走ることについて語るときに僕の語ること
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走ることについて語るときに僕の語ることの感想・レビュー(656)
ジョギングを習慣付けたい自分を奮い立たせるために、勧められたこの本を読んでみた。村上春樹さんがこんなにもジョガーだったとは。そして作家になる瞬間をこんなにも鮮明に記憶されているとは。ただただ驚いた。なるべくして作家になった人なんだなぁ。そして私はまだ走り始めていない。。
走らない私にとって、彼は自律の人の思える。フルマラソン、100キロマラソン、トライアスロン。日々のラン。小説を書こうと思い立った日時のこと(1978年4月1日午後1時半前後、神宮球場外野席)…これが小説の神様が降りてきた瞬間というやつ? 走ることを通して、彼の小説を書くことへの姿勢が垣間見える。「そのとき空から何かが静かに舞い降りてきて、僕はそれをたしかに受け取ったのだ。」
自分が持つ限られたエネルギーをどのように振り分けて生きていくのかを考えさせられる本だと思います。「僕が僕であって、誰か別の人間でないことは、僕にとってひとつの重要な資産なのだ。心の受ける生傷は、そのような人間の自立性が世界に向かって支払わなくてはならない当然の代価である。」自分を理解してくれる人は少ないし、そんなときに心が傷む。でもそれは僕が僕であるからであって仕方のないことなんだと思いました(^^)なにやってんだ俺はw勉強します(^^)v
タイトルから「ランニング」について特化した本のイメージがあるかもしれないけれど、本人が最初に明確に述べているようにこれは「走ることを通して語る村上春樹の人生観」だと思う。だから「走らない」私でも共感できる部分は相当多くあったし、実際(他の彼の本同様)何度も読んでみたくなる作品だった。そしてなんとなく走りたくなったことにもびっくり(笑)
村上春樹さんの性格が良く伝わってくる本です。それに、やはり読んでると走りたくなります。今までのように短距離でなく、タイムを縮めたいという挑戦心でもなく、マラソン大会に出てみたいという好奇心でもなく。ただ生活のリズムや体を整えるために、毎日、少しずつ、マイペースで、粘り強く。そんな穏やかな気持ちになります。しかし、トライアスロンで使うバイクの名前が「18 till I die」号というのには、ちょっと…。単に私がブライアン・アダムスが好きでないというだけですけどね。
『ただ僕は思うのだが、本当に若い時期を別にすれば、人生にはどうしても優先順位というものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかという順番作りだ。ある年齢までに、そのようなシステムを自分の中にきっちりこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、めりはりのないものになってしまう。』
小説家でもありランナーでもある村上春樹のエッセイ。今や世界で有名な彼がレース中にパニックになったり思春期には自分の欠点を書き並べたりとしている姿を知って遠い存在がなんだか身近思うことができる。なんだかかわいくてやさしい。こつこつときまじめに生きている人だという印象を改めて感じた。そんな彼が自分は自分、他人は他人、比較したってしょうがないじゃないか、というような哲学(というのは大袈裟かもしれないけれど)を感じる部分が多々あり何度もハッとさせられた。走ることについて語るときに彼の語ることは人生なのだろう。
再読。人生は基本的に不公平なものだと村上春樹はいう。微小で交換可能な存在、地味でたいしたクライマックスもない人生。でも他人と比べるでもなく自主自立性を持ち、少しでも意味あるものにしたいなら、この本を読むといい。きっとヒントが見つかる。個人的に、走ることと料理することは同じ匂いがすると思いました。何度読んでもその時々に発見がある本です。
彼が語ったのは、僕はこうやって生きていくということ。「年を取るのははじめてのことなので‥」って当たり前だけど、確かに!となんだか励まされ、読んでる間中ずっと心に残った。すごく良い本。これから年齢を重ねていく、そのお供にしていこう。
春樹さんを見ているとこっちまで走りたくなる。そう思わせてくれるようないきいきとした内容だった。早く走ることだけが目標ではないし、自分の老いを特にマイナスに受け取っていないと考える春樹さんはかっこよかった。墓石に刻む言葉がまた素敵。
走るということは不思議な魅力がある。周囲の人には理解されにくいけどそれでも続けたい。ランナーなんだな自分は。そんな風にこの本は教えてくれた。
私も近年フルマラソンを3回完走しました。なぜ走るのかと問われれば、健康のためとかストレス解消と答えるでしょう。でもきっかけはともかくとして、無言で長時間走っていると目的は関係なく走る物として走っているだけの虚無の世界に近いところにいます。虚無ではなく虚無に近いというのは、脳で考えるのではなく体が感じているもの、それは人によって異なり答えがないのだと思います。人によって違うからこそ「走ることについて語るときに僕の語ること」。村上氏の場合はこうなんだというランナーズ哲学の世界。さすが!
素晴らしい。最後のほうの村上国際トライアスロンのくだりが特に良い。全然速くもならないくせになぜか走るのを辞められない、僕みたいな人にはぜひおすすめ。
この人がこんなにストイックなランナーって知りませんでした。走る事と書く事が人生の大半を占めてるくらい…フルマラソンやトライアスロンなど限界を突破したらどんな気持ちなんだろう?苦しいけどとてつもなく楽しいっていうのが走る事と書くことどちらにも当てはまるような。
春樹また読んじゃった。走ることの経験則を人生に重ねることも出来ると思うが、まさにそれを春樹流の距離感で語った感じ。前書きの、痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)が、なんで苦しいのに走るのか、また人生そのものを表してるように思う。読んでまた走りたくはなってないけど、、
村上さんがいつ頃から走り始めたのか、走っている時はどういうことを思っているのか、走るために何を習慣にしているのか、どんなマラソン大会に出たのか、どんなトラブルに見舞われてきたのか、などこの本でしか知り得ないランナー村上春樹の情報満載、といったところか。非常に興味深く楽しく読ませていただきました!最後、P.254の墓碑銘に刻んでもらいたい言葉、というのがまたもう村上春樹さんならではといったもので、言いようのないたまらなく「あーこの人やっぱ好き」という思いに駆られてしまった!!!
自分は「走らない人間」なので、走る人の心理というのを今一つ理解できなかった。でも、村上春樹が「走る人間」で、その走り方について哲学に近いもの、あるいは哲学そのものを持っていることが本書を読んで分かった。が、本書では実は「走ること」より「書くこと」を述べたかったのではないかと思ってしまう。それくらい、この本には村上春樹がどのようにして小説を編み出しているのかが描かれている。自分は本書により、走ることより、どのように書くかを学んだ気がする
村上春樹がマラソンを趣味にしていることを初めて知った。私もマラソン好きだけど、村上春樹ほど没頭できていない。トライアスロンとまではまだいけないけど、今度初めてフルマラソンに挑戦しようと思う。出来るときに設定していかないといつまでたってもやらないと思う。この本を読んでいて、好きなことをやり続けるっていいなと思った。そのための時間を確保することが大事だと思う。私の今続けたいことは、読書とマラソン。その時間を確保するために時間を大事に使いたい。
まきねこさんに貸していただいて読みました。村上春樹がこんなにマラソン好き?だったとは・・・。小説家って夜更かしと酒とタバコのけだるい生活を送るものかと思っていましたが、健全朝型、毎年フルマラソン走っているそうです。走ることと、村上春樹の今までの人生を振り返るエッセイが読めてなかなか興味深かったです。私も走ろうー。
人はなぜ走るんだろう? 氏の走る量とは比べものにならず「ジョギングしてます」と書くのは恥ずかしくなりましたが、走っていて僕が感じていること、体感していることについて共感できる点が多かったです。もちろん僕はフルマラソンやトライアスロンの経験はないので「わからないだろう」言われてしまうかもしれませんが。。。 「走ること」だけではなく、人生論も含まれており、つまりは人生そのものが「走ること」ということかと
僕もかれこれ10年以上ランナーをやっているが、走ることを通して漠然と感じていたことが本書を読むことによって表面化されたようだった。走ることってきついし苦しいんだけど魅力は確かにあって、ランナー同士でもそれを言葉にして語り合うってできることじゃないと思う。本書では文章としてそれが表現されていて、わかるわかるーって感じで語り合っているみたいな楽しさがあった。
「自然に、フィジカルに、実務的に。」村上春樹は走ることを語ると同時に小説を書くことを語り、そして哲学的といっていいくらいの問いにまで到達する。少なくとも僕はこの本を読んで走りたくなったし、恐らく、走りたくなくなった時が再びこの本を読むべき時なんだと思った。僕らが走っている時に感じているあれこれを、村上春樹が独特の技巧的な文章で代弁する。読んでて本当に気持ちよかった。
いやー面白かった。村上春樹、なんともかっこいい!!村上氏が走るとともに、私もページを捲る手が止まらず。すいすい。初めの頃は苦手だった村上氏。ようやく魅力に気付きはじめました。やっぱりなんだか読者を惹きつける力があるのかねぇ。そしてなんともストイック!!
村上春樹さんの小説は「ノルウェイの森」だけ読んだことあるんですが、あんま好きじゃないです。本を開いても文が無駄に長くてすぐに飽きるっていうのを繰り返してました。でも、なぜか強烈に著者本人は好きだっていう思い込みが心にあって、この本を読んでやっぱり好きだと確信が持てました。ご自身のことを人生を流れに身を任せているだけっていっているのに、頑固とか偏屈って言っていいくらいストイックにランニングに打ち込んでいる。好きです、こういう矛盾した人。
ランニングを始めて読みました。ノルウェーの森以来の村上春樹。こんなにストイックな人だったのかと驚きました。そして、マラソンってなんて苦しそうなのかしらと思ったり、こんなに走れたら楽しそうと思ったり。走ることについて語れる作家がかれであったことに感謝です。
小説家としての村上春樹は好きじゃないんだけど、エッセイやあとがき等、いわゆる雑文と呼ばれる類になると、途端に彼の文章が好きになる。誰かに依存することもなければ、誰かのせいにするわけでもない。淡々と自分のペースを守って走るランニング姿は、小説家としての村上春樹の強みだろう。いくら著名な賞を取っても、意地汚い罵声を浴びても、彼は走り続けるし書き続けるんだろう。奥さんと離婚して心がメチャクチャの日でも、彼なら筆を執って机に向かう気がする。格好いい。だけど、彼の小説は好きじゃない。う~ん・・・。
超良かった。走ることと書くことを村上春樹が自分の感性で書く自分史。自分の感性をこの文章力で表現できるスキルは際立っている。脱帽するし、鳥肌たった。小説しか読んだことなかったから、人となりを知ることができた。そして村上春樹的人生を歩みたいと思った。
小説家としての村上春樹ではなく一人のランナーとしての村上春樹の日記。 「僕らにできるのは、執拗な反復によって自分を変更させ、そのプロセスを自らの人格の一部として取り組んでいくことだけだ。(p103」、小説家にとって何が重要な資質かについて彼は語る。一に才能、ニに集中力、三に持続力である。後者の二つは先天的な才能とは違って後天的に身につけることが出来るのであり、それらを養うことはマラソンにも当てはまると言える。本書を通して読んだからといって何ら自分を変えることはできない。だが外に出てみようと駆り立てられた。
村上さんには及ぶべくもない初心者ランナーのわたしであるが、読んでいて分かる!というところが結構あって嬉しくなった。早いとか遅いとか勿論あるけれども、走るという行為は誰もに開かれ、その前では皆が等しい。なぜ自分が走るのか語ることはとても難しいが、これを読むと走りたいと無条件に思える。思考及び仕事と走ることの関係についての考察などとても興味深かった。人生をほんの少しだけでもよりよく過ごしたいとわたしも思う。人間・村上春樹に出会える一冊であり、またぜひ再読したい。
僕は村上春樹の熱心な読者ではないし、走ることにも何の興味もないが、それでもこの本は大分楽しんで読めた。それから、ラヴィン・スプーンフルが好きな自分としては、第1章「誰にミック・ジャガーを笑うことができるだろう?」は何だか嬉しい内容。本当に良いのよ、ラヴィン・スプーンフル。
村上春樹にいわせると、走ることと小説を書くことには密接な関係があるという。たしかに、長編小説を、あるいは、短編小説を何年も「書き続ける」というという行為はゴールまで(すなわち作品を完成させるまで)走り続けるマラソンというメタファーにぴったりなのかもしれない。
自己の才能を最大出力で、しかも長期間ランニング(運用)させるための工夫が彼は非常に上手いのだろう。そのための集中力と持続力はトレーニングによって後天的に獲得できるといっている。
走ることについて語るときに僕の語ることの
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