幻影の書
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幻影の書の感想・レビュー(266)
幻影の書というタイトルがぴったりな作品。神ならざる人の身であってみれば、我々の多くの信念が誤って信じた幻影=イリュージョンであるのはある意味当然である。だが、普通に生きていてその幻影性と真剣に対峙するはめになることはまれだ。それに対してこの本の登場人物たちは、人生を変えるような幻影性と何度も向き合うことになる。それを読んでいるうちに読者も、己のうちの幻影(かもしれないもの)と対峙させられる。途中、理不尽な運命の仕打ちを生き延びようとする中で、主人公の人生が、別の人物の人生と重なりあっていく過程が美しい。
飛行機事故で妻と子供を失った男が、ある喜劇映画に惹きつけられ、その映画作家についての著書を作成する。刊行された著書はやがてもう死んだとされていた映画作家の身内に届き、そこからこの作家の失踪にまつわる話が展開されてゆく。急な転変も幾度かあるけれど、緻密な文章がそれをリアリティに変えていく。ストーリーテリングの巧さが本作でも見られる。男の魂が「本当に」救済されたのかどうかはわからない。読み終わった後、何が本当なのか分からなくなる。心地いい謎が残る本。
謎の失踪を遂げた映画監督ヘクター・マンと、彼の喜劇作品に傷心を癒やされた主人公デイヴィッド・ジンマーの周辺を巡る物語。この作品の根底に流れている のは、知覚されなければ存在していることになるのかというバークレーの哲学であり、いないも同然のヘクターの生は生と呼べるのか、誰も見ない映画は存在しているといえるのか…など様々な場面で「無」や「存在」の観念について意識させられた。最後の二章の展開には感嘆。時間を忘れて読み耽った。彼の著書は何冊か読んできたが、圧倒的な傑作と思う。
実在もやがて証しとなるものがはかなくなれば幻に。読み終わったばかりだけれど、私としてはオースター作品の中で一番好きな一冊になったよう。
著者の作品をまだ四冊しか読んではないが、「ニューヨーク三部作」でのポストモダン的形式は影を潜め、良い意味でのストーリーテラーぶりに圧倒され、物語を楽しく受け止める事が出来た。一人の男の人生、そこに大きく関わる別の男の人生。さらに傍流のエピソードの数々が絡んで厚みを増し、二転三転する物語は重層的で奥行きがあり、巧いなぁと思える作品に仕上がっている。映画の描写は視覚的以上に視覚的だし、重要なモチーフとなっている。面白くて良質な一作。
しつこくなく、飽きの来ない味。濃い味かと思えば、存外アッサリな感じで他の方も書いている通り時間を置いて読み返したくなる作品。単体としての完成度と言い、霧のような雰囲気と相反する透明感が共存していて素晴らしい。訳者の柴田さんの力量もまた凄い。作者と訳者のツーストレートでノックアウト。
素晴らしかったです!小説の中にいくつもの映画があり語られる人々の人生がある。語られる人々の人生さえも映画的で幻影を見ているようです。ストーリーがぐいぐいと読ませるものであるのでどんどん読み進めてしまうのですが、本当はちょっとしたところもじっくり時間をかけて読みたいようなキラキラした一冊でした。細かい出来事だけど夜中に真っ暗な家の前で鍵を落としてあたふたする、そういうひとつひとつの描写が活き活きしていました。読んで良かった!
柴田さんの解説にある通り、オースターの小説内芸術(小説、映画、絵画)はそれ以上の存在であり、物語を深めてくれる。ヘクター自身はほとんど(実際には)姿を現さない(語らない)のに、ずしりと心の奥に残る。
この一冊の中に様々な話がかかれているのに、一つ一つが薄っぺらくなく、深い。アルマを知ってからたったの8日なのか。数年経ってからまた読みたい一冊。
「世界は幻であり日々再発明する必要がある」「世界はさまざまな穴に満ちている。無意味さの小さな開口部に、精神が歩いて通り抜けられる微小な裂け目にあふれている」「現実とはもろもろの虚構と幻覚から成る無根拠な世界であり、想像したことがすべて実現する場なのだ」「何もかも誤解していた。地は空であり、太陽は月、川は山だ」
息詰まるような感覚。偶然の要素もあり、危うい人間関係のバランスを考えると必然でもあり…だが、とにかくこのラストは避けられないのか。主人公にとっては再生の物語なのだけど、皆が救われるわけではなく、痛ましい。多分当然のことなのだが。
初っ端からいつものオースター節全開で面白いのだけど、今回は映画がテーマってことで小説の中で延々と架空の映画の描写が続いてそのへんがちょっと苦痛といえば苦痛だなあ。小説がテーマの小説だった『リヴァイアサン』などと違って分が悪かったようにも思えるんですが。
妻子を事故で亡くし絶望の内に過ごしていたデイヴィッド・ジンマーは、自分に再び笑いをもたらしたヘクター・マンの無声映画についての本を書いた。ヘクターは60年前に失踪して以来消息不明で死んだものと思われていたが、そのヘクターが会いたがっているという手紙がデイヴィッドに届く。
一つだけ、疑問。作中の地の文と、人物の回想や、過去の記事の文の書体が違う。地の文はかちかちの明朝で、過去の文は書体がほんの少しだけ丸い。微かに目がちかちかしてしまうのだ。これは、原文でも違いがあるのだろうか。柴田訳でも勿論問題はないのだが、半年くらいかけて、原著にチャレンジしてみたい作品。
メールが来たのでリクエストした本を取りに寄った図書館でふと目にとめる。銀の箔押し。ひょっとしたら書評を読んだことがあったかも知れない。暫く放置し、夜少し読む。久しぶりに米国文学の味わい。旅すがら読み続ける。最後の数ページは再び自宅の寝床で。今年読んだ中で、一番胸をかきむしられるような思いをした本。
とても映画的で起伏に富んだストーリーが展開する。だがそのラストは全て幻影とでも言いたげ。人は自分の生きた痕跡を残したい。でもそれはなかなか難しいことなのが現実ということか。そんな哀しい話を一気に読ませます。
Pオースターの本は初めて読んだが、とても読みやすく、物語にのめり込む事ができた。
特に映画の描写部分は、本当にその映画を観ている感覚になった。
死んだテクスト―あまりにフィクショナルゆえに多分に現実味を帯びている作品。ほとんどのオースター作品には「死」や「無」の観念が含まれている。派生して幽霊や幻。人は自身の内部世界を生きていて、外部世界との関わりでそれを保つ。ひとつの内部世界が終わるときそこには肉体しか残らない。物故する。そのときその精神と関わってきた人間にとってまるで幻だったかのように思えてしまう。フリーダが狂ったようにヘクターの存在の痕跡を消そうとした悲しさに僕は耐えられない。映画化を望む。
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