人間の覚悟 (新潮新書)
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人間の覚悟 新潮新書巻の感想・レビュー(138)
深い。五木さん程の年齢だからこそ書ける内容だ。20代の私には理解するのはまだ早い気がする。世間の出来事・事柄にある種のあきらめを抱き、だがそれはマイナスの意味ではなく、しっかりと認識した上で深く追求するいうもの。冒頭にある『「諦める」とは「明らかに究める」ことだ』がそれを意味している。マイナス思考に思えるがプラス思考である。最終章での生への意識は重く響いた。
何が起こったとしても,それを真正面から受け止める.それこそが覚悟である.生きていく上ではつらいことは数限りなくある.そこから逃げること無く,受け止めることが必要になる.
大前研一さんの『「知の衰退」からいかに脱出するか』と並行して読みました。両者の仕事はまったく異なるのに、当然、内容はかたや「社会・経済」かたや「思想」とぜんぜん違うのに、不思議と行き着く先が同じ、共通するのは、この時代に対する憂いなんです。
『あきらめる』ことの覚悟と重要性を語っていることにおいて、五木寛之は安い自己啓発や癒し路線と似て異なる道を歩んでいる。ですます調の穏やかさの裏に、物事を見定め世の中の悪も悲惨も汚濁も受け入れ、諦め覚悟する、そういうほの暗さがある。数年前に出たこの本では、その暗さ、重さに今まで以上に真正面から向き合い、自分一人であきらめる覚悟が静かに、腹を決めて語られている。ありがたい仏教エッセイ、癒しの五木はその底の、重い覚悟を見据える五木によって支えられているのだろう。決して侮るべき作家ではない
いいもの読みました。仏教的考え方が多いですが、やはりそれなりに納得できる節が多々あります。しかし、友情関係についてだけは、少し寂しい気もしました。まだまだ、「覚悟」出来ていないようです
《私‐図書館》不思議とこの作家さんのエッセイや仏教関連ばかりで、あまり小説を読んだことがない。何故?
再読デス。 「生きることの大変さと儚さを胸に、この一日一日を感謝して生きていくしかない、そう覚悟しているのです」と結ばれる最終章。
私自身「家住期」は十分ではなかったが、「林住期」に差し掛かってしまった。ふりかえり何か答えを探したのだがなかなか見つからない。「世間は『あきらめない』ことを賞賛しますが、『あきらめる』は決して弱々しい受け身の姿勢ではなく、正しい覚悟をきめる上では不可欠なのだと思います」とあるように、私自身も潔く何かを「あきらめる」必要があるのかもしれない……。
内なる声に耳を傾ける。
誰にでも出来そうで、簡単には出来ないこと。それは、あらゆることに覚悟を決めることだということを改めて実感させられる。何事かに対してたいした努力もせず、その割には現状に対する不満と漠然とした期待だけは抱いているような自分にとって、この“覚悟”という言葉が非常に新鮮で大切なものであると感じられた。
この年になってようやく「どんなにあがいても、もがいても、わめいてもどうにもならないことがある」と観念することを覚えた。五木さんは「人は憂いと共に生きるもの、自分以外の何かに流されながら生きるものと覚悟せよ」と説いている。それでも将来への不安や、時に孤独、嫉妬、悔しさ、虚しさが重くて仕方ないときがあるけれど、そういう“谷間”にいる自分をずしりと感じた上で、目の前の道を一歩ずつ歩けば良いと励まされた気がする。
親鸞の教えと筆者自身の引き揚げ体験から形成された、人生に対する“覚悟”を説いた本。自分がまだ若いせいか、共感できる部分とできない部分があったが、「下山の哲学」は秀逸だと感じた。
期待しすぎることで、人は生きづらくなっているのかも。そんなことを考えていたところ、見つけた本。「あきらめる」は正しい覚悟を決めるうえで不可欠である、いかに生きるかを問わないなど、物事の奥まで見通している視線が印象的。
他力という考え方は何度聞いても、はっ、とさせられる。多分、自分自身(ほとんどの人がそうかもしれないけど)が自力に頼って生きている人間だからかもしれない。自力の限界を感じたとき、他力の側に寄り添ってみると救いが見つかるかもしれません。
五木さんの人生観は、悟りを開いた仙人のようだ。共感する部分は多かったけれど、まだ理解できない部分もあった。年を重ねていけば、いつか真に分かる日が来るのだろうか。
最初に「覚悟」を「自力」で生きることと捉えてしまったからか途中で唸ってしまう個所もあった。けれど生きるということに対して真正面から向き合っていると感じたので、自分が思いつめたときには最終章だけでも読んでもいいと思う。
「生きることの大変さとはかなさを胸に、この一日一日を感謝して生きていくしかない。」これが、生きていかなければならない「人間の覚悟」。生きることの喜びの本質なんでしょうね。
生きているだけですばらしい、という言葉には元気づけられるものがあった。しかし、現代を『鬱の時代』と定義して、それをそのまま受け入れていかなければならないの?と反論もしたい。どうにもし難いことについては『意志を持ってあきらめる』ことも大切だが、もう少し前向きになるメッセージがあって欲しかった。
五木さん…。いろんなエッセイで同じことばっか書いてるよね。
まぁ1番大好きな作家だし読み続けることには変わらないけど(笑)
青春の門はいつ再開するんだろ
革命家というのは、チェ・ゲバラも毛沢東も、ほんとうに貧しい最底辺の労働者や農民の子ではありません。どちらかというと良家の子弟がなるものです。父親がアル中で母親が借金で首が回らないような生活を見た子は、革命という理想に一生を捧げてかまわない、とは思えないものですから。
鬱や死ということをあまりにも肯定的にとらえすぎている。ただ、自力だけで成し遂げるのではなく他力を受け入れる。人生を青春・朱夏・白秋・玄冬になぞらえ白秋・玄冬は老い朽ち果てるのではなく新たな生を生み出すことだ。善と悪の両方を内包していく。「無財の七施」、つまり「和顔施(笑顔で笑う)」「眼施(眼で言葉にならない声を受け止める)」「言施(言葉で慰める)」「牀座施(老人に席を譲る)」「身施(自分の体で奉仕する)」「心施(他人を思いやる)」「房舎施(寝場所を与える)」を実践する。等は共感できる。
まだまだ自分の視点が定まらない。それもそうだ、あれもそうだ、じゃあ自分はどうだ、というのが弱い。どこかであきらかにして究める覚悟が必要だと思った。最終章は特に自分に眼差しが向けられた。
「覚悟するということ」 「諦める = 明らかに究める」 という事はどういう事か、という視点で論を進めている。 五木氏が鬱や体の不調に苦しめられ続けていたと知り驚いた。 しかし、生活を営む上では多かれ少なかれ精神的ストレスがあり、 これがあることを素直に受け入れる事も「明らかに究める」ことである。 下り坂を降りていく事や、一旦始めたものを止める事など、 受け入れづらい事が沢山ある。 これらの行動をとることはネガティブだと思われがちで、この 本もきっと暗い印象を持たれるだろうが、実はポジテ
人間の覚悟 新潮新書巻の
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感想・レビュー:40件














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