結局名前持つ僕達には三人称が常につきまとう。
『一角獣』の「街角の目」を見るモルト氏と「街角の目」から見たモルト氏。『百鼠』の天上=三人称と地上=一人称。『到来』の私と小説の中の「彼女」。どれも境界が曖昧だけど、その気になればすぐに切り換えられる立ち位置。中学生の頃の担任の先生に「自分のことを客観的に見すぎる」と言われたのを思い出しながら読んだ。もうちょい読みたいってとこで終わるのがイイ。『百鼠』はなんだか足穂みたいで、ムットーニの人形で見てみたい世界。
12水面そのものは 20安上がりなのが 29すべては 60僕はそれを 73大きなものは 84くしゃみで 91彼らの単純さは 97行ってらっしゃい 111そもそもこの世は 124欠落を だが、むしろ 158どこかしら 166若いうちに 177いや、つまり 188思いがけず
3つの短編小説と言ってよいようで、みな「第一章」ということはお試し版のような物なのだろうか?続きが気になる。ここで終わりにした方がよいのか?、続きがあった方がよいのか?も合わせて。
神の視点の三人称を語るのは一人称。黒でも白でも無く百を彩る鼠色。表題の百鼠も含め三編がともに第一章。続きが読みたくなる。まるでもう一口食べたいと思える極上の食事のような短編集ならぬ序章集。
読後感がなんとも不思議な短編集。
それぞれが長編の第一章だそうです。ふふ。
『終わりであって始まりでもあるような物語』かあ…読むのがもったいないような、なくないような。
箴言集。3作品すべて第一章のみを収録した本だとは、「あとがき」読むまでは思ってもみなかったし、言葉のリンクといい、「あとがき」読んだ後はむしろ、この「あとがき」含めた4編で一作品という色合いがむしろ強まったように感じた。
本日、読了。寝る前に布団の中で少しずつよむ。吉田篤弘さんの作品はこの読書スタイルが一番しっくりくる、気がする。さて、これは三作品の第一章が収録されたものであり、私のお気に入りは「百鼠」。このままでも完成型であるとは思うけれど叶うなら是非、長編で読んでみたいなぁ。
3つの長編小説(?)の第一章を集めた短編集。共通項は一人称と三人称。そして鼠色の雲と雷。それぞれ違った味わいだけど、どれも浮世離れした世界観。全部好き。百鼠はぜひ長編で読みたい。
『一角獣』『百鼠』『到来』の3つのお話。その中でも『百鼠』が凄く好きなお話でした。設定も、「バター、バター、ジャム、バター、バター、ジャム」も、主人公が「チョッキ」を着てるところも!(笑)朗読鼠っていいな。凄く面白い発想でした。
★★★☆☆(3つの短編(長編?)で結果的にすべて第一章のみという作品。それぞれに微妙な繋がり(キーワード)がある。雷、一人称と三人称、そして到来・・・「何かが終わるのと、何かが始まるのが同時に起こる」。。日常の中でなかなか気付かない小さな(大きな)自身の転機(変化の瞬間)を捉えた作品。。「一角獣」「百鼠」「到来」の3編、個人的にはすべて完結し、いい塩梅(匙加減)に仕上がっている(この物足りなさがいい)。「百鼠」のタイトルの由来は、四十八茶百鼠より引用。)
「詩的のことばの連なり」と「嫌みな単語の羅列」は紙一重だ。残念ながら、本作は後者の方か・・・。作者の主張が表に出すぎたせいで、文体とストーリーのバランスが崩れてしまったようだ。また吉田氏ならではの不思議な世界観に浸れるぞ♪と期待してページをめくったが(『つむじ風食堂の夜』『空ばかり見ていた』既読)、今回は期待はずれでした。
中途半端な話ばっかりだなぁと思っていたら、後書に「一章のみ」と。かなり損した気分になりました。やっぱり、きちんとまとまったものとして発行してもらいたいです。消化不良であまり面白味もナシ。
百鼠の
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感想・レビュー:47件














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