不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)
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不実な美女か貞淑な醜女の感想・レビュー(257)
面白かった!名著!著者の米原さんを知らないと、このタイトルから『女子力』とか『モテ』本と思うかもしれない。さにあらず。日露同時通訳者として日々『貞淑な美女』な通訳を目指して活躍した著者が、通訳の裏話や技術を余すことなく披露している。米原さんの日本語が簡潔ながら語彙が豊富なのも納得。また、通訳の仕事の実情を語っているので、この本をきっかけに目指す人もいるんじゃないかなぁ。米原さんの才能が煌めくすごい本。
★★漠然と通訳に憧れることもあったけど、彼女の頭の回転の速さ、知識量、それを得るための努力を知って、儚い夢が砕け散りました。。本当に早すぎる死が悔やまれます。
同時通訳にまつわる理論や哲学といった難解なテーマを、豊富なボキャブラリーとウィットに富んだ軽快な文章でつづり、合間に織り込む小咄的な引用と、読んでいる者を飽きさせない秀逸な一冊。きっとあなたは、ほくそ笑まずには読めないでしょう。(笑)
図書館から。あの嘘つきアーニャを書いた米原さんが語る通訳・通訳者…面白くないわけがない(笑)小噺的に面白い話から、言葉の奥深さの面白さ(難しさ)まで、まさに米原さんならではの一冊!
通訳という仕事に対する熱意、理論、裏話そしていいわけ等、さまざまな切り口から言語や異文化コミュニケーションを語る。皮肉や自虐ユーモアもタップリ。
言語とコミュニケーション、自己と他者について考えさせられる作品。異文化間のコミュニケーションであっても、言葉が通じずとも気持ちが通じ合うことはある。しかし政治やビジネスといった場においては気持ちが通じずとも言葉で伝えるべきことが多分にある。そのため異言語間を繋ぐ存在である通訳者・翻訳者はパスをつなぐように言葉をつなぎ、溝を埋めるように文化の違いを言葉で埋めなければならない。作者の早過ぎる死が改めて悔やまれる名作。
母国語をどれだけ正確に使えているかと言う部分にうなる。自分が受けた日本式教育の○×式の問題点と仮に論述筆記にしたところでの対応できる教師不在がまた不安になる(なぜ○×式になったのかは別著書で分析されていた/大学進学に伴い論述力の無さを自覚したのもある) 通訳は異文化交流でもあるが、それを担保に相手を言質を取ったりせず理解者ではあるが、あくまで第三者として構成に中立に(?)変換し伝える努力は並大抵ではない事が分かる一冊。
日露同時通訳者の本。日露以外の通訳者エピソードも含めて、言葉を同時に訳す=文脈、文化理解も欠かせられない難しさがわかりやすい。
ロシア語通訳者の内幕。コミュニケーションとは、日本語とは。文化背景の異なる民族が交渉を持つ際の案内役、通訳の実情を楽しく実例を出しつつ紹介。面白い一冊。
夏休み第一弾。ロシア語翻訳家。まず何より語学に対する造詣の深さが感じられる。翻訳技術の深さや立場。文化の違いによるトラブルなど、面白い話が次々に繰り出される。失敗談を赤裸々に語っていて、米原さんの人間性の大きさを感じさせられました。
通訳にまつわるエッセイで、「言葉」というものについて色々考えさせられ、通訳を使う人・他言語学習者は特に得るもの多そう。なにより笑える。失敗談が多々紹介されるが、著者の努力・研鑽は並大抵ではないことが逆に伺える。自己弁護に終始し辟易した『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』とはえらい差。国益・社益がかかる現場にいた人とそうでない人の違いだろうか。母国語の重要性を説くが、彼女がプラハ・ソビエト学校で受けた授業からすると、日本は十分な母国語教育が出来ていると言えるのだろうか。
たとえ通訳の世界に興味がなくても、たとえロシアに全く関心がなくたって、純粋に楽しめる絶妙エッセイ。 米原エッセイは、犬猫の話、ロシアの話、チェコの子ども時代の話と色々取り上げられていますが、本業である通訳について書かれた本書が必読では。 語り口はライトで読みやすいですが、通訳論としての内容は非常に重く、考えさせられます。 外国語を学んではじめて、母国語を客観的に捉えられるようになる。英語すら満足に喋れない私の場合、そもそも日本語すら満足に扱えているのかしら?
同時通訳の難しさ、面白さについて軽妙に描かれた楽しいエッセイ。早期の英語教育に対する批判はしっかりと受け止めるべきだと思う。特に文科省の皆さま!!
通訳の世界が伝わってくるおもしろエッセイ。『不実な美女』=適当に訳された美しい日本語。『貞淑な醜女』=キッチリ本筋を掴んで訳された可笑しな日本語。めざすべきところは当然『貞淑な美女』となる。ダジャレは特に辛そうだよな。笑いが起こらなければ、雇用者に本当にうまく訳してくれてるのか不安を抱かせそうだしね。
通訳の舞台裏が、非常に興味深く描かれています。通訳の世界だけでなく、日常生活の中で同じ日本語を話していても起こる共感や誤解に当てはめる事が出来るのではないでしょうか。そして言葉が繋いでいるのは、人と人。その人の後ろには様々な状況や立場、性格や習慣があることに気付かされます。
題名のインパクトとは裏腹に、中身はマトモ・・・もとい、真面目な本。一般にはあまり知られていない、「通訳」というお仕事について、微に入り細に入り書かれています。私のような一般人が、似たような仕事だと思いがちな通訳業と翻訳業の違いも、漫画家とアニメーター並に異なるということがよく分かりました!これからは同時通訳の方を見る目が変わりそうです。面白く読み応えもあり、大変満足な1冊でした!
癖の強い文章はそのまま彼女という人の激しさを表しているよう。通訳論であり異文化交流論であり。実地で鍛えられそれにごまかしなく向き合った人だからこその着眼点ですね。名著!
読んで良かった!ただの「通訳の裏側を書いた面白エッセイ」って言葉じゃ足りなさすぎ。言葉とは?文化とは?という問いに、筆者の通訳など今までの経験から導き出した考察が抜群の文章で書かれてる。論理的に分かりやすく具体的に書かれているので著者の主張が良く分かる。しかもユーモアたっぷりで面白い。個人的には、言葉と国民性(文化)、母国語の重要性、記憶についての記述が特に興味深かった。言葉や文化、コミュニケーションに興味のある方ならこの本は「気づき」の宝庫です。とりあえず、日本語の良い使い手になりたいと思わされました。
とっても面白かった。でもこの人の本はついついいろんなことを考えてしまう。ケラケラ笑いながら深い意味に気づいたり、著者のスケールの大きさに毎度びっくりする。大胆・真摯、爽快・・・どれでも言い尽くせないな・・・。もっといろんな著者の言葉を聞きたかったです・・。
通訳という仕事を知る事も出来るし、通訳という仕事を通して言語や国ということも考えさせられる、ホントによく書けてる本だと思う。結局、母国語がしっかりしてなければ外国語も身につかないものなんだね。
「〜アーニャの真っ赤な真実」と一緒にお借りした1冊。通訳者ならではの抱腹絶倒なグローバルエッセイとして読むも良し、自己啓発意識を高めるテキストとして読むも良し。語学が堪能だからといって優秀な通訳になれる、とは限らない。緩くさらりと笑い飛ばしながら、今流行りのドラッガー理念も随所に盛り込まれた(作者が意図的に盛り込んだのではなく、根本理念は同じって事ね)超お得な1冊。「〜真っ赤な真実」と合わせて読んだからこそ、より感慨深いのかな。
まずはきれいな日本語が話せることが重要.話術を極めている落語家を模範にするという話があったが,教師同様,通訳にもそういう能力が必要だったのか.それは,落語を耳から聞いたり,声に出して真似したりすることで身につくのだろうか.
タイトルでないなぁ・・・・と思っていましたが、良書。ロシア語通訳者が書いた、同時通訳者の頭の中の世界。外国語を学ぶと、自国語を学ぶ。これは確かに正しいのかもしれません。寸劇が特に笑えます^^ 外国語に興味がある人にはいいですねー! 院試には意訳が欠かせないので、そういう意味でもためになりました。
いやぁ抱腹絶倒のエッセイだった。通訳者や翻訳者はその言語に必ずしも“完璧に”通じているわけではない。そこには様々な失敗談も存在する。本書は外国語学習に関しても有用なエッセンスがたくさん詰まっていると思う。また、英語偏重主義もさることながら、まず母国語である日本語ありきなのだなと改めて思い知らされた。
ロシア語通訳者が書いた通訳や翻訳についてのエッセイ。実体験、小咄、通訳者の文章の引用などが詰め込まれていて情報量が多い。笑えるけどちょっと下ネタがきついかな。「おまえの母ちゃん出べそ」にそんな意味が含まれてるかもしれないなんて考えたこともなかった。発言者に殺意を抱くことがある、など本音が書かれているので雇う側の人が読んだら気が重くなりそう。
面白かった、というより大雑把に楽しかった。不実な美女か貞淑な醜女(しこめで変換出来ないのは何故かしら?)か、というのは何もどちらが正しいか、という話ではなくて、翻訳の世界ではどちらもありうるという例え。日本語の挨拶なんて翻訳いらんわ、というのは他文化に行くと確かに仕方ない気がしないでもない。そして同時通訳は終わると同時に踏み倒されかねないからね、というアドバイスが妙に生々しい。正直、ブルガリアの迷翻訳の話は私は信じていた気が、、、なんてこった。
優秀な通訳の美しい日本語は言わずもがなとしても、ここまでおもしろみのある文章が書けるというのは、一重にその人の魅力だと思う。解説ももまた秀逸。カナダのAIP時代を思い出す。
「通訳者の文章とはこういうものか」と感心することしきり。通訳者は相手に正確に意図を伝えることが仕事。それゆえ、己から一歩退いた客観がある。そこには独りよがりの耽溺や文学性(あるいは芸術性)は入りこむ余地がない。非情に明快かつ深遠な真理がすうーっと頭の中にしみ込んでくる。ちなみに私にとって、独りよがりの耽溺や文学性をふりまわしているとおもわれる作家は、失礼ながら大江健三郎氏であり、高橋源一郎氏であったりする。
不実な美女か貞淑な醜女の
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