ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉 (新潮文庫)
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ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉の感想・レビュー(214)
コンスタンティヌス、嫌いだなー。何とも大人げない感想になってしまうが。自分自身が一神教が嫌いな理由、前巻あたりからわかってきた。「他者を容認しない」、この一点が一神教と多神教の違いなのだ。
コンスタンティヌスの巻。「これほどまでして、ローマ帝国は生き延びねばならなかったのであろうか」。うーん確かに。パクス・ロマーナを実現してこそのローマだった。幾人もの皇帝たちが多大な犠牲と努力を払っても、すでに偉大だった時代の輝きは遠い…。ローマがローマでなくなってしまった以上、ますます輝きは消えていくんだろう。
辻邦生の「背教者ユリアヌス」を読んでいたのでこの辺りは、面白かった(歴史を読むという意味ではちょっと変則かもしれないけれど)。ここはコンスタンティヌスの巻。ユリアヌスは次章か。しかし、閉塞感漂っているな。
このシリーズ初期はすらすらと楽しく読めていたのに、今はもうページをめくるたびにしょんぼりしてしまいます。まさに題名どおり「最後の努力」!ここで読むのをやめちゃうのは嫌だし、なんとか頑張りました。ローマを全く別の形に変えてまで、ローマを存続させたい気持ちは解りますが、見ていてホントに痛々しいです。それでも、最後まで見届けたいので、あと残り6冊も読みたいと思います。
ナイス! ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ -
コメント(6)
- 11/24
これまで、どんなに皇帝が乱立してもそれなりに面白く読めた。しかし、コンスタンティヌスとキリスト教のローマ帝国は既にローマ帝国ではなく、読み続けるのが本当に辛い。カエサルが描いた帝国は、死んでしまった。
「これほどまでして、ローマ帝国は生き延びねばならなかったのであろうか」に尽きる。 ここでキリスト教が隆盛したおかげで歴史がどれほど変わったか……
コンスタンティヌスはローマ帝国にとっての大帝ではなく、あくまでもキリスト教にとっての大帝であった…という思いは、本書を読んだことでより一層確かなものとなりました。しかし同時に、「支配の道具」としてキリスト教に目をつけ、そして活用したという点については、紛れもなく偉大で才能溢れる君主だったのだ、ということもわかりました。古きよきローマを愛するあまり、キリスト教憎しな感覚に囚われつつありましたが、逆説的に、ローマを飲み込んだキリスト教は、いかにしてそれを成し遂げたのか…という部分にも面白さを感じつつあります。
ディオクレティアヌスからコンスタンティヌスが変えてしまったローマ帝国。私が小さい頃、毎日教会で唱えていた「ニケーア信経」はコンスタンティヌスが深く介入していたものだったのね、タメイキ・・・。最後に塩野さんはこう書き留めている。「ここまでしてローマは生き延びねばならなかったのか」私も同感である。あと、シリーズは二つあるのだが、ここまでどんよりして読んだ以上、また少し時間をおいて読むことにしたい。 それにしても、「パクス・ロマーナ」の頃の冴え冴えとした皇帝たちが懐かしい。
コンスタンティヌスの底冷えするような政治力が光る一冊。こえぇ。塩野七生が彼を好きでないのか人間味のある描写が少なすぎる…。時代に合わせて柔軟に政体を変えてきたローマ。生き延びてほしいけど既に別の国な気も…。微妙な気持ちだ。
ミラノ勅令ってキリストを国教としたイメージがあったけど、そうでもないのな。いろいろなものを取り込んで成長した“ローマ的”が限界を超えてふくらみ、まとまりを見失ったとき、人々をまとめる最後の手として神を持ち出したのだろうか。死の直前まで洗礼を受けなかったというし、皇帝本人は神よりも国を愛した偉大なローマ人の一人と言っていいのでは?
コンスタンティヌスによる新たな首都、「新たなローマ」作り。著者の言うように、本当に皇帝の権威権力を高める神授王権への布石としてキリスト教の厚遇を実行していたのだとしたら、とんでもない天才だこの人。
歴史のターニングポイントのリーダー、コンスタンティヌス
新たな帝国の首都。
閉塞感ただよう社会。
崩れる安全保障。
重税
キリスト教
etc.
悲しいかなパクスロマーナは戻って来なかった。
このシリーズを
日本のリーダー達はどう読むのだろう…
「これほどまでして、ローマ帝国は生き延びねばならなかったのであろうか」…だんだんに国家の形を変えていくローマ帝国。対処療法にしか見えない、グランドデザインなき国家運営。合理的かつしたたかな対キリスト教政策。読めば読むほど、コンスタンティヌスという人が何を考えているのか分からなくなるのでした。それより印象的だったフレーズ。「中年の女の恋は、若い女の場合のように夢からではなく、絶望から生まれるものなのである」…深い…
35巻の感想で「この国をローマと呼ぶ事に抵抗を感じる」と書いたが、なるほど「中世はコンスタンティヌスから始まった」と考えると合点がいく。平安の律令制度が封建制度になろうとも、明治維新と敗戦を通過しようとも、日本は日本って事だ。つまり4世紀のローマは、サムライのいなくなった日本のようなもの、と理解すればいいのか。しかし「これほどまでして、ローマ帝国は生き延びねばならなかったのであろうか」
我が憧れのローマをローマでなくした皇帝は数あれど、とどめを刺したのがコンスタンティヌス。しかし、キリスト教による統治を発想した憎いほどの政治力には唸らざるを得ない。
世襲制への権威付けとしてキリスト教が選択されたというのは突飛過ぎて腑に落ちない。中世を暗黒時代のようにいうのもよくない。いずれにせよ盛者必衰の理があらはれていますよ。
国を国としてどのように存続させるのかという点で含蓄のある一冊。キリスト教を国の根幹すえたことで中世から現代に続く世界に枠組みを与えたことは紛れもない事実。ただ非キリスト教の立場でローマ後の世界を見れば、いろいろ問題があったとは思う。が、後出しじゃんけんは意味がないですね。後、非キリスト的な行いを行った後で洗礼を受けたとするコンスタンティヌスのやり方は思わず笑ってしまった。人間心理的にも政治的にもうまいやり方ですな。
早くも四頭政が崩れ、絶対君主に君臨したコンスタンティヌス帝。帝国首都をローマからコンスタンティノープルに移し、新たな首都として確立する。キリスト教という一神教を公認し、自らが神のごとく存在として帝国を統治しようとする。しかしそれはもはやローマらしさが薄れている印象あり。
ローマがコンスタンティヌスによってキリスト教化されていく様子を著している。キリスト教自体の教えは大変素晴らしいが、政治と絡んでしまい、行為を正当化する為の「言葉」として使われるときは、本当にひどいものだ。
やはりコンスタンティヌスは何を考えていたのだろうかという気がします。ローマ帝国は,首都がローマでなくなった瞬間に消えてしまったと考えていいのではないでしょうか。
この巻は「最後の努力」という枠に入るのかどうか。巻末のコンスタンティヌスとキリスト教のかかわりについての部分がキモ。ここまで読んで、カラカラが帝位につかなければ歴史は変わっていたかもしれないな、などと思う。
気になる一文:権力を取り上げれば役割も、そして役割があるからこそ生まれる自尊心も、自然に消滅していく/中年の女の恋は、若い女の場合のように夢からではなく、絶望から生まれるものなのである/これほどまでして、ローマ帝国は生き延びなければならなかったのであろうか
中世がそこまできていて寂しい。それが現実的には一代限りしか続かない政策ばかりだったのかもしれないが、退位してゆっくり自らがつくったシステムがローマを再興していくところを見ていたかったであろうディオクレティアヌスは、そのシステムが目の前で崩壊していくのをどのような思いで見つめ続けたのか。それだけではなく妻と娘を後任の皇帝に殺されている。彼はどれだけ無念だったろうかと思う。また権力を譲り渡してしまうことの恐ろしさにも思い至った。中世ローマのバックボーンはローマ帝国理念とキリスト教だと考えているが、コンスタンテ
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