風の谷のナウシカ 5 (アニメージュコミックスワイド判)
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風の谷のナウシカ 5巻を追加
風の谷のナウシカ 5巻の感想・レビュー(527)
地上の傷を癒そうとする王蟲と、行動を共にするナウシカ。人間たちの身勝手さを恨むわけでもなくただ受け入れ、自分たちの出来ることをやるという王蟲の懐の深さに心が打たれます。クシャナは本当に強いひとだ。
一緒に森になろうと寄り添うナウシカを、飲み込んで守ろうとする王蟲の優しさに感動。蟲たちの自己犠牲の姿と人間の醜さが対照的でやりきれない。それにしてもこんな物語を描き出すことができるなんて、やっぱり宮崎駿はすごいなあ。
榊原良子が引退する前に、もう一度映画化すればいいのに駿(完全版ということで)。ヒドラの動いているところが見たい。ナムリスとクシャナのコントラストがすばらしいが、ナムリス、ムスカと、悪役が映(は)える作家だ
「欲望に翻弄されるのも憎悪にとらわれるのもたいしてかわりはない」「生者が死者をうらやむ時代がくることになりそうだな」とユパに言うクシャナはナウシカの『憎しみと恐怖をすてれば蟲は襲って来ない』を実行しナウシカの謎に一歩近づくが土鬼の皇兄・ナムリスの血まみれの花嫁に…。瘴気にまかれ粘菌に飲まれてもいいから故郷に帰りたいと僧官に訴える人々の虚無がはびこる苦しい現世を捨てようとする図に、「瘴気」が放射能に思えてならない。自らの命を再生のために捧げる王蟲を見て『人間の愚かしさはとめる術がない』と涙するナウシカに涙
これまでほのめかされているだけだった蟲達と人間との対比が全面に出ている巻である。クシャナの悟りと、その上でなお血塗られて道を進もうという決意は、やはりナウシカの移し鏡として捉えられる。クシャナの道を通っていたのは、あるいはナウシカかもしれないのだ。そして、神聖な色彩が強かったナウシカの心に、虚無が現れている。この部分は特に、人という存在について強く考えさせられる。「誰の心にも、虚無は存在する」。これは、思春期の頃の私にとって非常に衝撃をもって受け入れられ、しばらくはそのことしか考えられなかった。
王蟲を守りたいナウシカ、自己犠牲の精神で人間を恨むことなく大地を守ろうとする王蟲、なんかやりきれません。王蟲と共に森になる覚悟を決めたナウシカはどうなるんだろうか。
ケチャ・アスベルとクシャナ、加害者と被害者が語り合う場面の多い中で、王蟲だけが憎しみを持たず変異体を受け入れる。ナウシカと虚無の対話もその答えに至る過程として描かれている。ナウシカは王蟲が身を捧げる理由を知りそのまま腐海に溶けこんでいく。 クシャナも王蟲の(ような)心境にいたる。怒りを持ちつつ、失われていく部下の命に悲しむ。しかし本人はその心境を「二度と真似たくない」と言い張り、ナムリスとの対峙でまた修羅へと振れていく。
腐海を武器とした土鬼族、巨人兵さえも。そして、人だけでなく、色々な生命に守られているナウシカの本当の力とは、どんなだろう。泣いているときじゃない、考えなくてはとのナウシカの言葉が胸をうつ。チククかわいいです。なんか活躍しそう。
クシャナ様とユパ様の勇姿も良いけれど、やはりオームの自己犠牲的な苗床に胸が痛いです。自然の驚異の中でも人間同士の争いが止められない人間の性、何もかもが人間の所為なのに、虫達がその尻ぬぐいをしているなんて、それが習性だったのだとしても、悲しいですね。人間からすれば恐ろしいばかりのムシが地上の浄化作用を担っているというのは、何とも皮肉です。
クシャナの決断は潔いとまで思える。それぞれの思惑や願いや希望が交差する中で物語は進んでいた。ただ、複雑になっていて相関図やらなんやらをメモらなきゃこんがらがってきた。
悪いもの、とされていたものが実は世界を救う為に摂理として働いていた、という話。視点の高さ視野の広さは、どれだけ高く広く取ったつもりでも及ばない。普遍的な話だなと感じますね。
粘菌の集合、ヒドラの登場。登場人物の動向や関係を整理しながら読み進めないと、すぐに混乱する。そのうえ、ナウシカの行動が、ときどき凡夫の自分の理解を超える。
風の谷のナウシカ 5巻の
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