死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う
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死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思うの感想・レビュー(181)
同じところで涙腺を刺激される。どれだけ論理を積み重ねても最後は感情の問題。廃止も存置にも絶対はない。人が人を殺したことを理由に、人が人を殺す、この言葉には考えさせられる。
オウム真理教の取材から必然的に与えられたテーマ「死刑」を取材する森達也のルポルタージュ。森の著作を何冊か読んで、やっと「世の中には客観と言う視点はあり得ない、あるのは積み上げた主観だけだ」とでも言えるであろう、森の信念のようなものが理解できた。だから、「私が」見た、「私が」聞いた、「私が」思った、と徹底的に一人称で書いているのだろう。森のその姿勢は、人々が「常識」「社会の要請」「空気」として無人称で相互に束縛しあう社会の在り方を煌びやかに浮びあがらせる、一種の灯台のように感じる。
★★★★★/5 再読。森さんを尊敬出来るのは、社会の出来事に対して「私」という立脚点を持っていること。死刑は「私が」殺すこと。では、「私は」その犯人を殺したいのか?「私」という視点であらゆる物事を観た時の、揺らぎ、戸惑い、躊躇。それを包み隠さず書く姿勢が素晴らしいと思う。何でも言い切る、どこかの市長選の候補者とは真逆な態度。今日、京都で、話しを伺う。そのための予習。
死刑についてのルポというよりも、森さんの死刑制度にむかう姿勢を示した著書といえます。森さんがこの本の中でおっしゃっているように、死刑制度において最も欠けている点は、その開示性といえます。国民が死刑制度の実態を知らない限り、議論のスタートラインにさえ立てない。そのことをこの本は切実に教えてくれています。
この本を自分から手に取らなければ死刑を考えることはなかった。それほど、機会がまるでない。興味もほとんどなかった。19年も。 読了した今は、読んでよかったと思ってます。
社会構成員として、基本的人権の恩恵を受けて生きる者として、司法制度、そして死刑制度維持に関わる、被害者でも加害者でもない第三の当事者として、私は本書によって無関心を告発され、叱咤されたのだと思う。おぼろげながら、自分の信念も形作られてきた。それも、自ら考えよ、思考停止するなという筆者の声あればこそだった。筆者の考えと私の考えは微妙に違う。でも、ともにこの重苦しい旅を終えた連帯感はある。それが大変、意義深い。
被害者の応報感情に共振し、社会の中の厳罰化の風潮が進んでいく。しかしそこには明確な主語がない。「われわれは」「世間は」などの言葉を使うことで、その流れは暴走し、加速する。何が起こっているのか、まずは知ることからはじめ、「わたしは」どう考えるのか、そこから始めたいと思った。。
死刑について考える本。森達也が死刑存置派の人々、廃止派の人々と会い、どうしてか、なぜなのか、と話を進めていく。被害者の遺族が言う、「○○を返して下さい。それが贖罪だ。」この言葉の前に、僕は無力だ。遺族の憎しみは想像を超える。しかし刑を執行する人々が多大な負担を負っていることも事実。また死刑囚の生活が人としての生活ですらなく、精神を犯される人も少なくない。著者は一貫して廃止を貫いている。きれいごとが過ぎると感じるきらいもあるが、どこか共感するところがある。しかし被害者の感情と折り合いがつく場所はここにはない
当事者である被害者遺族、死刑確定囚。その周囲を囲む非当事者の僕、そして著者森達也、弁護人、検察官、刑務官。決定的な立場の違いを感じ、改めて死刑問題の難しさを痛感させられた。
『死刑制度を整合化する最大の要素は論理ではない。情緒なのだ。』 これがこの本の中盤で、森氏が辿り着いた視点である。 もう死刑存置・廃止、それぞれを願う人たちに、お互いを満たす確たる論理は出てくることはないんだろう、と感じた。 民意を反映して、これからも死刑制度が続くとしても、何も葛藤を感じない死刑制度というのもありえないし、あったらおかしいんだと思う。 色んな立場の人が語るので、混沌とした印象の本ではあったけど、それらの、どの立場の人が自分であってもおかしくない、という想像力はなくしたくないです。
残された気持ちっていうのは、当事者じゃないとわからないことだと思います。死んで償うということがありますが、本当にそれが正しいのか?読んだ後も何かスッキリしないところがあります。
死刑が確定する人、かつて死刑が確定していた人、弁護士、元検察官、政治家、元裁判官、刑務官、教戒師、廃止派・存置派の人、被害者の遺族に著者がインタビューを行い、その過程で著者自身が現行の死刑制度について考察する。世論調査では81%の国民が死刑制度存置を望んでいるが、その実態や死刑囚の拘置所内での活動制限など、全くと言ってよいほど無知である。国際的に死刑廃止の流れが強まっている昨今、死刑制度について考えるよい機会をこの本は与えてくれる。
重たい本、そんな一言では片づけられない。死刑について考えることなんて、今まで一度もなかった自分に気づく。不可視化され、テレビに踊らされていることに気づく。無知、無関心なことが怖くなった。死刑の制度や実情を知って、自分の頭で想像し、その上で死刑について考える。簡単にはいかない。でも、作者は戸惑い考えあぐね、苦しみながらも答えを出した。私も知らないふりはできない。読み終えたあと、この一文をながめながら、そう思った。「人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。」
就職試験の面接で聞かれて、うまく答えられなかったので読んでみた。死刑に関する議論は、論理を超えて情緒の領域にあることを認識しなければいけない、というのは重要な指摘だ。そしてそのうえで、森氏と共に死刑をめぐる情緒について考えさせられる良い本だった。
P272l16〜P273l6まで、まるっと同意&感染した。死刑にまつわるとりあえずの言説にいちいち疑問符を投げかけていく。著述に対しほとんど反発を覚えなかったが、情緒の部分は動かしがたいものだ。私は、更正してなお殺されることが、本来の死刑という罰であり、あがないきれない罪に対して、死刑という超自然的刑罰があって欲しいと思ってしまうから。絶対的に、許されないというラインがそれにより護られるのではという情緒。
森自身は死刑は廃止した方が良いと思っている。だが、死刑廃止論というほど確固たるものではなく、彼自身が死刑廃止派・存置派、死刑執行者、死刑囚、殺人被害者遺族…との取材を通じて逡巡していく過程をドキュメンタリーに仕立てたものである。他のレビュアーが書くほどに死刑廃止を主張してはいなく、そこが著者の誠実さである。読後感としては、迷っていいのだ、それは決して怠惰でも恥でもない。私たちは知らなければならない。
「論理」で結論でない。「情緒」でせめる。それにより導かれる著者の当座の結論。読後、すっきりさわやか〜、とはならず。犯罪被害者遺族のひとりの「(加害者と)同じ空気を吸いたくない」気持ちに、反論できるか?
「加害者の背景には必然があるが、被害者の背景には偶然しかない」ー。ならば第三者の背景には何があるか。メディアとそこから発信される情報を得ることしかできない私たちの足元は、こんなにも暗く見えないものなのかと痛感させられた。
死刑存置/廃止、どちらかに誘導させる本ではない。ただし、論理でも情緒でもなく、本能でどちらかの立場に立つべき、との結論づけ。この結論はひどく曖昧な気がする。本能的にいえば、悪い奴はやっつけたい、どんな人でも救いたい、両方が混在するものなんじゃないかなあ。そういう意味では「本能」に頼っては自分に結論がだせない気がする。
どこをきっても森印。逃げているのではないということわりだけが頭に残る。誘導すべき事柄がちゃんと頭にあるのだろう。誰しもが考えていないのではないと思いますよ。
死刑制度は存置すべきか廃止すべきか。森達也らしく(?)はっきり書いてほしかったけど、それが難しいくらい簡単には答えが出せない問題なのだと思った。
死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思うの
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感想・レビュー:57件














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