デミアン (新潮文庫)
デミアンを読んだ人はこんな本も読んでいます
デミアンを追加
デミアンの感想・レビュー(647)
各人にとってのほんとの天職は自分自身に達するというただ一事のみであり、ゆえにアプラクサスは各々の思想や夢のどの一つにだってさからいはしない。
こんなにカルトな話だったのか…。目覚めた主人公たちがテレパシーで交信したり予知夢をみたりする。オッド・ジョン的な超人SFの原型なのか。世界大戦は人類が生まれ変わるための試練みたいなことが書いてあってマジヤバイ。こう言うと悪口に聞こえるかもしれないが、過去の人々の感性を生々しく追体験出来たという意味ではすごく面白かった
『私は自分の中からひとりで出てこようとしたところのものを生きて見ようと欲したにすぎない。なぜそれがそんなに困難であったのか。』何年経ってもこの一文にギクリとさせられる。
小説というより哲学書な感じ。難しくって判らない部分が多かった。ウテナが好きで読みました。一文だけピンドラっぽいのもあったね。桜庭一樹も影響受けたそうで、最初の方はなんかなっとくした。悪童日記もちょっと思い出した。デミアンは悪魔扱いしたいのだが、多分違うのだろうな。うぅーむ。
結局どの著書においてもヘッセが書きたいことというのは「自分であれ。そして自分を探求し続けよ」ということだと思うのですが、デミアンはそれが最もストレートに出ている作品だと思う。シンクレールはデミアンによって成長を遂げた。その結果デミアンはどうなったか。ラストの解釈には色々あるけれど、ただのモラトリアム期間を延長せんが為の自分探しんていうくだらないことをする前に、高校生くらいでこれは読んでおくべき。大人になって初読だと、確かに青臭い部分が鼻につくかも。
ん~難しい。前半はヘッセの前期の作品とも言える叙情的表現に富み繊細な少年心理を機微に表されており読み易く好きである。問題は後半だ。何となく理解できるのであるが何か理解ができていない気がする。
確実に言える事はヘッセは若い頃に1度は必ず読んでおくべき作家だという事。車輪の下しかり春の嵐しかりこのデミアンしかり。高校生の頃に読むのが望ましい(と、思う)大人になるとあれほど感銘を受けた言葉に青臭さやちょっとした反感のようなものを感じてしまうので損をする。もうちょっと歳をとって再読するとまた違うんだろうけど。有名な「卵の中から~」の箇所だけでも若いうちに是非読むべきだ。確かトーマスマンが言っていたと思うけど大人になるとどうもヘッセの観念的抽象的な部分が鼻についたり気恥ずかしさを感じたりするんだよね。
自己を問う究極の思弁小説。自己発見には孤独が付随する。少年時代の話はとても共感できた。しかし主人公が自己の悟りの境地に近づくにつれて僕の手の届かないところへいってしまった。「自分自身に近づくためには、その度に周りの殻を破っていかなければならない」。孤独を背負い込んでひたすら自己を追求していく覚悟「カインのしるし」を持つものはその殻を破ることができる。それよりもピストーリウスの完全に裸に孤独になりきれない弱い姿のほうが僕には近い気がする。多くのアベルはこのアンビバレントな感情の中にいるのかもしれない。
すごく好みの題材で、しかもシンクレールと自分とで考え方が重なるところもあり、シンクレールの気持ちを内面化して読んだので、とても楽しく読めました。自分の内面をみつめるという意味でも、まだ若いうちにこの本を読むことが出来て良かったと思いました。
善悪二元論の話。善と悪はつねに表裏一体で、その時代背景や宗教、思想、価値観などによって善が悪になったり、その逆に悪が善となることもある。そしていつの時代も革新派は異端の存在として扱われる。読んだのは実吉 捷郎氏の訳文。
少女革命ウテナの題材?になってるので読んでみました。形式にたより自己を誤魔化して生きれば綻びが生じるか、動物的に終っていく。自分の悪も善も受け入れて進む、それはとても孤独で不安定なことだけど――ってことでしょうか?アプラクサス的考えはある程度理解できたけど、最後の二章は…?再読して考えてみたい深く深く楽しめる、そんな本。でも本に表層的娯楽を求める人には勧めない。
自覚したら、もう魂を生きるしかない。 自分自身になること、自分に還ること。 今まで持っていると思っていた自我は不安定であることが、読むほどに痛感される。 訳は岩波文庫版が好きかな。
夏目漱石の行人に続き、人生を変える一冊になるかもしれない。心の奥底を見てしまった気がする。見たからには降りて行くしかない。降りないと100%自分自身になることはできないから。蛙や牛ののまま、自分自身になれないまま生涯を終わることになるだろう。ああ人生で一番孤独を感じてる。私はどこに足を踏み出せばいいのか。「僕たちの道はつらいよ、でも行こうじゃないか」
時代背景の違い、という文学の持つ欠点を大きく抱えてはいるものの、戦後の価値観の喪失を描いた作品とみなせばよい。そんな頽廃的な雰囲気の中、幸福はどこにあるのか、というヘッセ的な観念を用いたもので、世間でいう悪と全の両方を否定すべきではない、というのが作中の究極的な答えである。戦争とは関係なくとも、自分の他人のそれはとは違う生き方・価値観を抱え、その孤独に悩んでいる人は、一度は読むべきだと思う。ただし抽象的で結構わかりづらいので注意。
この本は読んでて聖書みたいだなあと感じました。「ただ運命というきわめて孤立的な事柄を、こんなに多くの人々と、全世界とともに体験しなければならないというのは、いちじるしいことだった。それもわるくなかった!」大戦時という今までの生活がいとも容易く崩壊する世界において、自分自身になる、運命を受け入れるという観念は一種の救いになったのではと思いました。また読みたいです。
前半が素晴らしかった。少年時代の幸福や、クローマーの支配、途中下落しながらもデミアンに導かれながら真の自己自身へ進んでいくシンクレール。車輪の下と同様、内面への道が重要ではあるが、内と外は切り離せない密接な関係ではないだろうか。最後は幻想的で良かった。「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。」
孤独で繊細な人ほど共感できるのではないでしょうか。 この小説は人と違う孤独な生き方を肯定してくれるので、私のような人間にはある程度心地よいものではありました。しかし、いかんせん終盤に近づくにつれ神秘主義的な傾向が強くなり人を選びます。因みに私はダメでした。ニーチェが好きな人は好きなんじゃないでしょうか。悩み多き十代にオススメだがいかんせん読みにくい。
読んでいて萩尾望都の『トーマの心臓』はもとい、幾原邦彦の『少女革命ウテナ』が脳内再生されっぱなし。目次だけ眺めると村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』みたいにもみえる。前半部分のヘッセの幼少時代の挿話が素晴らしく、後半は昨今のセカイ系作品に受け継がれた部分がある。ヘッセの時代は世界大戦があり、「終わりの始まり」は時代的な兆候に後押しされていることが伺える。
自分の人生を歩むことは、自分自身になるということ。同類なんていないのだから、恐ろしいほど孤独な道である。道徳や規律、宗教等、既存のものに従って普通に生きていく方がよっぽど楽だ。一体どれくらいの人が、この主人公やニーチェのような生き方をしようと思うだろうか。
再読(5年振り!)。世論に身を任せて生きていると、世の中に大きな変化があった時に戸惑ってしまう。自分の信じた通りに(それが世間のいう良いことか悪いことかは関係ない)淀みなく動く一点を貫けば時代の激動に耐えうる。自己や人間の本質に迫る自己探求の書。ってなかんじ?二度目のほうが楽しんで読めた。これは三度目トライしないわけにはいかん。
みたまえ、すべての人間は自分の理想が脅かされると、信じられないほどのことをする用意がある。しかし、新しい理想、新しいおそらくは危険な無気味な成長の刺激がおとなう場合には、だれも居あわさない。そういう場合に居あわせて共に進む少数のものに、ぼくたちはなろう。そのためにぼくたちはしるしづけられているのだ。
一章を読み始めた時から、「陰気」「病」といった否定的な言葉しかちらつかない。デミアンとの出会いをきっかけに、自己を考える語り手のシンクレール。宗教的という印象を超え、もはや私にとってはカルトの域。一番まともな登場人物はどう考えてもシンクレールを脅したフランツ・クローマーでしょ!!!!自己を問うというテーマでは現代に通じるものはあるのかもしれませんが、個人的には好きじゃないかな〜〜。
3年前くらいに読みました。きっかけは三浦綾子さんの著書の引用からです。自分は本当の自分にどれほど近づくことができるのだろうか?自分自身を突き詰めた先では、もしかすると自分が他者と別個に存在しているというのは思い込みで、すべてつながっているのかもしれない。
難しい。徹底的に自分の事について考える。それを文字に表している。「二つの世界」の概念は同意する事が出来ると思う。誰もが何かになろうとして、何者にもなることが出来ない人もいて、結局は自分自身になることが出来る人も少ない。その自分自身とは何であるのかを探す、求めるためには明るい世界だけではもちろん不完全となるし、暗い世界では困難を極める。 荒野を切り開く少年と成年の物語と言えると思う。 女の子の成長はどんな話なんだろうね。
社会的に生きるということが自己と向き合うこと、と考えさせられている現代では理解しにくい作品であるように思います。しかし結論は違えど、現代人においても運命的な自己に向き合うということは決して逃れることのできない命題であるでしょう。
「すべての人間の生活は、自己自身への道である~(略)~どんな人もかつて完全に彼自身ではなかった(9頁)」だから「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという(136頁)」になる。シンクレールはなれたみたいだね。
罪と闘い、苦悩しながらも、自己自身になること、自己以外は知り得ないこと、だが、世界と交錯することができること、それらをデミアンら指導者に助言や導きを受け、シンクレールは見出していく。また、ピストーリウスのように、自分の運命を理解しながらも、受け入れられない無常さも対比的に描かれる。そして、戦争という破壊の極限状況で、共通の母としての女神を見出し、自分の心の鏡の中に精神的な象徴であるデミアンを見られるに至るという、自己自身や運命を探求する孤独と過酷さや、高い新たな世界の可能性を提示した作品だった。
訳文が古くて読みづらい。後半で抽象的な話になってくると特にきびしく、全く意味不明の箇所もちらほら。せっかくの作品がこれではもったいない。訳者が高名で権威ある方だったのは分かるが既に賞味期限は切れており、なぜいまだに訳者を替えないのか疑問。
結局デミアンとはもう一人の自己の象徴だったのでしょうか。ラストシーンが幻想的で切ない。キリスト教の知識がほぼ無いので、おいてけぼりを食らったし、ツマンネと思うこともあったけど、思春期の私には沢山響く言葉が見つかって良かった。自己を導くのはいつでも自己である、うむ。
デミアンの
%
感想・レビュー:153件














ナイス!
































