悪霊 (上巻) (新潮文庫)
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旧価値が崩壊したカオスの内で、登場人物は誰ひとりとして「○○主義」の仮面を借りなければ何も語ることのできない。彼らはイズムの「悪霊」に憑かれているのだろうか?それとも「仮面のような顔をした男」スタヴローギン、その仮面性が「悪霊」なのか?無神論、社会主義、ニヒリズム・・・様々な悪霊たちが我が物顔で闊歩する世紀末ロシア、いざ下巻へ!
色んなキャラクターが動き回る。それぞれが「ロシア的なもの」の体現か? しかしロシアの小説を読んでて時折引っかかるのが、結構多くの人物がヨーロッパに留学というか遊学というか、フランスやドイツやスイスに行って生活した経験がある。地主の人たちはそれが普通の時代だったんだろうか?
「私」は物語の傍観者のようで、今のところ特に物語に深く関わるようなことはないが、その目を通して語られるさまざまな人物のさまざまなエピソードが少しずつひとつの事件に向かって進んでいるみたいです。
これといった事情も動機もなく出て来る人間人間が姦しく喋りまくる。上巻最終章になってもなお人物説明に費やされ一向に事象の裏が見えてこない叙述は爆発のための準備をしているかに見えるが、現実は往々にしてかくなるものだと教えてくれる。我々はたとえ物事の全体像が見えないとしても、なお語らねば気が済まないのだろう。勝手気ままにしゃべりまくる登場人物の造形は、自分こそ主役であるとの身構えもさることながら、誰もが何かに関わらないと気が済まず落ち着かぬ性分を表しているのか? だとしたら、それはたまらなく笑えるではないか。
舞台は農奴解放令直後、19世紀の過渡期ロシア。一切の旧価値が崩壊し、新世代は共産主義や無神論に走り陰謀を企てる――大地主ワルワーラ夫人の一人息子、ニコライ・スタヴローギンを軸に物語が展開、彼はすべての事件の中心に存在する。社交界に相次ぐスキャンダルとアンバランスな価値観。『旧世代』には主にワルワーラ夫人と奇妙な友情で居候しているステパン氏――醜悪と退廃と混沌。ドストエフスキーはその作品と生涯を通して、ロシアという国、ロシア人なるものを研究し描き続けてきた。細部に至るまでのリアリティ。下巻で物語が本格始動!
冒頭から300ページ程ずっと退屈だった。読むというより文字を眺めてる感じ。ツルゲーネフをモデルにした人物が出てきてもタイクツナノデス…。第2部に入りスタヴローギンの視点に変わり読めるようになる。さて、上巻600ページ超あったが物語は何か始まったかな?まだ序章?何の話?最終的にはどこに向かうのやら。
非常に魅力的な登場人物ばかり。
たとえば、唐突にカポーティの「冷血」と比較してみると、そーゆー人たちは出て来ない。たぶん、カポーティの敗因は、事件の事実に想像を加えてミキシングするとき、調味料として深い愛情を注がなかったこと。悪なるものを賛美肯定してるわけでは決してなく。「ティファニーで朝食を」のホリーが魅力的だったのは、カポーティのなかに深いおもいとゆーか愛情があったから。それがないとダメダメダメなんですョ。
とゆー意味で、ドストエフスキーの長編ではこの作品がかなり好きです。
本作が好きで再読する人は、キリーロフやシャートフによって語られるスタヴローギンの思想の片鱗に背徳的な魅力を感じるからだろう。今回、僕は県知事レンプケの妻であるユーリア夫人に焦点を当てて読んでみた。彼女は非常に滑稽な人物で、ピョートルに巧みに利用されながらも、自分が若者たちに信奉されており、無軌道な思想を持ちがちな若者たちを正道に引き戻してやらなくてはいけないと信じて疑わない、困ったご婦人です。彼女がここまで愚かしくなければ…などと思ってしまいます。
光文社の1巻を読んだので、こちらは途中まで流し読み。心配してたほど江川訳も読みづらくないです。ドスト小説の性格設定は、あの小説のあの人と似ている、みたいなのが結構あり、それでもやっぱりなんか好き。ダメ人間がたくさん出てくるところも好き。冒頭のステパンの説明は若干冗長ながら、そのユーモアと皮肉は太宰の「黄村先生」を思い出す。(もちろん太宰のほうが後だけど)イワンっぽいニコライとかリーザっぽいリーザとか、一筋縄ではいかないキャラたちが何かやらかしてくれるでしょう。下巻が楽しみ。
無神論、民族主義、革命思想……、それぞれの思想が机上のものではなくなり、行動を伴うことによって、無軌道な乱痴気騒ぎが始まる。下巻も楽しみ。
前半部を読みながら、一生読了しないんじゃないかとうっかり危惧した。世紀末よろしく爛熟してるのに妙に重い、これが19世紀ロシアの世界観なのだろうか。分かんないけど。後半から物語に加速度が付いて来て、下巻に期待大。ワルワーラ夫人はどの方向に進むのかが非常に興味深い。破滅はどのように訪れるのか。ニコライ何者。
「地上の永遠の生。そういう瞬間がある。その瞬間まで行き着くと、突然時間が静止して永遠になる」この独特の永遠がミニマルとして表象される時間意識は、「罪と罰」のスヴィドリガイロフが変奏してうけついでいるし、また「賭博者」のコンセプトにもなっている。日本においては戦後の銀座という焼け野原で船山馨「人間復活」の亡霊たちがこの一点の奇跡的な時間にかけておのれのすりきれそうな存在をかけながら血をはく戦いをしている
冗長すぎて眠くなる。とにかくこの第1部はもっと短くならないかなあ。でも2部から徐々に面白くなる。もし下巻を読んで楽しかったとしても、再読するときは2部から読みたい。そしてこのストーリーは、下巻でどうなるんだろう。上巻だけ読んでも、何の話しをされているんだかまったくわからない。
ステパン氏はいい人なんだけど、「ちょっと引っ込んでてくれますか?」と思ってしまう。前半が面白くないのはドストエフスキーの特徴か。後半が面白いから困る。
ドストの作品では二番目に好き。無神論に憑かれた豚の群れが湖に走っていく話、と一言で言えない。あと最初の主人公の誤認はもう仕方ない。魅力的な登場人物が多いです。
だいぶ昔に読んでいた本ですが・・・この本とカラマーゾフを読んでいて人生が変わりました。つまり受験一ヶ月前に文転しました。それほどの強烈なインパクトのある作品です。
悪霊の
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