ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉を読んだ人はこんな本も読んでいます
ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉を追加
ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉の感想・レビュー(213)
この巻は、コンスタンティヌスの凱旋門、それに尽きる。凱旋門なのに、後世から見れば凋落の象徴となってしまっているのは悲しすぎる。この門を見上げたコンスタンティヌスは、そんなことにも気づかなかったのだ。
敗者すらも同化するというローマ精神も、ついに、その再生産性を失ったのだ。取り込み、取り込みをしていくうちに、ローマ人らしさも薄まっていったのだろう。
いろんなテイストで彫刻を施すんだなあと思って見上げたコンスタンティヌスの凱旋門、あれパッチワークだったのか…。造形技術にしても戦い方にしても統治の仕方にしても、以前のような精神性がなくなり、幼くなっている気がする。
信教の自由か、国法の順守か。多神教の国家だったローマが、キリスト教を容認したことから後世のキリスト教史観では「大帝」と呼ばれるコンスタンティヌスだが、凱旋門がパッチワークとは。
塩野さんごめんなさい。ローマ人の物語は前半、特にハンニバルやカエサルあたりは、面白くてどんどん読み進められたのに、この本は前巻から1年近く積読したままでした。この巻はコンスタンティヌスの時代なので、久しぶりに楽しめました。コンスタンティヌス帝の凱旋門の写真入り彫刻の解説は特に興味深かったです。実際にローマで凱旋門見た時には、ちゃんと見ていなかったのが残念ですが、なるほどパッチワークみたいです。この巻ではミラノ勅令が出されて、信教の自由が認められます。それって凄いことですよね!
ナイス! ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ -
コメント(0)
- 09/08
稚拙な彫刻が雄弁に物語るものは。自由は人間の心を豊かにする。進化とは継続性、そのための自由は、安全に基づく。自由をシステム化したパクス•ロマーナに想いをはせる。ケネディはパクス•アメリカーナを否定したが、自由は一個人が勝ち取れるものなのだろうか。
ローマとは何なのか、という疑問が近頃ずっと頭を占めています。宗教の輪をのけたローマは、ローマに則りつつ、ローマから離れていきます。ローマ化されえないものに対してローマを示すことに対しての反応は、蛮族もキリスト教も同じではないでしょうか。
どういうわけか塩野さんの筆も心もちにぶりがちのようだ。読むほうも何だか辛い。タイトルは「最後の努力」とはいうけれど、ローマの本来の明晰な思考や寛容さは消え失せ、中世特有の頑迷で狭隘な一神教のキリスト教が支配する。ローマは最後には蛮族に敗れるのはなく、内部から崩壊してゆく。かつてカルタゴを破ったスキピオ・アフリカヌスにハンニバルは言った。「今は勝利に酔いしれているがいい。しかし、おまえの国もいつかはカルタゴのように滅びる日も来るのだ」と。う~~ん、まさに奢れるものは久しからず。盛者必衰の理をあらわす、です。
この巻で何よりも特筆したくなるのは、やはりなんといっても「パッチワークの凱旋門」でしょう。これにたっぷりとページ数を割いて写真を掲載してくださった塩野さんに心から感謝したいです。そこに映しだされた、ローマの美術力の、造形力の、意志の力の、ひいてはローマの国力の、そしてローマ市民の誇りの、驚愕的なまでの凋落の跡。少し前まであれほどまでに力強く美しい彫刻や建造物を造っていた民族が、いったいどうしてしまったのかと、涙が出そうになります。「安全」が失われるということが何を意味するのか、痛いほどによくわかりました。
四頭政体下の、帝位を巡る内乱の時期。皇帝それぞれが配下に軍事力を抱えて各担当地域を掌握する様はもはや群雄割拠と言うより他なく、五賢帝時代に帝国全域で謳歌していたパクスが遠い過去のことの様。
コンスタンティヌスが唯一の皇帝になるまでの話
凱旋門の彫刻からも解る時代の移り変わり。
キリスト教の公認。
ローマ的ではないにしろローマ帝国は持ち直す。
テトラルキアもすぐに崩壊。内戦は軍団指揮に一日の長があるコンスタンティヌスが勝利する。 戦争は悲惨なものだが、それがはなっから頭にないという国家というのも、国民としては困りものではないだろうか。
キリスト教を公認したことで知られるコンスタンティヌス帝。前半はキリスト教そっちのけで権力闘争していた人だったとは…世界史の教科書が端折りすぎなのか、はたまた私が覚えていないだけなのか。坂道を転がり始めたローマ、それでも立て直そう、立て直そうとする人と、人々の物語。気付けば終盤です
あれほど多くのものを失って、外敵からの「平和」を得たのにもかかわらず、よりによって内乱が襲う。ディオクレティアヌスはどのような思いで眺めていたのだろう。そしてコンスタンティヌスによるキリスト教公認。「キリストの勝利」を読むための復習も大詰めというわけだ。彫刻技術の劣化がまた悲しい。
後の大帝コンスタンティヌスが、権力争いに勝利して唯一人のローマ皇帝となるまでを描いた巻です。歴史の表舞台に登場した当初は、4人いる皇帝のうちの1人でしかなかったコンスタンティヌスが、一体どのようにして権力争いに勝利したのか。丹念にひとつひとつの歴史事象を取り上げて検証していく手腕は、いつもながら見事です。また塩野さんの凄いところは、歴史上の人物の行動や政策などからその人柄を推測し、まるで読者がその人物をよく知っているような気にさせてしまうところです。
人間にとって幸不幸は自分にあった時代に生まれたかどうか、という言葉は末期のローマを読むと特に頷かざるを得ない。違う時代なら良い意味で歴史に名が残ったであろう特筆できる人材が、ことごとく消えていった。時代が人を作るのか、人が時代を作るのか。思わずそんなことを考えてしまう。すでにローマ帝国の総決算という印象の一冊。日が沈んでいく感じで、ローマの明るさがどんどん消えていく。これが日没なら千年続く中世という夜はちょっと長すぎる。
四頭政を確立し、蛮族の侵入を防ぎ、外部からの帝国崩壊を一時的にくい止められた。しかし、それも束の間、分割したがゆえに帝国をまとめる機能はなくなり、個別最適と権力闘争を促す。内乱続きのローマ帝国、そしてコンスタンティヌスのミラノ勅令により、ローマ宗教というゆるやかな輪がはずされ、ローマという共同体意識が消えていくことになる。
コンスタンティウスが死んで四頭政が崩壊して、ほぼコンスタンティヌス大帝の話。頭の良い人だったんだろうとは思うけどローマをこんだけ読んできた身としては、ローマがローマてなくなるのを確実にした人だけにあまり肩入れできずに読んだ かな。
コンスタンティヌスの凱旋門の写真にだいぶページを割いてあるが、つぎはぎだらけのこの凱旋門を見ればこの時代のローマがどんなものだったか分かる。
まさに読むほうも「最後の努力」。戦術に特筆すべきことはなくとも意味ならば多大にあったミルヴィウス橋の戦闘。つぎはぎだらけの美、コンスタンティヌスの凱旋門。
みなが自分のことしか考えない、「暗黒の中世」の扉を開けたのはコンスタンティヌスであることがよく分かる。今のローマ市民がローマ人でないのは当然としても、3世紀にはすでにローマ人はいなくなっていたんですね。
気になる一文:戦争と戦闘は同じではない。戦役なり戦争が何年にもわたって、しかも場所を変えて行われるものであるのに対し、戦闘は、一箇所で行われ、結果はその日のうちに判明する
4世紀。四頭制が崩壊し、内乱ののちコンスタンティヌスが権力を掌握。313年「ミラノ勅令」によりキリスト教が公認される。この巻で一番おもしろかったのは、パッチワーク凱旋門。塩野さんに「稚拙」と一蹴される4世紀の彫刻や浮彫の資料を見て唖然とした。あと、「ロジスティクス」の言葉にまつわるエピソードも興味深い。
ディオクレティアヌスが残した四頭政により内乱を招き、キリスト教世界から大帝と呼ばれることになるコンスタンティヌスが唯一の皇帝になるまでの章。 ディオクレティアヌスによって狂った歯車はどんどん誤差を産み、最早ローマとは呼べない物になっていく過程を追うのは悲しすぎる。 がしかしこの先がまだあるのだ。コンスタンティヌスの物語が。
何が悲しいって、図版に出てくる彫刻の出来の悪さですよ。カエサル、アウグストゥスやパクス・ロマーナの歴代皇帝の石像は芸術的で見ていてスカッとするくらい整い美しかったのに、なんじゃこりゃ!!なのが三世紀以降。
それ以前のローマ皇帝たちにあった気品が失われ、獰猛な獣じみた雰囲気に変わった。
ローマ軍の蛮族化が帝国滅亡の一因にあるかもしれませんが、こんな浅ましい空気を纏う彫刻しか残せない時代になっていたならば、と衰亡も致し方ないのかと思ってしまいます。
そして遂に来るべき時が。
ミラノ勅令。
帝国は
ディオクレティアヌスには統治能力も戦争遂行能力もあったのに、国の未来を創ることはできなかった。時代が違うのかもしれないが、アウグストゥスのように数百年に渡って通用し続けるシステムを作り上げるのにはまた別の能力が必要なんだろう。
ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉の
%
感想・レビュー:46件

















































