楢山節考 (新潮文庫)
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楢山節考の感想・レビュー(293)
山の奥へ進み、段々とこの世ならざる光景が拡がってくる過程に背筋が凍る。しかし、それと同じくらいぞっとさせるのは、夫婦が子捨ての相談をしたり、知らない人のところへ勝手に嫁に行くことが決まったり、食べ物を盗んだ者に対する仕打ちが凄まじかったりするところ。そして、読んでいる最中に不謹慎にも「現代では絶対にしてはいけないことだけど、昔はこうやって人口をコントロールしてたんだなぁ」とか考えてしまうところ。解説にもある「あらゆる素材を物として処理する」という著者の視線が、現代の人間中心的な思想に隙間風をふかせます。
表題作。哀切で惨くてでもどこかおかしみがあって。たいへん惹かれる雰囲気でした。寒村の厳しい生活もあまりに簡単な人間関係もそれでも育まれる家族の愛情のようなものも淡々とした筆致に乗り心に届く。善悪に拘泥するでなく、悲しみにうちひしがれるでなく、楢山に降る雪がすがすがしい。
深沢七郎よ何者ぞ!ということで代表作を読んでみた。知る人ぞ知るという作家であるだけ、文章は深いような気がするが、自分にとっては難しい。楢山節考の登場人物の心の動きは好きかも。
姥捨て。即ち人を捨てる行為。それがしきたりであり、家族の為であり、生きる為であるのだとしても悲痛で残酷で言葉を詰まらせてしまう。 生の厳しさ、生の有難さを考え自分の甘さを感じずにはいられない。
緒方拳さんが亡くなられた時に今村昌平監督版の映画を見て、原作も読んでみなくては・・・と思っていて、それから某新聞の書評で小泉今日子さんが深沢七郎氏の「言わなければよかった日記」を推薦されていて、先にそっちを読んでからようやくたどり着いた、この本。内容はわかっていたけれど、映画よりもずっと明るい印象を受けた。著者も、「言わなければ〜」で、決して「楢山節考」は悲しい、残酷な話だと思って書いたのではないとたびたび述べている。その通りに、おりんに悲観的なところはいっさい無い。それが救いだと思った。 現代に置き換え
非常に力のある作品で、楢山節考はとにかく泣けた。描写自体はある種、距離を取っているのに、台詞は妙になまめかしく、何とも絶妙。寒村の古い因習を、その善悪は主張せずに書ききっており、あまり好きな表現でないが「考えさせられる」話である。デビュー作が最高傑作で不遇の作家というのは馳星周も連想するが、時代に埋もれるのは残念。惜しむらくは、もう少し地の文章が酒脱であればといったところか。
子どもの頃にテレビ放映で見て印象に残っていたのと、デンデラを読んで、元ネタにあたる本作を読みたくなって手に取る。おりんのキャラがあまりに理想的すぎないか…と思ったら、『白鳥の死』でおりんはキリストと釈迦をイメージしてるとあって納得。寓話としてならありだと思う。『東京のプリンスたち』『月のアペニン山』は……若者や男女関係のわかりにくさって昔から変わらないんだなあとしみじみ(苦笑)
今村監督版映画みたあとでこれを読んだが、面白かった箇所が全然ない。まさか映画化の時に脚本家かなんかがつけた後付ストーリー!?そんな馬鹿なと思ったが、今村版の映画は「東北の神武たち」と「楢山節考」を混ぜたストーリーだと教えてもらった。ので「東北の神武たち」も読みます。 「白鳥の死」が良かった。
わたしの曾祖父は猫の子を間引くため、産まれたてを高いところから放り投げたり土に埋めたりしていた。山奥の父の実家、ほんの30年前のことだ。だからだろうか、歳の割に歯がたくさん残っているのが恥だから前歯を石臼にぶつけて砕く…そんなおりんの気持ちや行為をなつかしく感じてしまうのは。不足や狭さの中で生きていくための「楢山まいり」は、ねじまがったカタチで今もそこここにある。村の厳しい掟の中だからこそ、おりんと辰平の親子の情が際立つ。
文芸漫談に行く前に「楢山節考」だけ再読。深沢七郎の突き放し方が見事。読んでいるうちに民俗学の資料に思えてくるくらい、客観的に書いている。そういう描写の仕方だからこそ、昔の山の民が、昆虫のように合理的なシステムを作って生き残ってきたことがよく見える。最後のシーンは切なく辛いけれど、村のしくみの中に生きているおりんは完全にそういうものだと思っていて、それを不幸だとか簡単には言えない。むしろ、あの死に方が一番幸せなのかもしれない。少なくとも深沢七郎はそういう風に書いていると思う。
受験生のとき参考書か何かで正宗白鳥の文章を初めて読んだ。その内容は自分の家族の死をそれぞれ「今年の春」「今年の夏」「今年の秋」と三篇の随筆に書いた正宗白鳥が、もし自分が死んだときは誰かがそれを「今年の冬」として書くべきじゃないかというものだったが、「白鳥の死」はまさにそれだった。
冷めたニヤニヤ顔で読む。東京のプリンスたちにおける文章の描き方が~だとおもった、~に気づいた、ばかりなのは非常に上手い表現。楢山節考は泣ける。おりんが歯を砕くところから目頭が熱くなる。
読む前はどれだけ悲哀に満ちた作品なのだろうと実を強ばらせましたが、いざ読んでみましたらそういう風習がごく自然な物であった事とすんなり受け入れる自分がいました。ですが現代社会とこの物語の中の『村』があまりにもかけ離れすぎている事に強い怖ろしさを感じました。『村』に生まれなくて良かったと心底ほっとしてしまう位、同じ日本だとは思えない異世界めいて見えました。
本当に読んでよかった。三島由紀夫が「小説読本」で「不快な傑作」とべた褒めしていたのも納得だ。「月のアペニン山」静江より、彼女を天体望遠鏡で眺める「私」の方がずっと恐ろしい。「楢山節考」 無に生きるおりんの強烈な個性。言葉を発しなくても妖気が滲み出ている。「東京のプリンスたち」享楽的な生の一瞬の輝き、滑稽さ。「白鳥の死」懐疑を捨て自分の道を一心に生きる。泣きながら笑ってでも生きる。
日本のマジックリアリズムはこの人によってのみ成功していると信じるに足る表題作。併録の「東京のプリンス達」は作者のプレスリー愛に溢れた佳品で、ここでも群れる若者一人一人に深く照射した語りが効果的。「白鳥の死」は「言わなければよかったのに日記」の地続きのユーモアに醒めた眼差しが奇妙に不気味。
買ったまま放置していた本。思い出して読んでみれば鋭い話であった。思いのほかすんなり受け入れられた自分は倫理の縛りから解放されつつあるのかな。
「私たちは自然の一部」「人間というものはちっぽけな存在である」という風な常套句があるけれど、そういう認識を本当に持つということはちょっとスゴいことで、大きくどうしようもないものと向き合いなんとか生きていくにはどう折り合いを付けようか、なんていう切実で即生活的な想像力がないと、こういう言葉は観光やネットサーフィンのような軽さやナルシシズムを生むかもしれない。もちろん、なんとか生きていくことが大切だから、このとこに別におおげさな悲劇だとかがあるわけではなく、事実というか、人間の行動がもっと軽薄に響くというか。
未読の必読書を一編クリア。新しい小説だったのですね。悲惨な過去では無く、全く別な掟で生きる人達、と言う印象が強い。勿論、現代人に全く無関係と云うわけでは無い。
薦められて読んだがその価値はあった。表現力不足で迫力は伝えきれないが表題作にはありありと情景が浮かぶリアルさがあった。寡聞ゆえ柳田国男氏の作品は読んでいないのだが、民俗学というのはこんな感じなのかなあとも思った。
表題作は素晴らしかった。明確なイメージが伝わってくるのに、描写は実はあまりされているわけではない。独特の文体なのに、いつのまにやらぐんぐん読み進められる。母と子のラストは、「物語」でしか書けないものだろう。自筆の楽譜まであるとは驚きw/他の三篇については、あまり楽しめなかった。あるいはそれは「姥捨て」の物語に対する読む側の思い入れというか先入観というかのせいで、「楢山~」だけが抜きん出ていると感じるのかもしれない。解説でふむふむとは思った。そのうちまた読み返すかも。
表題作は“姥捨て”を中心とした小説。しかし、不思議とその語句に伴う悲壮感や絶望は感じられない。それは、ひとえに老婆「おりん」の登山を羨望する心が切々と伝わってくるからだろう。 出立の準備を終え、嬉々として山へ向う「おりん」の姿に、「死とは怖いものではない」という言葉が連想される。 役目を全うし、この世への未練をなくした者は、かくも美しく気高く旅立てるものなのだろうか… 生まれて二十年ほどの若輩である私には、まだ知りえない境地だ。私には、まだやりたい事・行ってみたい所がありすぎる。だから私は、「おりん」の楢
「雪がふってきたなあ」母を連れ戻すでもなく、ただその一言を言うためだけに掟を破って山を駆け上る辰平の行為に、おりんと辰平母子の共にすごしてきた年月が想起されて感動。こういう息子でありたい。 荒縄を食いちぎってまで脱出する老人とそれを捕まえて谷底に突き落とす息子との対比も秀逸。 たかが数十ページから人の営みのすべてが感じられる気さえする。
表題作、いわゆる『姥捨て山』なんだけど悲惨さは感じられない。おりんは粛々と楢山行きの準備をし、若い夫婦は生まれてくる赤ん坊を捨てる算段をし、食べ物を盗んだ家族はボコられ、生に執着する老人はあさましいと軽蔑される。安っぽいヒューマニズムをふりかざしても、一喝されちゃうだろう。おりんのように、静かに死を受け入れるのもよいなあ…たぶん、現代ではムリだろうけど。
4作品とも 全てよかった周囲の中に 自分たちが 存在しているかのように 描かれている樽山節考に於いては おりんの 覚悟にビックリさせられたし 家族の優しさも 感じられた
表題作で印象的だったのは白萩様をいくつにするかという考えの違い。白鳥の死で考えさせられたのは「白鳥は、いつも、信じようと努力するために懐疑を抱いたのだろう。」というところ。
再読。十年ぶりくらいに。未知のあるいは既知の何かに関して感傷ではない読み方を促す文章。私も歳をとったなあ、と(もはや青年ではない)。『白鳥の死』の懐疑のあたりも印象深かった。
現代日本とは異なる価値観を持つ社会が舞台。その枠組みの中で、大人としての分別と美意識を実践して生涯を終えようとする老婆のお話。もちろん現代日本の価値観からすると、こんなの間違っているのだが…。しかしこれが、自分が生まれた社会の中で、精一杯がんばって生きる姿なのだすると、これは生を立派に全うする、美しい話なのだとも思う。自分の中でなかなか折り合いをつけられない話。
前々から粗筋は知ってた表題作だけどインパクトは大。お山に入ることに覚悟を決めている、というには大仰で、本当に当たり前のことのように受け入れてる。潔く死ぬことに誇りすら抱いているような。その生き方は間違ってるか正しいかで断定できるものじゃないんじゃないか。終始淡々と書かれているのが逆に凄まじい。それに比べて他の短編がお粗末すぎる。どれも感情が希薄な文章なのは共通だけど。
長寿が恥とされる村社会。棄老などの風習は他にもっと詳しく記録したものがあるが、小説でなければこのすごみは出せないだろう。解説にあるアンチヒューマニストとの分析もばからしい。「おっかあ、雪が降って運がいいなあ」が泣ける。
楢山節考の
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