智恵子抄 (新潮文庫)
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智恵子抄の感想・レビュー(381)
智恵子抄が大好き。智恵子の人となりを想像することができる。智恵子は別段美人なわけではないけれど、優しく嫋やかで芯のある凛とした女性であったんだと、少なくとも高村光太郎にはそういう女性だったんだろうな。愛より愛情を強く感じる
★★★/古い言葉の中にたまに出てくる現代語にはっとさせられる(『あなたはだんだんきれいになる』とか)。でも一番はやっぱり『レモン哀歌』でしょうか。「そんなにもあなたはレモンを待つてゐた/かなしく白くあかるい死の床で」 『報告(智恵子に)』も印象的。「あの苦しみをもたないわれわれの変革を/あなたに報告するのはつらいことです」
レモン哀歌がぐっときます。 それからひと時 昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして あなたの機関はそれなり止まつた 写真の前に挿した桜の花かげに すずしく光るレモンを今日も置かう
特に印象に残った部分はP83の「天然の向うへ行つてしまった智恵子」と、P85の「もう人間界の切符を持たない。」です。一件、妻を全く人間でないと、冷たく言い放っているように思えますが、こう表現せざるをえないほど、智恵子さんが病んでいて、高村氏もそれだけ辛い思いをしていたのでしょう。智恵子が死んだ時、「俺の作品を見てくれる人がいない」と知人に嘆いた高村氏。その彼の悲しみがひしひしと伝わる詩集でした。
教科書等で「あどけない話」「レモン哀歌」は見たことがあったが、詩集としてはじめから終いまで読む事の大切さをかんじた。打たれたような強い感動、はりつめた悲しさ、美しさは、抜粋された詩を読んだ時には感じられなかった。
二人の過程をおう順なので、だんだん変っていくような、変わらないような様をとても感じました。ただ誰か一人、信じてくれる、信じられる大切な人がいることは、本当に幸せで、それだけでなんでもよいなあと思う。
『深夜の雪』や『ひとに』もいいが、やはり『あどけない話』。今でも鮮明に記憶に残るいい詩。残念だが私にはこのような空の記憶はない・・・。羨ましい。ただ、実はこの詩が智恵子の苦しみを表していたらしいことを知ったのは高校受験後。今回再読して以前より理解度が深まった気がする。年齢のせいかな・・・。いい本だ。
再読。「人に」(いやなんです)「人に」(遊びじゃない)「あどけない話」に心打たれ、強い憧れを抱きました。愛しぬく姿は実に美しい。
素敵。美しい。純粋な思いが伝わってくる。けどいまいち入り込めない…この詩の本質も理解できていない感じがする。もっと年取って素敵な人を見つけたら再読したい^^
詩なんてまったく興味のなかった中学時代お小遣をかき集めて買った初めての詩集でした。10年以上たった今読み返しても涙が出ます。この詩集のおかげで本が好きになって本を作る仕事に就いたのだから、本当にこの一冊で人生変えられました。できる事ならこの詩を読んだ智恵子さんの感想を聞きたいです。
「智恵子抄」を読んでいると智恵子の青い炎のような一途さと、光太郎の深いまなざしに心が洗われる気がしてくる。光太郎が智恵子との生活をいかに感じ、考えているかが詩篇の端々からほとばしっている。波が動いているといってもいい。でもこれはあくまでも光太郎の視点で、智恵子の感性ではない。智恵子の感性は、始めにある切り絵から少し見える気がするけど、そこには光太郎の存在をほとんど感じない。もし智恵子が詩を書いたならどんなことを書いただろう?
東京を訪れて空を見上げるといつも、智恵子の言った「東京には空がない」という言葉を思い出す。なんというか、空と地面の距離がすごく近くて、圧迫されてるみたいに感じちゃうんだよなぁ。何日か滞在すると、それにも慣れてきちゃうけれど。
高校の頃は読んでもなんとも思わなかったけれども10年たち、再び読んだら凄い詩なんだなと驚いた。 ここまで切々と純粋に愛を込めれるなんて。 彼女自身の情熱も、挫折も大人になるとゾクゾク伝わってきた。 上手くいえないのでモゴモゴするけども、本当に読み直して発見が多かったです。 高村光太郎のお父さんに関係する本を先日読んだので、まさか息子だとは…!でした。
高村光太郎が、生涯を通して妻・智恵子に宛てた恋文の数々と言えるだろうか。 恋愛とはどのようなものか。 そのすがたが詩というかたちになり、共感がこころを揺るがす。 智恵子が死してなお、「もしあなたがここにいたなら」を想像する高村光太郎の心中を想像すると悲しく切ないが、同時に憧れだ。 生涯を通して智恵子を愛し続けるそのひたむきさは、代替がなくまさに唯一無二であり、 高村は智恵子に比べると自分は濁っていると語っていたが、智恵子に捧ぐ愛は純粋そのものだ。 青春時代、結婚生活、妻の精神分裂、そして死。 彼は苦し
智恵子を想う気持ちが雪の結晶みたいに清らかに結実した美しい詩の数々。読んでいて胸にスーッと気持ちよくしみこんできた。智恵子のことも、作者の光太郎のことも読んでいてとても愛おしくなった。この詩集はひたむきで悲しくて、それゆえ美しい。
芸術家 高村光太郎が愛妻の千恵子と出会い、死に別れ、再び千恵子と出会うまでのお話。二十歳の頃に聞かされた詩『あどけない話』が印象的で、ずっと読んでみたかった。彼は千恵子をすべての自然の中に見いだした。言葉にすると薄っぺらいかもしれませんが、それは心のなかに彼女が生きているということでしょうか。大切な人を失えば多くの人が行き着く答えかもしれない。だけどその人にとってだけ意味のある答え。それが書かれているように感じました。
やはり私は詩と相性がよくないかなあ、と。読んでいてだんだん真剣に向き合おうという気持ちが薄れてきてしまう。なんとなく文章から言いたいことは分かるが、私にはそこに込められたメッセージのようなものを感じ取ることができない。
青空文庫で読了。自称詩人のくせに、実は読んだことなかった(汗)。創ってる詩の系統が違うから、何も可笑しいことないんだけども・・・。イイと思うのもあるけども、全体的には分からんや(笑)。
何度読み返したことだろうか。10代、20代、30代と読むたびに心ひかれる詩が違う。おそらくこれから読んでいっても心ひかれる詩が異なるのだろう。いつも変わらずやはりすごいなというのは「レモン哀歌」。10代、20代では直接的な愛を歌った「いやなんです」「人に」が好きだったが、30代後半になろうとする今、「あなたはだんだんきれいになる」や智恵子死後の「梅酒」が心にストレートに入ってくる。座右の書。
レモン哀歌が読みたくて借りた本です。 全てを読んだ上で、やはりレモン哀歌が一番爽やかで綺麗で、悲しい。 草野心平さんの話にもあったように、高村光太郎がいかに智恵子夫人を愛していたかが分かる詩集でした。 彼の芸術はただ彼女の為に。 そんな風に人を愛する人が、お話の中ではなく実際に生きていたんだなと考えると感慨深くなりました。
恋人の智恵子。妻の智恵子。病の妻。先にいなくなる妻。始めて会ってから、死別後も、光太郎の智恵子へのそれは一切ぶれない。妻がどのような状況になっても。それどころか、強くなっていく一方に感じる。元気だった時、智恵子がどれ程の思いで光太郎に尽くしたのか。光太郎の一貫した愛情。名画でも見ているような気持ちになりました。いつも光太郎にとって、智恵子の存在は当たり前ではない。なぜ、光太郎はここまで真っ直ぐ妻を思えたのか。夫婦を考える時、必ずまた開くことになると思います。光太郎の語る「智恵子の半生」は言葉がありません。
詩はニガテ。でも、そうか、日本語のだと「原文」なんだから、かなり読みやすくなりますね・・・・! ひたすらに、妻 智恵子への愛が痛いほど伝わってくる詩集。亡くなってからは、やはり作風もすこしずつ変わっていくものですね。 20数年の結婚生活を経て、亡くなった後もひたすら愛し続けるのは素敵。
なにか、ふと読みたくなって書店で購入ス。ぁ、苦手な詩集だったのね。P127の「智恵子の半生」から先に読む。出会い、想い、支え、別れ。そして、死してもなお思い続ける一途な愛、愛する人。愛に満ちた人生を送る幸せ。最初から、詩を改めて読む。出会い、恋、美術と生活、看病、別れ、あの頃・・・しみじみと読みました。ちなみに、我が妻は「智恵子」という名前也。共に、はや22年、ずいぶん苦・・・この先どんな人生を歩むのでしょう。
智恵子抄の
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感想・レビュー:101件














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