グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)
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グレート・ギャツビーの感想・レビュー(1122)
誰かのことを批判したくなった時にはこう考えるようにするんだよ。世間のすべてのひとがお前のように恵まれた条件をあたえられたわけではないのだと・・・読み終わってみてはじめて冒頭の言葉の深さが伝わってきます。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく陶酔の未来。そしてそれは手に入ることなくすり抜けていってしまう。それでも、もっと速く走り、もっと両手を前に出して前へ前へと進み続ける。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと推し戻されながらも・・・。読み終わってみると再読のほうが面白そうだと思いました
感動した。 ギャツビーが哀れでならない。涙が出る。 上流階級の娘デイジーに恋し、頭脳と勇気と運と努力・・自分の持てるあらゆる力を持って成り上がり、大金持ちになったが・・・ 元から上流生まれのトムやデイジーにはやはり釣り合わなかったというか、 事故はトムのまいた種でもあり、実は運転していたのはデイジーだったのに、彼らがなんの咎めも受けずに、車の持ち主であったギャツビーの家を教えたトムの狡さ、何としてもデイジーを守ろうとしたギャツビーのけなげさ。 毎週末のパーティーに何百人も訪れていたのに、葬儀に主人公ニック
序盤、上手く文章に入り込めず、登場人物も誰が誰だか解らなくなる事が多かった。独特のリズムも、私には少し冗長に感じられた。読み切れるか不安だったが、最後まで読んで良かった。九章でそれまでの光景との対比が生まれて、虚しさや寂しさが綺麗に描かれていたと思う。良い意味で、黄ばんだボロ紙の様な印象。ギャツビーの父が取り出した写真が、正にそれだったと思う。個人的に、自分はトムとデイジーの様な「思慮を欠いた」人間だな、と思って反省した。
締めの場面が非常に印象的だったので、どんでん返しをくらった感じだ。しかし、その場面の奥の意味までは「まだ」分からない。例えば、ゲームを買うまでの、そのサイトを見たりして生じるワクワク感は、「緑の灯火」の話と同じようなものなのか?そんな単純でない気もする。ただ、物語中の、ベイカーが些細なネタ話を持ち出してきたとき、語り手の言った「そのためにここに来たんだよ」というセリフは、是非パクらせて頂こうと思う。
いまさらですが、初読。パーティーがメインの前半はだれがメインキャラで、だれが通りすがりの人物なのかわからなくて、混乱しながら読んでおりましたが、中盤以降は一気に読めました。/ぼくが1930年代の、いや現代でも、アメリカ人であったならばこの小説はだいぶ違った感慨をもたらしただろうな。東部と西部、ホームパーティにティーパーティー、「オールド・スポート」に代表される翻訳・言語の壁にまつわる問題。/しかし、それでも、この小説にしかないものかなしさの尻尾のようなものは掴めた気がするので、それでいいかな。
ようやく読んだギャッツビー。誰の訳で読もうかと考え考え、どうだろうと思いつつも手に取った村上・フィッツジェラルドはなかなかよかった。やっぱり村上春樹の本だなぁ、と思うけど、これは誰でもいい翻訳家ならしょうがないところ。原文は知らないけれど、特に冒頭の数頁は見事と思う。それと、望外のお土産だったのがあとがき。ここだけでも十分感動的で素晴らしい。本編の前に読んでもいいと思う。ここ読んだら本編を読まないわけにはいかないだろう(笑)。いつかまた再読したい本になった。
野崎訳で2回そして村上訳で今回3回目でした。そもそも最初に読むきっかけは村上春樹。初めて読んだときはそれほどの感動は無かったのですが、時間が経過すると何かまた読みたくなる。ここ5年では一番読んだ回数が多い小説だと思う。ストーリーも登場人物も秀逸。でもやはり文体がほかには無いのかな、と思う。洒落ててもの悲しくて美しい。フィッツジェラルドっぽい小説が読みたかったらフィッツジェラルドを読むしかない。読書メーターを初めて、積読本が増えていき読み返す本が少なくなってきたけれど、読書メーター始める前に読んだ本たちが、
情景描写とか、人物の感情表現とかがすごく繊細かつ詳しく書いてあって美しい小説だと思った。始まり方はどうか分からないけど、終わり方はとっても素敵。お話のすべての流れを汲んだ後の、簡潔な終わり方だった。
野崎訳で、高校生のときに読んだ『ギャッツビー』 きれいな小説だとは思うけれど、華やかな世界観に、村上訳をもってしても入り込めなった。 ただ、それ以上に、あとがきが心に残った。 60歳になったらなんとしても訳したい一冊と、30代から考えてきて、それを実現するムラカミ。 そのスタンスに心を打たれた。 なお、このシリーズは紙質が良くない。厚い。
再読。前回読んだときは、そこまで言うほどの傑作なのかとその魅力に気づけずにいた。しかし今回、今一度読んでみて思った。やはりこれはマスターピースであると。鮮やかで細やかな描写、気の利いたセリフ回し、物語自体が持つ力強さ。リズムの良い文体にも、引き込ませるドライブ感がある(そこには訳者の功績も大きいと思う)。初読のときになぜ気づけなかったのか……。また改めて読み返したいと思った。
透明で涼しげな印象を与える美しい情景描写の文章は、さすが村上春樹訳といったところ。肝心の内容は、登場人物に感情移入しづらい。そのせいか中盤までは少しだれた感じで読んでいたが、終盤の描写に圧倒された。過ぎ去った若さ、思い出の美しさに対する自分の感傷をゆさぶる作品だった。
なるほど、ここまでもてはやされる理由がわからない。ただ、訳者自身が言うようにこの作品は現代の物語である、ということに関しては、痛く感心した。時代を超えてもなお変わらない人間の心理、夢や憧れを通低音として捉えているところが不朽の名作と言われる所以なのか。フィッツジェラルドの美文を堪能してみたいので、近いうち原書に当たってみます。
たった1人の友人でもいい。飾らない自分の姿と、ある人を慕い続けた半生とを、そんな数少ない友人にさえ知っておいてもらえたなら…---僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。この、お洒落な言い回しから始まる本作のタイトル『グレート・ギャッツビー』とは、まさしく『偉大なるギャッツビー』という。素性も明らかではなく、悪い噂がついて回るギャッツビーを『偉大』と称えるこの物語は、人としてまっすぐに生きる男の夢の航跡なのです。
丸ノ内線東京駅のホームで読了。訳者のロンググッバイが重かったというかテンポに乗れなかったので、これもどうかなと思ったがすんなりと読めた。
ギャツビー憧れのデイジーとの復縁は、あれだけのエネルギーを注ぎ、切望したのにも関わらず、不幸にもかなわなかった。
僕達の描く夢も、儚い幻に過ぎないのだろうか。
一文ずつが脆い宝石の様に美しい言葉で綴られるこの物語に、僕はいつもこの疑問を投げ掛け、その度にまた自分を見つめ直す。
以前、角川文庫版大貫訳で読んだときは、この作品の魅力がどこにあるのか、殆ど理解できなかったのだけれど、今回村上訳で読み直してみると、文章の襞のようなものが際立っているように思えて、前回以上にのめり込んで読めた気がする。後、前回読んだ時は、ギャッツビーの無軌道な言動に苛立ちを覚えたという印象があるが、今度の訳ではむしろギャッツビーに感情移入していたように思う。その分、ブキャナン夫妻のギャッツビーの死後に対して、あまりに冷淡だったのには少なからず憤りを覚えた。今度はまた別の人の訳で読んでみるかな?
再読した本だが、この小説の良さがはっきりとわからなかった。自分の未来を信じ純粋な心でひたすら突き進む人、それを自分の都合の良いように解釈し生きていく人、そしてそれらの人々を傍観している人。これらの人々の中でどれが幸せな生き方なのかはわからない。しかし、人生はその人の捉え方次第で決まり格付けされていくのだなと感じた。
私の最も敬愛している小説家・村上春樹の一番大切な小説ということで、読んでみた。当時の雰囲気が出ていて、それなりに楽しめたが、村上春樹が言っているほど素晴らしい小説とは思わなかった。大学を卒業するころに、また読んでみようかな。文章は村上春樹すぎないけれど、やっぱりどこか彼の香りがした。
なんか村上春樹っぽい文体だと思ったら訳者が本人だった笑確かに文章としての美しさはあったけど話として面白いかといえば疑問符がつく内容だったかな
「誰かのことを批判したくなったときはこう考えるようにするんだよ。世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられた訳ではないのだと。」ギャッツビーという人物、はじめは自慢しいの胡散臭い男に見えていたが、読み進める中で彼の一途さ、誠実さが伝わってきた。結末はやりきれないですね。真っ直ぐ純粋に、そして正しく生きることの難しさ。
村上春樹絶賛の小説ということで永らく興味がありました。YouTubeに動画があるので読後に見て感じたことは、言葉の壁を感じさせないこと。まるで原作を読んだような感覚。強いて言えば映画のニックがあまりに若々しくなかったこと。どちらの作品もたいしたものです。偽者であってもそれなりに成熟した振る舞いをしていたギャツビーであったのに、どうしようもなく寂しく悲しい結末です。
一人の女性を追いかけ続け、自らの力のみで成功を収めたギャッツビー。そんな彼に興味を抱き最後まで見届けたニック。デイジーを振り向かせる為だけに夜な夜なパーティーを開くギャッツビーの姿は滑稽ではあるが、そこまでして人を愛し続ける純粋無垢なギャッツビーはやはり「グレート」なのだろう。
文章が綺麗で、スラスラと入ってくる。だが、ここまで有名になるほどの小説なのだろうか? 多くの人に愛される作品って、個人に与えるパワーは少なめなのかもしれない。
日本語訳からもにじみ出る文章の美しさに、ネイティブとして原作を書かれたままの言葉で読みたかったと歯がゆくなった。でも村上春樹訳で初読出来て良かったかな。ギャツビーは本当にグレートで、ある種スマートで、この文章の中にしか生きられないくらい類の美しい人だと思った。
有名な作品なので何年か前から読み通そうと努力していたけどできなかった一冊。今回村上春樹さん訳で初めて読み通せた。この作品で一番印象的だったのは主人公が父親に、すべての人間がお前のようにいい条件を与えられてはいない。というところ。世の中にはトムみたいに自分のことを棚にあげて人を非難してくる人もいるし、デイジーみたいにはっきりしなくて人の気持ちをひっかきまわす人もいるし…自分の正義が必ずしも他人の正義ではないってこと??しかし私には村上春樹氏がそこまでこの作品を評価する理由がわからなかった。私もまだまだなのか
村上春樹にとっての『グレート・ギャツビー』に自分も出会うことができるだろうか。この本を読んでそのことを思うと大きな不安とともに、かすかな期待が押し寄せる。巡り会えるその日まで。
始めと終わりの文章が特に素晴らしい。村上春樹の訳だから、文章が一般の翻訳とちがって柔らかく、お洒落だった。100回読んでも読み足りない気がする。
グレート・ギャツビーの
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