翻訳夜話 (文春新書)
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翻訳夜話の感想・レビュー(318)
柴田元幸と村上春樹が翻訳フォーラムで語ったことをベースにしている。村上春樹については彼のエッセイで読んだ内容が多かった。柴田元幸の考え方は目新しいけど、村上春樹部分より少なかった気がする。カーヴァーとオースターの二人の翻訳を読むと考え方の違いが表れていて面白い。一人称に「僕」or「私」を選ぶかで雰囲気だけではなく文体まで変化するのは興味深い。続編も読んでみよう。
カーヴァーとオースターの競訳が載っていて、読み比べると面白い。村上は水色、柴田は紺色っぽい。村上はカタカナ語が多いが、読み比べないと気付かない自然さがある。柴田訳の方が日本語の決まり文句にはまっていてかっこいい。村上訳でよく分からなかった部分が柴田訳で分かったり、柴田訳でしっくり来なかった部分が村上訳ではまったり。この競訳を読むだけでも、訳者によってこんなに変わるのかということや、文章の生理のようなものに気付かされるので、一読の価値があると思う。
ここ最近ちょっと悩んでいた「自分は翻訳版を読んでいるが、それで作品の良さはどれぐらい分かっているのか」に対してのヒントになったのがありがたかった。
評価=4:「田中小実昌さんが訳しているチャンドラーなんかは、今読んでも古さを感じない」と言う村上春樹のコメントに全く同感です。
すっごく面白かった!期待以上です。二人の競訳でカーヴァーとオースターが読めるなんてうはうは過ぎる。しかも探さなくても原作付。これは私も訳してみるしかない!と思わせますね。仕事とか生活とか抜きにして、もっと深い部分で翻訳に対して欲求を感じるようなお二人に僭越ながら、これだよこれ!と思ってしまいました。もっと理解したくて、理解して欲しくて、伝えたくて、もどかしくて、もがくような思いでいま英語と向き合っています。はい。
柴田元幸訳カーヴァーと村上春樹訳オースターが読めるだけでも価値のある一冊。この競作企画は面白い。それぞれを比較することで、翻訳の面白さや奥深さを実感できる。この出発となったのは、三回に渡る濃密なフォーラム。そのなかで村上氏の、翻訳をすることは何かを真剣に学びとろうという作業だという姿勢に唸らされた。彼の大事にしている文章の「リズム」「ビート」もまたそこから生まれてくる(更新される)のだろう。お二人の翻訳に対する愛、というか翻訳好きなんだなあということがひしひしと伝わってくる好著。
2人とも翻訳のスタイルみたいなのは違うんだけど、どちらも翻訳する小説と翻訳という行為自体に対して深い愛情を持っているって点で凄く似ている。だけどやっぱり村上さんのカーヴァーと、柴田さんのオースターの方がしっくりくるのは面白い。
面白かった。そしてお得な本だと思う。村上、柴田両氏のカーヴァーとオースターそれぞれの翻訳作品やその原文が載っているし、それらを彼らが比べたり、他の翻訳者たち等からの質問に答える中で2人の翻訳観が透けて見えてくる。読んでよかったと思える本だった。『オーギー・レンのクリスマスストーリー』が気に入ったので、他のオースター作品も読んでみたい。
翻訳に限らず、創作についてもたくさん語っている。別々の作業であるけれど、その根底には共通するものがある。そういう感じを受けた。だから翻訳に携わっていなくても、語られる中に色々と学べることがあるのだと思う。翻訳者の方向性の違いが訳から浮かび上がってくるのがわかったりして面白い。楽しんでいるのが伝わってくるのが、なによりも良かった。あと、カキフライ理論。
「僕も最初の小説を書いたとき、とりあえず英語で書いて、それを全部日本語に訳し直して日本語にしたんです。」村上氏の処女作「風の歌を聴け」は英語で書いた。とりあえず、英語で書いた。すごいねぇー!
おもしろく読めた。2人で同じ作品を翻訳する試みも、違いを見つけながら読める楽しみに。春樹の雨の日の露天風呂システム、かっこよすぎる。私にとってはなんだろう。
翻訳者がどんな事を考えながら、注意しながら翻訳しているかがわかる本。といってももちろんここに描かれている事が普遍的なわけではないからあくまでお二人のプロの翻訳者の心構えと捉えるべきだとは思いますが。とても面白かったです。そして翻訳された本はあくまで翻訳された本であり、オリジナルとの間にかならず距離が生じてしまうのだと改めて認識させられました。あと二人の翻訳者の訳の差異が見れたのも面白かったです。
「動作の向こうに感情が見える場合には、動作そのものより感情を伝える」ほうがむしろ訳としては適切なのだ、という指摘が特に参考になった。それから村上・柴田両氏の翻訳を交互に読んでいて、同じ小説でも受ける印象が微妙に違ってくるところが面白いと感じた。特に登場人物たちの語りに、顕著に差が出ているような気がする。村上さんの訳す「語り」には、村上さんが書く文章のリズムが色濃く表れていて、やはり実作者としてのペルソナがそうさせるのかな、とも思った。
翻訳家になることを少しでも考えたことのある方は読んだほうがいいのではないだろうか。それこそ言語化できない感覚を春樹さんが巧みな比喩を駆使しておっしゃっている。英語を好きになりたい私には大変勉強になった。ビートとうねりという項目の結局反復練習が大事というところはもう一度英文解釈の基礎からやり直すきっかけをいただいた気がしました。
少しばかり出版翻訳を勉強した今読むからこそ、なるほどなるほどと思う部分が満載でした!普段は春樹さんの本はほとんど読まないのですが、この本をきっかけにマイケル・ギルモアの『心臓を貫かれて』を手にとってみた。
村上春樹・柴田元幸、翻訳に対する姿勢は違うけど、二人とも翻訳するのが本当に好きで楽しそう。村上春樹の「文章はビートとうねりがないとだめ」いう言葉に納得。最後のカーヴァーとオースターの競訳は、やぱっり村上カーヴァー、柴田オースターの訳がすんなり入ってきます。翻訳って奥深い。
英語原文と村上・柴田訳の競作が載っていて3つを読み比べると翻訳によって雰囲気は変わるものだなと実感できた.面白い.翻訳者の色が出るのはよろしくないと本書で村上春樹は言っているが,彼の翻訳こそ紛う事なき村上文体じゃないか,と思った.しかし考えてみると順序が逆で,英文のリズムを村上春樹が取り入れているからそうなるのだなぁと今は勝手に納得している.
★★★★/翻訳のおもしろさは素晴らしい作品に自分が参加する喜び。ビートとグルーヴ(うねり)のこと。自分の文体を作るにはがむしゃらにいい文章を読みまくり訳しまくりなさい。翻訳は黒子であり、自分の色は絶対に出さないと決めるぐらいでちょうどいい。自分も素晴らしいテキストにいつか出会えるだろうか。
思ってもみない形で初めてカーヴァーとオースターを読む。二人の翻訳に対する姿勢を聞くだけで終わるのでなく、それを踏まえてじゃあ二人の訳の違いを読み比べてみましょう、しかも原文付きで、という趣向がこの本の最大のポイントだと思う。これが有ると無いでは満足度が全然違ったはず。こんな本読んどいてなんだけど、一番印象に残ったのは翻訳についてではなくて、人称に関しての流れで出た『ねじまき鳥クロニクル』の時に「失業者がスパゲッティを作っちゃいけない」と批判された話。失業者というイメージを損ねるらしい。まるでピンとこない。
序盤の方は割と無神経な質問が飛びかったりで、ぎこちない感じ、煙に巻く感じ、むっとする感じ、多少なりと出ていて興味深い。村上春樹の翻訳観は、ちょいとスピリッツな感じ、わたしとはちがう自我の物語を受け入れる、という見方はいつもながら変わらない。『読む』から『訳す』は、当たり前だけど、そのテキストとの距離を恐ろしく縮めるなぁとおもうとちょいと恐ろしい。だから『訳す』ということは、ちょっと喩が悪いけど、そのテキストと『寝る』ということなんだな、とおもう。
小説家であり翻訳家の村上、プロフェッショナルの柴田、両氏の翻訳に対する姿勢は、一つの点で根本的に異なる。前者は翻訳から何かを学びたいという気持ちが強く(小説家たるゆえんか)、どのように美しい文章が書かれるのかということを解明したいという気持ちを主な動力としている。一方、後者にそのような動機はほとんどない。というのも翻訳をサービス業と考え、主に自分の訳したものが読者に読まれることに喜びを感じるようであるからだ。 本書は、実際的で技術的な翻訳技術というよりも、翻訳本を読む際の指南書でもあると感じた。
村上春樹の独特の文体がどこから来ているのかというルーツを探る大きなヒント。彼は翻訳を独学でやったと言っているが、なんだかこの本を読んでいたら英語会話も翻訳作業をしているときに副次的に身につけたんじゃあないかと思ってしまう(そんなことはあるまいが)。英語に対する入れ込み方がふつうじゃないのはよーくわかったよ。
大好きな「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」を両氏がそれぞれ訳してるだけで感動。『スモーク』をまた観ねば。二人とも仕事に本当に真摯。
低いレベルでだけど、翻訳することの面白さを実感してたから読んでみた。
うんうんそうそう!って言える部分と、あぁなるほどなるほどって言う部分が混在してた。興味の幅を広げてくれた間違いない良本だ。
「朗読会というのは、あれはひとつの余興だから、そんなに意味ないですよね。ま、うまい人はいるけどね。だから、登場人物の科白なんかは口に出してしゃべっちゃうと、何かすごく変に響くときがありますね。目で見ると普通なんだけど。で、僕は自分の小説が映画になるのが好きじゃなくてだいたい全部断ってるんですが、それは自分の書いた科白がそのまま音声になるのが耐えられないからです。」
同じテキストでも、自分の思い入れのある=愛情のある作家の翻訳文には入ってる感が文章から伝わってきた。収集は村上春樹さん解釈に同感。人だけじゃなく絨毯もマットレスもみな収集する対象。クリスマスストーリーは柴田元幸さん訳が素直に入ってきた。ただ原文よんでやはり、いいことをしたと訳した春樹さん解釈はいいなと思うから、翻訳本は複数訳読んだらいいと実感したかなぁ。
翻訳に正解はないと言うけれど、村上春樹と東大の柴田教授の訳が同じ小説でも全然違っていてなんか納得できた。個人的には村上春樹の訳の方がすっと入ってきた。小説を翻訳するのに、小説が好きっていうのと英語が好きっていう2つの動機があって、アプローチの仕方が全然違うっていうのがおもしろかった。
村上:柴田で7:3ぐらいしか発言量ないんじゃない?これ? 村上さん、翻訳に対する思い入れだの事後弁明だの、多すぎ(笑)。 まあムラカミハルキっていうだけで売れ方1桁2桁違うらしいし出版業界のオトナの事情...http://bit.ly/hvnDvl
・・・ほんまに面白かった! 翻訳することを仕事としない人が読んでもたくさん得るものがある本だと思う。考えられるだけ考えて作りだした物語、しかも、「自分」という個性を捨てて翻訳した物語なのに、一読者が読んだときに「その人らしさ」が出てしまっているのが、人間って感じがしていいな、と思う。ふたりの翻訳者がそれぞれの得意とする分野(外国作家)で訳し合いをする、というのも面白かったです。
2人の翻訳家の対談。言葉と思考という点に興味がある人は読んで損ないです。
勉強になること多い。やっぱり、村上春樹は翻訳の時にも作家としての構えが感じられる。柴田元幸は、自分で言ってるけど召使というカンジ。ネガティブな意味じゃなくね。
2人が同じ短編を翻訳して比べてあるのは面白かった。対談で言ってたことが、この翻訳比べでなんとなくわかる。
発見の多い本だった。海彦山彦、「ページの明度」で読みやすさが明らかに違った。単純な文字量だけでない――漢字は面積が多い。ビートとうねり。村上にとって翻訳は捕食(書き写すよりも深い理解)。文章家ではないが、読み終えれば何かを書きたくなってくる。いい本だった
翻訳夜話の
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感想・レビュー:82件














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