快楽主義の哲学 (文春文庫)
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快楽主義の哲学の感想・レビュー(327)
仕事と遊びを二極化する現代。その結果としてのレジャーへの渇望。さらには消費社会への無意識の介入。このことについては鷲田清一の著『だれのための労働-労働vs余暇を超えて-』をあわせて読みたいもの。 さて、そのようなこともさることながら著者の博学多才には驚かされる。 またその時には淡々と、しかしながらそこから導く自答には力強く、そして適度にいい加減に。 以上がこの文章を苦なく浮遊させてくれる根源だろいう。
1965年刊行。「国民所得倍増計画」にもとづいて経済成長まっしぐらの日本。物質的豊かさを求めたが、はたしてそれは「満ち足りた生活」を実現させたのか。著者は、幸福とは主観的なもの、快楽とは客観的「感覚に根ざしたものであって、万人に共通のもの」としている。個人的幸福主義を論じているようで、社会的幸福主義を追求しているようにも思える。宗教ではない、新しい「魂の科学」の発見を緊要な課題としている。「疎外」とアノミー化がすすむ現代にも通じる示唆を、この著書は与えてくれる。
まる? 「幸福や道徳なんていうあやふや主観的で味気無いものなんて取っ払って、自由に自分自身の激しい快楽を追求しようぜ!」ざっくばらんな口調で著者の思う快楽主義をおしゃべり。ソクラテスがくそみそにけなされているのは印象的。 1965年出版で"不道徳教育講座"でおなじみの三島由紀夫が序文を書いてる。「流行を追わず、世間の誤解や一匹狼も辞さず孤高の異端たれ」って煽ってるから、中学生とかに読ませたら鵜呑みしちゃって、立派な厨二病生徒になるかも。第五章と、最後の解説(出版から30年後に書かれた)も読むべき。
息抜きについ読んでしまった。古い本だけあって笑い飛ばしたくなる箇所も多少あったが、ありもしない幸福のために生活を棒にふるなんて愚かだという筆者の明快な主張は心地よかった。今まさに生きている、というその一瞬の今を燃え上がるような快楽によってまっとうする。わたしもそんなふうに生きたい。内容は前後することもあってちょっと読みづらくもあったけれども、裏表紙の要約が一番わかりやすいしかっこいい。
自分はどうせ生きるのなら幸せに生きたいなぁと思っていて、自分にとっての幸せを感じて生きている。著者はそういう人それぞれの幸福の概念を否定し、快楽に生きよと言う。それは自分の考えとは反対のように思えたけど、どうも著者の言う快楽主義者と自分が被るところもあって面白いと思った。ストア派とエピクロス派の共通している部分に沿ってたぶん自分も生きようとしているんだろうと思う。
私はある思想、主義に触れて、それらを自分の頭でろ過したり、他の思想と比較したりせずにその場で盲目的に受け入れる人を軽蔑しているが、澁澤龍彦の快楽主義はどう考えても私の行動哲学と一致してしまう。私は快楽主義者なのか?軽蔑していたはずのあの類いの人間と同じなのか?でも、もうそんなことはどうでもよろしい。恥も外聞もかなぐり捨てて、この夏、私もあなたも、快楽にチャレンジだ。
格好いいなぁ澁澤龍彦。いわゆる「性の解放」的な部分はやはり男性主観であるので、凡庸な自分にとってはどうしても受け入れ難いところがありますが。「流行を追わず、一匹狼も辞さず、世間の誤解も恐れず、精神の貴族たれ。人並みの凡庸ではなく孤高の異端たれ。」あぁ、そんなふうに生きていきたい。
西洋的快楽主義とは、物質主義的で文明主義的で反自然主義的で、西洋は自然をコントロールし支配しようとする文明を築こうとした。 東洋的快楽主義とは、精神主義的で反文明主義的で自然主義的で、東洋の人々は自然と調和し自然を受け入れて生きようとした。 これらはどちらに優劣があるとかではなくて、それぞれが価値中立的にあるべきものだ。 ただ、私は東洋的快楽主義に生きたいと思う。
自身の哲学をそのまま文字に起こされた感覚。本文にもあるが、危険なのは快楽を勘違いし善悪を判別できなくなることだと思う。変化を拒む単にしょうもない奴もだが、過剰なエゴイストも疎まれるのだろう。
澁澤街道まっしぐら(笑)現代人が「下ネタ」とか「卑猥」という言葉で軽く片付けてしまう部分にエクスタシーを感じる著者の名著。今、時代を席巻している快楽は肉感的なものでなくバーチャルなものだと思う。物質主義後の社会を標榜し、二次元や想像の産物に欲を駆り立て浮足立って現実を生きる我々の姿を見て何を思うのだろうか。これは「男にとっての快楽主義」だということを付け加えておきたい。学校で優秀な成績を取ってきたボンクラにぜひ読ませたい一冊。☆☆☆☆
動物化した現代の若者を澁澤龍彦が見ていたらどう言っていたであろうか。
何の気無しに本屋で手に取ったんですが、そのように知ってよかった作品でした。哲学、確かに哲学ですが堅苦しいそれでは無く(快楽主義の本なのだから当たり前と言えば当たり前か。)名のある哲学者の言葉も分かり易く説明してくれている。もちろんその言葉を鵜呑みにするようでは本を何一つ理解出来てない事になるのだけれど。今の世の中では批判されそうなトピックスが盛り沢山。逸脱する事を恐れるな。
初澁澤作品。前評判に期待しすぎてしまったやも。男性向けに書かれてるんだろうから目をつぶるべきとも思ったんだけど、女性の快楽はどこだ。中性を自認しつつ、身体の構造は女なので嫌悪してしまう。凌辱されるなどごめんですよ。
快楽主義が当たり前の時代になってきたって解説で書いてあるけど、いまはまた凄い反快楽主義的な世の中になってると思う。参考にはなる。
「人間が労働の鉄鎖を引きちぎって子どもや動物とおなじようにいつでも遊んでいるような存在にならなければ、真の意味で社会や文明が進歩したことにはならない」この一文を読めただけで買った価値があった。爽快な一冊
前書きだけ読むと50年近く前の本とは思えない。ここでも「ピラミッドの壁画にも『今時の若者は』という批判が描かれていた」のテーゼが/澁澤の本領発揮は快楽主義の偉人を紹介する第5章で、ここだけ抜群に面白い。20世紀以前の海外文学ってどう読めばいいのかわかんなかったけど、かなり指針ができたように思う/そしてやっすい新書のような最終章はなんなのw。解説の浅羽通明によると当時も批判されてたようね。そりゃそうだわ。
今ひとつ。何だろう、「これはこうです!」っていう言い切り型の主張が短絡的なように思えてあまり面白くなかった。編集者が手を加えたとか、そんな裏事情のせいか。冒頭の三島の澁澤紹介文と、第五章は好き。
凄く読みやすくて面白い。岡本太郎の「今日の芸術」と口調が似ていると思ったら同じ編集者が口述でかなりまとめたということ。素晴らしい努力で、読みやすく、ピンと来る文章になっている。カッパブックスに感謝。明快で非常にわかりやすい。まさにエピュキリアンのための本です。
古き良き時代が浮き彫りになるようなところもあるが、現代人のテーマに通じる部分が細部に宿っているような。好きだった箇所・エロスを限局せず・死を恐れない・快楽主義と隠遁系
人々を煙に巻くような文章にアハアハ笑った。60年代というのは奇妙な時代だ。何なのだろう、この微熱を帯びた空気は。戦後、この時代だけに鬱屈ながら熱を感じる。60年代の文章に触れるたび、不思議に思うと同時に、この青さがほんの少し羨ましくもなる。
当時はもっとインパクトあったんだろうなあと思う。だけど、今だって根本的には昔と変わってないっぽい。快楽主義を前にして、自分のけちくささを前にして、いろいろと思うところはある。面白かった。
○ざっくばらんな文章が面白く、読んでいて楽しかった。ただ変態な偉人たちの話はあまり必要なかった。僕は快楽主義が変態な思想だと思っていたが、かなりおもりろい観点を持っていた。既存の概念を壊すことや、自分の偏見をなくすことが、新しい視点を得られる、というのはビジネス書のようだった。哲学としてはかなり簡易な文章だった。『「偏見をなくせ」ということは、「道徳をなくせ」ということと、ほとんど同じです。道徳教育とは、偏見教育のことです。』
快楽主義の哲学の
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感想・レビュー:69件














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