太陽を曳く馬〈下〉
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太陽を曳く馬〈下〉の感想・レビュー(226)
高木・岩谷・岡崎・福澤の言葉にはどうにかついていかれるが、明円は…ほとんど近寄れない。9・11が合田のなかで消化されるのには時間がかかるだろうし、その過程でこの事件捜査があったことは良かったのか、不運だったのか。今の時点ではわからない。言葉で辿りつく場ではないところを、合田には知ってほしいと思うばかり。
凡人の私には理解不能。 特に宗教論を語る場面では完全にお手上げ状態でした(-"-) 捜査の過程で芸術や宗教の本まで読み込むなんて合田刑事もすごいなぁ~なんて変なことで感心したり。
半分も理解できなかった。仏教難しい。なのに一気に読んでしまう不思議。著者の筆力のおかげでしょうか。とりあえず合田が心配すぎる。上巻では合田大丈夫?と思いつつ読んでいたけど、下巻では・・・あれは完全に大丈夫じゃないレベル!おろおろしていたら終わってしまった感じです。
あぁ…感想はひとこと、「残念…」。ざっくりしか理解できず。完璧に理解できたらとても興味深そうな話なのに。。旧かな使いの手紙を読み飛ばして、とりあえず最後はどうなるの?と読み進めていくと、あれれっという感じで終わってしまった。
がんばりました。読了。殺人事件を巡る警察小説...ではなかったようです。一連の合田の小説だと思って読むのではなく、哲学書と思って読めば...なんとか???んんん???
上巻は、まだ自分の理解力でもついていけたと思う。線とか螺旋とか、一人の人間の内面にぐいぐい食い込んでいく感じ。途中から一気に引き込まれて、さあ事件(訴訟)の本筋の下巻へ。宗教論を語りだした辺りからちんぷんかんぷんで、辛かった。合田さん、大丈夫なの?戻ってきて?義兄も心配してるのよ?とそればかり考えていた。合田の精神状態がカオス、ということだけはわかった。辛かった。
下巻は一気にミステリらしくなり、何故施錠されていたサンガから和哉が抜け出し、交通事故死することとなったかを、宗教問答を通じて追求していく。これは作者のオウム論でもあったのか...宗教や哲学の乏しい知識を総動員して読む。謎解き自体はあっけなく終わったが、宗教は逃げ場ではない、ということを考えされられたことである。
道元読みを課している私には折々の仏教論争が難解ながら新鮮にして奇貨。アラヤ識、不消化ながら、晴子-彰之-秋道の系譜である福澤家の隠喩なのか。そしてエンディングの彰之の姿はそのアラヤ識とも、禅で追い求めるはてしのない虚無の境目としての「私」からも、そして時間も超越し孤高にして魅力的に思えました。いやしかし、生と死にしばし思いを馳せて、孤高に惹かれてもワタシは所詮、桐の長い廊下を疾走せずにはいられない煩悩の時間を死ぬまで貪るのでしょう
ただただ、難解。仏教用語の大半が理解出来ず、文章を読んでいるだけという状態だった。少しでも理解しようと思い、作中にあった書物を読んでみようかと思う。≪追記≫時間が経って、改めて思ったこと。坊主達はサンガという閉鎖的空間に入ってきた異物=末永を排除しようとした行動は、『サンガ=学校』と考えるとよく聞かれる事例(見てみぬふりなど)が思い付く。
一週間、仕事で読めない時期があり、話が中断してしまった。生きるという意味がわからなくても、人は生かされてしまい、それをやめるという自由は、ゆるさているのだろうか。宗教が、その自由を許さないのは、たぶん、見つめ続けることができない太陽という死に、人が向かい続けることができないからだろう。
小説なのに仏教、だけじゃなくカルト、哲学、人文科学、宇宙物理学、量子力学、分子生物学、芸術、精神疾患と心理学、ガンダム等々、宗教に興味が湧くと繙く色んな分野のエッセンスが、これでもかと盛り込まれた内容になっている。動的平衡と人類の、どうしようもない感が、読後長く張り付いたまま、なんか感動してる。
作品から漂うのは強い虚しさ、自分の心の穴は誰も埋められない暗い孤独。ただ一人真摯に立ち向かった合田は何も報われなかった。宗教の厚い壁、天然狸オヤジの長谷川住職に雲水達、身勝手に消える福沢。狡猾な打算弁護士とオタク検事、それに部下、上司etc.みな利己主義だ。果たして宗教では人の心は救えないのか?立場は違うが理解されないという点は合田も末永も同じだった。また、正直者は馬鹿を見る世の中なのか?棄てるな!合田!頑張れ!
凡百の私にはほとんど理解不能でした。前編ではまだ何も動いていないと感じ、後編で大きななにかが待ち構えていると思い読み進めたのだが、動いた後を存在論や宗教論を駆使しながら解き明かそうとしていたのだろう。再度、自分に問う。おまえは何かが分かったか?
宗教話は好きだけど、宗教論は苦手。一読しただけでは物語の片鱗を把握するので精一杯。深く理解するためには再読の必要有り。短くはない時間を経て、合田もすっかり年をとって落ち着いちゃったな、と思ったら最後の最後でかつての合田が垣間見えた。「使ひ果たされるのは正確には言葉ではなく、對象に向かふ精神の動力すなはち欲望であり、生きる意志でせう。」(p.373)この一文が非常に印象的。
難解である。上巻は現代芸術、下巻は宗教論が語られ ほとんど理解できない。しかし、合田雄一郎の物語として 読めば面白い一面も。また、福澤彰之の登場する他の 2作品も読めば、もっと読み込めるかも。
上巻ではアート論、下巻では宗教論がてんこもり。どちらも正解がないテーマなので、ちょっともやもや感は残りましたが読み応えありました。雄一郎はすっかり大人の男(ていうか、おっさん?)になりましたね。最初の関西弁をしゃべる設定はどこに行ったんだろう・・・。
なんかこう観念的といいますかすっかり現実から離れてしまった感があります。難し過ぎてよく判らなかった、と書いてしまうのは簡単だが、なんかそれも悔しい気もします。自分がいかに勉強不足(努力不足かな)であるかを思い知らせてくれた作品です。
下巻のほうが面白かった。僧侶たちのオウム論争のくだりはとても勉強になった。今まで、宗教とそうでないものの境界線について考えたことがありませんでした。上巻ではあきらかにされなかった末永和哉の心のありようが丹念に描かれていて、共感するところが多々ある。井上陽水?歌いますよカラオケで。『氷の世界』ですけども。
何もない場所へ来てしまうことが覚りなのか、あるいはその先に何かがあるのか。あるとしたらそれは死の向こう側か。今生では果たされないと知りながらひたすらに坐る雲水さんが切実。
あいかわらず著者は不幸そうだ。やはり頭のいい人は生きにくいのか…世の中の大事件にひとつひとつまともに正面衝突しちゃうんだもんな。真面目で繊細すぎるんだろう。だというのに、出来上がった作品は豪華絢爛だ。なかなか途中で読むのを止められず、頭が疲れて目で字を追うだけになるまで読み続けてしまう。今回もすごい引力だった。読みごたえを求める人にはオススメだ。
皆さんもおっしゃってますが本当に難解だった。とはいえ、宗教談義も完全に理解は出来ないながらも興味は持てる描き方になっていたと思う。ラストで「三部作を順番に読んでおいて良かった」と思った。
「晴子情歌」「新リア王」の流れの 3 部作目。 芸術、宗教、殺人、オウム真理教、 禅、インド、9.11、吉田戦車。。。 深い深いところへ連れて行かれる。 かなり体力を奪われる小説。 文学の底力を見た。傑作。 2010 年読売文学賞受賞作品。
宗教論議より、都会のど真ん中にある禅寺の中の、僧侶たちの一日や隠微な人間関係・俗世間の利権に絡む勢力図などのほうが面白かった。すでに死者である末永がこの物語全体のキーパーソンなのだった。彰之が死を待つ息子を前にもはや禅僧の片鱗も見せず、生身の人間としてうろたえる姿に感動した。合田さん、男でも女でもいいから誰かを真剣に愛したほうがいいよ。
かなり集中して読まないと頭に入ってこない難解な物語、というか宗教対話に挫折しそうになったが、最後の合田雄一郎の涙と福澤彰之の息子への呼びかけに救われた。しかし、このような境地にたどり着いた作者はこの後どこへむかうのだろうか?
坊さんたちによる宗教問答。私には観念的すぎてまるでわからない。(これに耐えると、坊さん三人が御堂ではしゃぎ回るというご褒美あり。)次第に壊れてゆく合田に不安を覚えるも、義兄へ電話する姿に安堵。物語は彰之が秋道に宛てた手紙で終幕。秋道の罪、生と死、すべての始まりへと考察は収斂或いは拡散。新リア王の最後で、分かりあえないと絶望した息子との間を彰之はどこまでも言葉で埋めていく、その孤独。最後は嫌な予感がしたからと走る。笑う。訳も分からず泣けてくる。
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