シズコさん
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シズコさんの感想・レビュー(247)
読み進むうちにどんどんせつなくなって、哀しいんだか、苦しいんだか、悔しいんだか、辛いんだか、心が波立って 何が何だか分からないうちに終わってしまった。私には受け入れられるだろうか。しばらく経って ようやくシーンと清澄な気持ちになれた。
とても驚きました。。読みながら自分を振り返り、もうとうに逝ってしまった母の事を考えました。互いに気持ちが添えない事の辛さ、分かっていても心が受け付けない苦しさ等、傷口が痛むような本でした。
(知人紹介)親の老いと共に過去の回想と共に振り返る。時代背景も影響しているが母娘の心の距離感に、現実感と切なさを感じる。一方で人間としての素直な感情表現とも感じる。少なからず母親の”個性”を受けいれているような終盤では、それまでとは異なる優しさと悲しさも垣間見るようである。『100万回生きたねこ』のラストシーンが嫌でも頭に浮かんだ。
「私は母を好きになれない。」何と正直な告白だろうか。大震災の後、盛んに家族の絆が強調される風潮があるが、家族ほど厄介なものはないのだ。家族だから助け合わなければいけない。親子だから仲良くしなければならない。そんな単純なお題目はこの物語の真実の前で何の意味もない。世の中で、親と子が良好な関係を続けていくことほどむずかしいことはない。母親を老人ホームに入れる時の思い。呆けていく母と和解していく娘の思い。切ないほどに伝わってくる。近年まれに読む魂を揺さぶられる本だった。
これを読むきっかけは、朝日新聞で人生相談をしている上野千鶴子さんが「母娘関係」というのは実に厳しいものだと言及された後、ひとつの例として当書籍を挙げておられたからだ。内田春菊の『ファーザー・ファッカー』以来の衝撃だった。お互い真摯に生きた人であるだけに、軋轢の深さはかなり痛い。読みながら、007の『カジノ・ロワイヤル』に悪役で出演していたマッツ・ミケルセンの言葉が蘇る。「悪人をやるには全く悪の演技をしてはいけない。非情さのなかにちらほらと人の善い部分を残しておかなくちゃいけないんだ。」けだし慧眼。
母子関係の強い私にとって、佐野さんの本でずっと読めなかった本ですが、やっと読める気がして読みました。色んな本にも何度も綴られている母親に対する憎しみ、母親からの憎しみ、それが一周して、亡くなって、最後にはこうなるのかと自分のことのように追体験しました。これも何度も書かれているお父様との良き繋がりよりも、長かった分だけ、もっともっと業が深い。色んな母親がいて、家族があって、それがわかるだけでも少し軽くなれる気がします。佐野さんは根本はいつも明るいからどんな内容でも救われます。よかったです。
母親を金で捨てた(高級ホームに入れた)、母親に愛情がもてなかったと述懐する著者。読み進むとそうなってもやむなしというほど、ものすごいお母さんだったとわかってくる。「今私はあの労働の経験と忍耐はしないよりした方がよかったと思える。/しかし思い出したくない。」愛されなかった理由、嫉妬はわかるのだが、戦後の民主主義のせいだという指摘も。権利ばかりを主張するのが民主主義か、地金を丸出しにするのが個性かと言われると、自分が叱られているような気分に。「母さん、呆けてくれて、ありがとう」に涙、涙。
うちのカツコさんには、褒めてもらいたかった。そのことを言うと、かっこさんも褒められた事がなかったと言うので、私が変わって褒めている。
誰もが直面する「老い」を真正面から受け止めさせられた。母への愛憎は誰にでもあるもの。おそらく親も子も、作中にあるような強烈な個性があったからこそ、作家「佐野洋子」が誕生したのだろう。それよりも、母の老いを見つめる子の視線がせつなかった。
娘の立場から見る母親との関わりは、程度の差はあれしんどいものだと思う。大抵の母娘はそこそこの相性で、愛し合うのも憎み合うのもそこそこで済ませられるから、作者のように徹底的にはならない。だからこそ作者が母と許し合えたことは奇跡だと思った。お互いが生きている間にはそうできない娘もたくさんいるだろうから。
強烈。家族って色んな形がある。このお母さん、最初はなんちゅう母親だ!なんて思っていたけど、よくできた人のように思った。家事もできて裁縫も得意で、気配りが出来て、旦那からも好かれていて。ただ、子供からすると見方はまた変わる。外からは良いように見える家族も本当はどうか分からない。家族になるって、絵に描いたような一家団らんなんかじゃないんだ。もっと人間くさくて、どろどろしてて、痛くて、辛いこともたくさんある。難しい。私も将来家族を持つかもしれない。だけど自信ないなぁ。最後の展開に救われたけど、やっぱり少し怖い。
作者の母が自分の母親に重なって感じられ感傷的な気持ちになった。作者との大きな違いは、自分の場合、母親に愛されて育てられたということである。呆けるということのむなしさ、そうなる前に母にいろいろしてあげたかったことを悔やむ自責の念を忘れそうになるとまた読み返してみたい本だった。
お母さんなんだもん、愛したいし、愛されたい。それができなかった、させてもらえなかったんだから、「金で母を捨てた」なんて気に病む必要ないと思う。女同士って難しい。長女って不器用なんだよな~、これが。
こんなんも胸をえぐられる思いをするなんてタイトルからは思いつかなかった。母親が呆けて、やっと母親と向きあえて、母親の良さを見つけることが出来た著者。世の中にはこのような思いの人もいると思うが、誰もこんなことは胸の奥に秘めて言わない。いや。。。言えない。「私は母親をお金で捨てた」グサッとくる表現・・・久しぶりに感動する本でした。
まいった、まいった。50数年かかって、母親が痴呆になって、そこから始まる和解というのもあるのだとも思った。和解ということは、いいことなんだろうなと思った。佐野洋子さんの冷静に自分を見る力がそうさせたのだろうと思うけれど、それでも羨ましい気がする。「ごくふつうの人が少しずつ狂人なのだ。少しずつ狂人なのが、普通なのだ。わたしは、自分が母親に対して気が触れているということを、自分で始末できなかったのだ。ずーっと、ずーっと。」こういうふうに考えることができる人、本当にすごい。
母と娘の関係は、本当に難しい。老人ホームに入れたのを「金で親を捨てた」と後悔しながらも、最後には母が痴呆になり記憶を無くした事でやっと「許せた」という流れに思わず涙。同じ文章が何度も出て来て、著者が悶えながら執筆したであろうと伝わってきた。
彼女は言葉の扱いが素晴らしい。ゆっくり読まずにはいられない、言葉の重さと、深さ。想いだけがそこに在るような。一行を繰り返し読み、少し戻り、ずいぶん長い時間、この本の世界に居た気がします。不器用で、ぼろぼろと崩れてしまうような脆さ。洋子さんは自分を投げ出すようにして、母をこんなに、こんなに愛している。何故でしょうか。ぼろぼろと涙が止まりません。
自分が言われてる訳でもないのに思わず首をすくめたくなる歯に衣着せぬ非難の数々。構成などお構い無しの様に繰り返し出てくるエピソード。母が嫌いだと自責の念をもって、しかしはっきりと言い、お金で母を捨てたというフレーズは何度も出てくる。こういう親子は本当に存在したし、知らないより絶対に知っておいた方が良い話だ。
私は母を憎んだことがないから「許す」という感覚はわからない。それでも感動した。泣きながら抱きしめる著者と呆けた母の、心と心がぶつかりあう優しい音が聞こえた気がした。娘は母に「女」を見る。その後の自分の女としての生き方が決定づけられてしまうほど、その母が持つ「女」の影響力は強い。文章力それ自体には少し首を傾げもしたが、母と娘の特別な関係を誤魔化すことなく描ききっている印象的な作品。
読み始めた時は「この人もボケちゃったんじゃなかろうか」と支離滅裂な感じの文章だったけど、普通は隠す恥ずかしく醜い感情をさらけ出した文章に自分も思い当たる節があってなんとも言えない。「私は金で母を捨てた」ガツンとくる。
昨年トライしてすぐ挫折し、二度目に読み終えました。それでも読み始めてすぐ投げ出したくなり、体調不良にまで陥り…という抵抗を乗り越えての読了です。出会うべき時に出会う。そう思わせてくれる本でした。著者とシズコさんが「ごめんね」と言い合って号泣するところでは深い感動に包まれました。私自身の心の成長に大きな足跡を残してくれました。今は亡き著者に心から感謝したい思いでいっぱいです。
男の視点で見ると、父が作者を溺愛する視点がよく分かります。父は娘の才能に、自分を乗り越える何かを見て、全身全霊を傾けたのでしょう。それを「嫉妬した」母と作者の確執。ここに、二重構造があるとすれば、「呆けた」母を作者が抱きしめ涙する和解が三重構造をなしています。しかし、もっと恐ろしいのは、その作者自身が母親と同じように記憶が消失し死への旅立ちを迎えていくラスト近くです。ここに多層化された物語が完結します。繰り返し同じエピソードが流れる文体に、作者の周到な狙いを感じ取りました。すさまじき情念。
「私はそうは思わない」以来、約20年ぶりの追悼佐野洋子。読後感は「赤裸々」「和解」。脚本家の田渕久美子さんやパーソナリティの小島慶子さんがラジオ番組で母と娘の確執について話すのを聴いたことがありますが、これが一番強烈。でも、この母親がいたからそれぞれの現在の自分がいるのもまた真実では。幼い兄弟が亡くなられても、この本に書き残したことで、佐野さんの読者がいる限り「忘れ去られる」「亡くなる」ことはないのだと思います。「成功する女性はかならず父親に肯定されている」といいますが、これも佐野さんに当てはまるのでは。
今天国で佐野さんはお母様とどのような関係でいるのだろうか?私はこれから生きている間に母とどのように関係を築いていったらいいのだろうかと考えさせられた作
号泣。私は母が呆けたら抱きしめるコトが出来るだろうか?読んだ数日後、夜中に著者が亡くなった事を知り、ショックと共に何とも言えない気持ちになりました。勝手な思い込みは傲慢なんですけどね。
何度も何度も同じ思い出話を繰り返す.散文の様な私小説だなと思ったら,最後に怖いトラップが.しっかり者の筆者が母親のように呆けてきて,そして死に近づいていることが分かる.娘はいつまでも若いわけではない.やはり気がつくと老人になって親と同じ処へ行く.
こんなコメントの付け方でいいのかわかんないけど,9/25のまるまさんと全くおんなじところをぜひ挙げたい,と思いました.家族って,他人に「家族なんだから...(笑)」といわれるような関係ではない.それぞれの家族の中でしか,「家族なんだから」といえる関係は築かれないものでしょう.これを読んで「救われた」と思う人は多いと思うんだけど... もしかしてふつうはもっと,幸せな家族生活送ってるもんなんかな?
「肉親は知らなくてもいい事を知ってしまう集団なのだ。家族だからこそ互いによくも悪くも深いくさびを打ってしまうのだろう。」本当にそう思う。うまくいく家もあればそうじゃない家もある。皆、うまくいってるように見えるけど、本当のことはその家族の中でしかきっと分からないんだろう。
シズコさんの
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