ローマ人の物語〈34〉迷走する帝国〈下〉 (新潮文庫 し 12-84)
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ローマ人の物語〈34〉迷走する帝国〈下〉の感想・レビュー(205)
最後のキリスト教論については、前回読んだ時は、ぴんと来ていなかった。 末世なんだな。しかし、日本では宗教が猛威をふるわなくて良かったな。織田信長が手荒くやってくれたおかげだな。
崩壊していく帝国を前に残念な気持ちになりながら読むんだろうなあと思ったら、さにあらず。どんなときでも優れた指導者はいて、帝国はなんとか帝国としての機能を維持し続ける。それぞれの皇帝の在任期間は短いが、皇帝らしい皇帝が何人か登場し、爽快感もあった。最終章のキリスト教の興隆について塩野さんが持論を展開するが、これも納得感の高い、ローマを研究した日本人ならではの観察眼だと思えた。
何で殺しちゃうかなぁ、アウレリアヌスとプロブスを。それだけ落日の帝国は人心も荒廃していたということか。暗雲垂れこめる時代、宗教が不安を抱えた人を取り込むのには絶好の機会だ。
混迷の時代とはいえ、指導力や実行力ある皇帝がいなかったわけではない。ただ、平和が脅かされ、人々の心が疑心暗鬼にかられていたせいか、それらの皇帝の在位期間も短く、しかも、暗殺などといった短絡的な手段によっていとも簡単に葬り去られてしまう。パクスが確立されていた時代ならば考えられないことだ。
どうしてこうも謀殺が続けられるのか。アウレリアヌスとプロブスになぜ時間が与えられなかったのか。という問いの答えは、平和が途絶え希望もなくなりつつあったということなのでしょう。皇帝になった者の多くは優秀でローマン・スピリットを忘れていませんでした。しかし、スピリットでさえも、逆説的になるかもしれませんが、パクスの上に成り立つものなのです。
「危機の三世紀」を通じて思うことは、よくここで帝国が消えてなくなってしまわなかったな…ということです。いえ、実は既に消えてなくなっていたのかもしれません。別のローマ史の著者は、この時代を「ローマの死屍の分解の歴史」と評しました。この「迷走する帝国」においても、少しずつではあっても確実に、ローマがローマでなくなっていく過程が描かれています。時期を同じくして勢力を増して行くキリスト教がまるで死神のよう…て、さすがにそんな風に見られたらキリスト教も迷惑かもしれませんがw遠くに中世の足音が聞こえてきた気がします。
いよいよ帝政も末期にさしかかり、文明としての古代ローマもクライマックスに突入。ここまで読み進めて、あれほどにも磐石に見えたパクスが揺らぎ、綻びを見せていく様を描いた記述には、感慨を抱かずにはいられない。
三世紀後半のローマ帝国の衰退は決定的だ。
ローマ帝国とキリスト教の章が考えさせられます。現実的な政策、インフラで築いて来た帝国であったので落日もまた察知し易かったのでは。パクスロマーナの頃はキリストは不要だったのです。困った時の神頼みの「神」が三世紀末という時代にフィット(というかむしろ浸食)したのがキリスト教だったのだ。
500年ぶりに首都を城壁で取り囲まざるを得ない、という現実を突きつけられたローマ市民。どう受け取ったのだろう?発奮か絶望か?キリストの救いにすがり始める姿からは、人間社会の困難は人間が切り開くという、ローマンスピリットは感じられない。「ローマはもはや老いた、以前はしっかりと大地に立っていた頑健な足も、今では老いて、自分自身の身体の重みをささえきれないでいる」ここまでローマを追ってきて、ただただ悲しい。
人材はいたし、それなりの結果も出た。ただ、それが定着させる時間を誰も与えられなかった。生まれる時期が違えば名君になっていたのではないかと思える人もいたのに…。元老院、軍、市民がバラバラに自分達のために動いている。ローマを強いローマたらしめていたのが利害を超えた社会の結びつき。それが目に見えて失われてきた結果の一つが、繰り返される皇帝の交代と思うとため息が止まらない一冊です
74年間で22人の皇帝というまさに迷走する帝国。下巻を読んでいて、アウレリアヌス・プロブスにもっと時間が与えられていれば少しは変わっていたのではと思えてならない。しかし、そうもさせてもらえなかった国家の構造自体が帝国の凋落を表わしているんだろうとも思えた。翻って日本をを見てみると・・・と考えてしまうのは自分だけでしょうか?
ローマ皇帝は終身制だから、不信任したければ殺すしかないって・・・こんなに読んでいて苦痛な本も珍しいです。でも、それが歴史なんですよね。
紀元260~284年。ローマ皇帝捕虜事件から馬車の中で変死したヌメリアヌスまで。と、3世紀後半のキリスト教について。結構がんばった皇帝でも殺されて終わりの時代に突入。もうちょっと思慮深く行動できんかったのか!?兵士たち・・・。あ~ だめだ殺そう みたいな図式が見える・・・
気になる一文:人間世界では、なぜか、権威失墜の後に訪れるのは、残されたもの同士の団結ではなく、分裂である場合が圧倒的に多い/力に関与しなければ統治力も失われる/政治とは「可能性の技能」なのである
たとえ凡人であっても確固とした責任感さえあれば帝国が統治できた時代は終わった・・・。有能な人材はまだいるにせよ、それを生かすことができなくなってしまったのだろう。
有能な皇帝が部下に殺されるこのころのローマ帝国は,もう歯止めがきかない状況になっていますね。万物は,結局,生まれ,そして死んでいくという運命なのですね。
政治システムをメンテナンスする舵取り役たる皇帝が、こうも短期間でころころ替わっては、国全体が衰退していくのも納得できる。『速攻のアウレリアヌス』に20年くらいの統治期間を与えてあげたかった。
副題からして悲しい。最後の努力。
もはや国難においては、遠くまで見渡す視点と軍事と外交で解決してきたローマの姿はない。目先だけを追っている感じがありありとしている。
短命に終わった皇帝たちは、彼ら自身の不運もあるけれど、彼らも含めて長い目で物事を見て対処できなくなってしまった時代と人々を恨むしかなさそうだ。
三世紀の危機は衰退する一方のローマを記したものだと思っていたから、本書を読んで意外な思いがした。人材ならばいたのだ。アウレリアヌスをはじめたとした歴代の皇帝が、それ以前の皇帝たちよりも明らかに質が劣っていたとは思えない。にも関わらず短命に終わった彼らにもう少し時間があったならば、ローマの寿命は少しは延びていただろうか。キリスト教の台頭も含めて、次巻に期待。
紀元260~284年の巻。皇帝はペルシャに囚われてしまったり、西と東でどさくさまぎれのように独立されてしまったり、蛮族は相変わらず侵入してきたりで大ピンチ。それでも踏ん張れる人が現れるところはすごい。なのにちょっとした不満であっさり謀殺されてしまったり。ローマ人自身が、以前のローマ人ではなくなってしまったのだなと感じた。
ギリギリの所でローマが踏み留まってる印象。でも帝国の仕組みと時代の流れが食い違って来てるっぽいですね。元老院がもう殆ど機能していない・・。頑張ってる皇帝も一部の兵士の不満で謀殺されたりするし。ローマ帝国が衰退に向かって加速して行ってるのが何だか寂しい。
一気に滅亡に向かうかと思いきや、アウレリアヌスやプロブスのような積極策を取る皇帝が出ると盛り返すのが不思議。皇帝の力が大きいことが分かる。キリスト教普及の原因については今ひとつ納得できないところもあり。不安が宗教へ走る原因になるのは当然だけど、それは人間がある程度成熟している場合じゃないかと思っていた(が、それは本当だろうか?)。皇帝や元老院の様子を見ると、この階級の人々は多少成熟したことが窺えるが、庶民についてもそう言えるのか分からず、そのあたりへの言及が欲しかった。
3世紀後半。主要な皇帝;ヴァレリアヌス、ガリエヌス、アウレリアヌス、プロブス、カルス。ディオクレティアヌス治世前まで。ここまで来ると、なるほど「3世紀の危機」とひとくくりに呼ぶしかないほどの危機、不運の連続。また、キリスト教についてこれまでで最もページを割いている。これまでの断続的なエピソードはある意味伏線であったことに感嘆。そして、キリスト教が3世紀に普及する要因にも納得。なるほどね〜。
迷走している間でも、賢帝は現れているように感じた。しかし、一端下る方向へ勢いのついてしまった国家を正常に戻すのは、そんじょそこらの才能では駄目なのである。そしてキリスト教の台頭。ローマの興亡の中に、学ぶべきテーマがいくつもある。
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