闇の奥 (光文社古典新訳文庫)
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闇の奥の感想・レビュー(175)
船乗りマーロウが象牙収集に取りつかれたクルツに会いに、コンゴ川奥地に苦難の旅をする。読んでるうちにクルツがベトナム戦争の映画の大佐に似ていると思ったら、やはり原作だった。”魔境は本人でも知らなかった心の中のこと、孤独に取り入られるまで考えてもみなかったことを、ささやき惑わす。”真空のような闇の中で絶対の孤独のうち人間の考えることは?
文明との隔絶があぶり出す、個としての自然現象=混乱を、旧訳より平易に生のまま提示しているように見える。
レポートを書くのに読んだ一冊。レオポルド2世が所有地としていたベルギーの植民地は、かつてマーロウが憧れを抱いた世界地図にあるアフリカの空白地帯ではなく、暗黒の闇に覆われた地獄であった。神のように崇められていたクルツ氏は「怖ろしい、怖ろしい!」と叫んで死んでいった。人間の欲望に溺れて死んでいったクルツを追っていると、人間ってここまで変わってしまうのかと恐怖を抱いてしまった。
mochi_fuwari
追記。この作品は電車の中でパラパラ読むのには適さないと思う。何度も挫折しかけた。言葉一つひとつの解釈を考えながら読むべき。でもはまるとすごく面白い。コンラッドはすごく計算して書いたのかなと思った。
ナイス!
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02/01 22:05
追記。この作品は電車の中でパラパラ読むのには適さないと思う。何度も挫折しかけた。言葉一つひとつの解釈を考えながら読むべき。でもはまるとすごく面白い。コンラッドはすごく計算して書いたのかなと思った。
ナイス!
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02/01 22:05
本書で言う「闇」とは、不気味な鳥獣や呪術が飛び交い、人喰いの蛮人が跳梁する(と西欧人の眼には映った)暗黒大陸の奥深き密林のことでもあるが、それ以上に、名状しがたいなにかを指しているように思われる。一人の人間が「彼方」を志向する時、彼が見るのは眼に見える暗黒だけではない。真の「闇」は別のところに潜んでいる。してみればこの小説は、自己の内面の「闇」を遂に見据えてしまった男と、そこから辛くも眼を逸らした男の物語として読める。マーロウの語りにどこか敗残者のイロニーがつきまとうのはそのためなのだろう。傑作。
まるで毒矢で射抜かれたような致命的かつ不吉な読後感です。新訳で読みやすいはずなのに、最初の数頁は読書に集中できませんでした。もしかしたら体が危険を察知して拒否反応を起こしていたのかも。マーロウの魔境体験は、読者自身の心の闇の奥に呼応します。健全な精神状態の時に読まないと物語の力に負けてしまいそうです。
『地獄の黙示録』のドキュメンタリー映画のタイトルもそういえばハート・オブ・ダークネスだったな、と今更ながらに思い出す訳ですが。なんというか、広大な空白地帯を進む旅の中で、描写が極めてミクロなので全体像がつかみづらいというか、その分だけ闇が深いと言えばそうなのか…僕の読書スキルではまだまだ一気には読めない感じ。
コンラッドの代表作。また実際に船乗りとしてアフリカ大陸に挑んだ彼の経験をもとにした作品。マーロウが回想しながら他の船乗りに語りかける。当時の人たちは凄いなぁと素直に関心してしまいます。地図にある空白を塗りつぶしたい一心で闇の奥(heart of darkness)に向かって突き進む・・・Heartは奥や中核という意味がありますが、西洋人の心の闇のようなものも意味しているそうです。キリスト教化という大義名分のもとウィルダネスをかき分けて行く。どこかうさんくさい当時の白人商人たちの姿をうまく描写してます。原文
あの有名な映画「地獄の黙示録」の原作とも言われている上に、題名が闇の奥などといういかにもな題名ですから、覚悟して読みました。が、しかし、闇に捕らわれて帰ってこられなくなりそうな程、凄い内容でした。コンゴという植民地への象牙収奪のための搾取と大虐殺が題材なのですが、遠い過去の遠い国の話とは言え、人間の怖さ、人間のもろさ、そして狂気・・・きゃ~っ、怖ろしい!怖ろしい!直接的に怖い表現ではないのに、あいまい故によりいっそう不安にさせられる凄い小説でした。恐れ入りました。
ナイス! ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ -
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- 10/01
辻原登の『闇の奥』の後に、黒原敏行の新訳で。未開の地での船長を申し出た若者マーロウに投げかけられた「君の身内に精神異常の人はいるかね」。偉大なる象牙の簒奪者を回収するために、熱帯コンゴの密林を遡る川の旅。発表当時の英国に苛烈な植民地支配への弾劾キャンペーンを引き起こした歴史は歴史として、個人としては、極限状況での人のあり方みたいなものを、ずっと考えていた。「しかし悪夢にせよ、自分で選ぶということには意味があるよ」。ポーランドから逃れてきた異邦人コンラッドは、「告発」のご褒美?である爵位を辞退している。
「地獄の黙示録」の原作ということで前々から気になっていたのだけど、あの映画を活字で読むのはちょっとうっとうしいななどと思って避けて来ました。あの人たちは映画以上に身勝手で残酷な人種だったんですね。そして現在も変わっていないようです。
ある偉人がいるらしい。その偉人は類い希な才能と思想、人格を兼ね備えた詩人である…。ところが実際にその偉人が読者の前にまじまじと姿を表し雄弁に物事を語り出すことは最後まで無く、彼の偉大さに直に触れることは出来ずに終わる。凡そ完全なるフィクションであればその小説の架登場人物は作者の創造物ゆえに作者の才能以上の才能は発揮できない。そういった現実の重力にまたこの小説でも直面してしまった。とうてい飛翔できない。
コンゴ河を上流に向かうにつれ、色濃くなっていく原初的な闇。本書では固有名詞がほとんど登場せず、それが悪夢的な不安感を読者に抱かせていく。
とくに前半~中盤の語りが心地よかった。『蝿の王』でもそうだったと思うけど、「闇」との具体的な対話は描かれないのだな。これは技術的な問題だろうか。
想像以上の傑作だった。文章に味があり、内容も現代に通じている。現代においても多くの場合一定であると想定されている「私」というものが、社会的文脈にいかに依存しているか、という話として読める。/「私は私である」という素朴な言明が、自明であると思えなくなったとき、すなわち、「私」が不変なものでなく、周囲の環境の変化によって「私」の予想を超えたレベルで揺らぎ得るものであると気づいてしまったときには、見慣れた街の景色が親密さを失い、うちに秘めていた異郷性を顕にしても、なんの不思議もないのである。
船の汽笛に気を失う程怯え、真鍮や針金といったガラクタをありがたがり、貴重な象牙と交換してしまう植民地の原住民達を無垢と呼ぶなら、人の欲望は無垢の中に幾らでも吸収され、故に欲望は更に肥大していく。幾らモラルの足枷をはめようとも、膨らみ続ける欲望は被支配者を抹殺するか、支配者がその中に呑み込まれてしまうかするまで、止む事が無い。
時代を斟酌して読む本。私達は当時のコンゴの状況を知っている。だから、描写も温いし奥まで踏み込んでないしって感じる。川を遡る描写が延々続き、ようやく着いたら物語終了。でも、この小説が書かれた当時の人々には、アフリカ=未開の地という以上の知識がなかった。何が起こっているは知らず、もたらされる象牙を愛でるだけ。そんな時代において、入り口だけにせよ、この小説が突きつけた物は衝撃だったに違いない。原題は「Heart Of Darkness」。後書きでも触れていたけど、「闇の奥」と邦題をつけた最初の訳者は素晴らしい。
言葉が難しいわけでもなく、理解しがたいことが起きているわけでもないのに、ふっと煙に巻かれたような、まさにジャングルに迷い込んだような気分になる。あとがきの充実している新訳シリーズ、なるほどと納得。
グダグダな船旅、クルツとの会話も短く、終わり方もフワッとしている。ルポとしても何だか中途半端で、自分が求めていたものはこんなんじゃなかった!と思ったが、まさにそれがマーロウの思いと重なっているのだと気付き、読者の(文明人の?)驕りみたいなものを痛罵された気分になった。クルツの設定は、なるほど他の作品のラスボス達とイメージが被って、その影響力を感じた。自分の感想を明確にしてくれたあとがきもとても良かった。
「誰にも束縛されずに歩いていく人間が、孤独をくぐり抜け、静寂を通り抜けて、原始の世界のどんな異様な場所へたどり着いてしまうことがあるか、君らにわかるはずがない」『私は闇の中に横たわって死を待っている』「人生に期待できるのは、せいぜい自分について何事かを悟れるということだけだが、そえは常に遅ればせな悟りであって、つまりは悔やみきれない後悔を得ることでしかない」「たぶん知恵のすべて、真実のすべて、誠実さのすべては、眼に見えない霊界への閾を超える時の、あの感知できるかできないかの瞬間の中に圧縮されるのだろう」
文章としてはすんなり読めるのだけれどイメージそのものへの理解…が一読ではできなかった気がします。ただただ不気味さが残りました。しかしその不気味さこそがクルツを飲み込んだ原始の魔境そのものなのかなとも思いました。
何が怖いってクルツさんの野望です。野望と名付けられたものはあるのにさっぱりその全体は見えないままそのものにとらわれた恐怖。あと、この本を読んで、ディズニーランドのジャングルクルーズしか浮かばなかった自分の想像力のなさにがっかりです。
アフリカの密林のミステリアスと、マーロウの読者をこれでもか、と揺さぶる口調がマッチしていて、楽しく読めました。密林とは生死のサイクルがとても早い場所。ある生命の死は別の生命が生きる糧となります。一方、文明社会では人の死というのは、哀しみや歎きを喚起し、生きる人々に何かを与えます。死は怖いものに違いはないけど、両者は大きく異なっているように思います。
ノルウェイの森で村上は、「僕の愛読書はずっとコンラッドの『ロード・ジム』だったが、グレート・ギャツビーを読んで以来この本がずっとその座をキープしている」と書いていた。受付で死へと誘う二人の黒服の女。戦時に開くヤヌスの門を連想した。地獄での人の精神の崩壊を知りたい、と話す精神科医。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の博士が思い浮かんだ。クルツのフィクサー性。ジョニー・ウォーカーやさきがけ教祖を連想した。
やっぱりクルツさんが忘れがたい強い印象を残す。船乗りマーロウがクルツという男を探してコンゴ川を遡上して行くよー。クルツさんと原住民の「王国」はDotwarのわらわら感を想起させる(http://dw.sipo.jp/)
翻訳のおかげもあってすんなり理解することができました。それが良いか悪いかは別として。というか、マーロウ語り過ぎ!あれはちょっと嘘くさいw
帝国主義とか西欧中心主義とか絡めた読み方にはピンとこない(原始=情欲の極みみたいなコンラッドの偏見はあると思うけど)。クルツはマーロウにとっても現地人にとっても共通のアブナイ奴だったはずで。いまスッとわかる事が、生まれ故郷の西欧では長らく論争の的だったって方が驚き。ん?訳と解説のおかげ?
中野訳はとにかく難解、ポストコロニアリズムに則った解釈の藤永訳はクルツの魔術的な声のおそろしさが印象的だったけれど、このクルツは言われてみればなんだか哀れっぽい。あとがきで伊藤計畫の『虐殺器官』まで言及されていて、さすがというかなんというか。何回読んでも新たな発見のある小説。
主役はマーロウでもコルツでもなくジャングルが作り上げる「闇」そのもの。時には自分の恐怖を映し出す鏡となり、あるときは深遠を覗き込む井戸と化す。自分の帝国から連れ去られると思ったコルツの最後の言葉が忘れられない。
昔観た『地獄の黙示録』のイメージがちらついて仕方なかったが、黒原訳のある種異様な読みやすさも手伝ってか、後半はこの作品独自のムードを楽しめた。舞台であるコンゴの密林をゆく河と語りの場であるテムズ河との視覚的な対比が良い後味を残してくれた。
『フィネガンズ・ウェイク』は柳瀬訳と宮田訳を読み比べることでその面白みが分かるように、この黒原訳と藤永訳を比べて読むことで、この小説の文学史的意味はよくわかるはず。エンタメとしては100年前のMaga連載だから、予備知識がないと「面白くない」のは当たり前。映画『ホテル・ルワンダ』を観るような人向けということで、とりあえずはいいと思う。
人間の深淵への恐怖、逸脱への恐怖が描かれた傑作。時代性というだけで済まされない現代社会に通じる普遍性があると思う。難解と言われるが読みやすい訳だと感じ、人生訓の部分なんかはスッと入ってきた。
闇の奥の
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