河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)
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河童・或阿呆の一生の感想・レビュー(525)
彼の晩年の作品ということでとてつもなく重く、読むのが苦痛でした。現実と心象が混在し、自ら泥沼へとはまっていくような作中の人物の姿を見ていると耐えれませんでした。僕はこの作品たちを好きになれません。それに読後感が最悪です。でもきっとまた読む機会があるんだろうなと思ってしまう作品である。
本当に自殺へと引っ張られている人の文章って大抵読みにくく、それを読む人=自らの自殺で悲しむ人々の存在が書き手の中にはもういないことがよく伝わるのだけれど、芥川はそんな心まですっと理解できるほど明晰に描いて見せるところに恐ろしさを感じる。
精神の破綻を描くという矛盾した行為をやってのけられたのは、死にざまや遺書にもみられるような理性とプライドが、浸食されつつも全部は損なわれずに残っていたからで、剣がぼろぼろになってしまったことの痛ましさの一方で、それを死ぬまで折らなかったということも筆者をよく表しているのではないかと思う。『或阿呆の一生』50章の、狂って薔薇を食べた友人の一言とその明晰さにははっとさせられる。
…この本の注解で、『赤と黒』のかなり致命的なネタバレがあるので注意です…/残念ながら『河童』以外は私はあまり好きになれませんでした。目に写ったあるがままの事象をありありと書く文章はたしかに素晴らしいかもしれませんが、厭世観や苦悩といったネガティブなフィルターがかかって描写されているようで…勝手な想像ですが、晩年の芥川さん、スランプ時期から脱出できないであがいていたのではないでしょうか…『或阿呆の一生』の末尾の、刃のこぼれてしまった細い剣、というのは、どう考えても自分の文才に対する比喩でしょう…
二度目の読了。内容忘れてたけど、改めて読んでみるとすごく面白くて、笑った。河童の世界の滑稽さに笑うのだが、この滑稽さが間接的に人間の世界の滑稽さであることを感じる。なんだか楽しそうな世界で、一度行ってみたいと思いながら、読了後に就寝すると、夢の中で行くことができた。でも実際(?)に行ってみると、怖かった。「…人が作った人の世が住みにくいからとて越す国はあるまい。あれば人でなしの国へいくばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう。」という漱石『草枕』の冒頭の文を思い出した。
何処までが著者の主張を物語に絡ませているのか、はたまたあくまでフィクションの物語であり主張も著者のものではなく登場人物のものであるのかと考えると面白い。『河童』の人間とは違う概念が興味深い
読んでいるこちらまでもが苦しくなるような作品が多かった。 とくに「歯車」。 わたしも “歯車” が見える体質なので、どきんとした。
死の予感と神経衰弱の感ぜられる短編集。もっとも感銘を享けた『或阿呆の一生』を読んでいるうち、芥川は心のどこかで生きようとしていたことを知った。しかし、当該作品の中において、また『河童』の中で、己の分身を自殺させながら、なお生き続けることの出来なかった、芥川の地獄を思った。そして、『歯車』の中で追い詰められゆく彼自身の切迫した心情と共に描かれているように、何ものにも惑わされない理智が、同時に何ものをも信ぜられない不幸をもたらすということを示している。僕はそこに芥川の強さと弱さとを見出すのである。
『歯車』の最後の一文には思わずぞっとした。あまりにも悲痛な切望。彼がどれ程までに絶望していたのかはよくわかるが、僕にはその心情の一片も理解できてないのだろう…。
子供の頃好きだった「河童の国」「魔女の生活」といった創作の図説絵本を思い出す。あの無邪気さを失くした今では、人外のものに人を重ねて語ることはむしろ嫌いだ。固定された人間の視点で、尺度も基準も保ったまま語られる物事は貧しくつまらない。狂人の話という形を取った「河童」も、著者の早すぎる晩年の作ということもあり、そこにどうしても「唯ぼんやりした不安」を感じ取ってしまい、少し切ない。諸所で気を引かれる好きな部分はあるのに、物語世界だけで完結させた感想を持つことができないのが残念。続きはコメント欄へ。
芥川龍之介の半生を読んで改めて読んでみた。背景というか置かれた状況というか、知ってしまうと、重くて暗くて、人間界を皮肉っているとか笑える話に書き上げたとか言われているけど、読み終わるまでずっと息苦しかった。
人生で何回か読んでます。はじめて読んだとき断片過ぎて理解できませんでした。彼が亡くなる前の作品であるということを鑑みると、おそらく彼にとっての走馬灯であったのではないかと思うようになりました。この作品は、読書をしたいとか読書初心者へではなく、芥川龍之介を知りたいという人にはおすすめできる本かと思います。
しばらく放置していたけど面白かった。51の超短編でできている「或阿保の一生」と、読んでいる間ずっと重い暗さの漂う「歯車」が好き。「蜃気楼」も、題名のようにぼんやりと美しかった。
『河童』人間の世界を映し出す河童の世界。そこに描かれる苦悩や憂鬱も、河童であることによって軽減され、滑稽さがうまれる。しかし、その滑稽さはそのまま人間に跳ね返ってくる。河童の世界に紛れ込み、再び人間の世界に戻ってきた男は、精神病院に入れられてしまう。果たして「狂っている」のはどちらなのだろうか。『玄鶴山房』今まで読んだ芥川龍之介の古典に基づいた作品とは、全く趣が異なっていた。全体が重苦しく、暗澹としている。そのなかでも、肺結核の床に就いている画家だった老人、玄鶴の家庭の不和に享楽する看護婦、【続く】
「或阿呆の一生」も「歯車」も絶筆だが天才作家の精神的破産の様子や神経的疲労の様子が文章に見うけられいたたまれなくなる。
「河童」以外は初読み。晩年の作品を集めているだけにどれも暗い影が差しております。「或阿呆の一生」はいちばんストレートな自叙伝なのだろうけど、どこか虚構のような突き放したところがある気がしました。「歯車」は死に憑かれた作品といった面持ちでたいへん痛切。この本では珍しく私小説的でない「玄鶴山房」はそれだけに純粋な悲劇として印象に残るお話でした。
51辺の情景描写が主体となる作品。最初予備知識もなく読むと,意味不明な作品でした。 作者の作家としての自伝だと知ってから読むと全く違った印象を受ける。個々の情景から,喜び,不安,苦痛,憎悪といった様々感情が呼び起こされる。わずか数行の文章から,人との気持を揺さぶる作者の文章力には圧倒される。 後半は自殺という破局に向かって突き進んでいくため,読後は憂鬱な気分になった。
20代の頃読んでいて、危険を感じ中断した、私にとってトラウマのある文庫。 作品と正面から対峙すべくじっくり読むと、作者の生きることへの葛藤と恐怖が世界の文学に精通した見事な技巧で大迫力で伝わってくる。ただ、やはり危険な作品であることには変わりがなく、万人へおススメできるものではない。読もうとされる方は、相応の覚悟を。また危険を感じたら、すぐ中断を。
再読。『或阿呆の一生』は、最初読んだ時はよく分からなかった。なにしろあれだけ断片的だから。全編を貫く刹那的な視点に気が付いてようやく読めた。
河童、蜃気楼は以前読破していたのでそれ以外を目的に古本屋で購入。大導寺信輔の半生を読みながらこんなものかなと淡泊な気分だったが、或阿呆の一生及び歯車は腹のしくしくするのを覚えつつ読めて実に良かったと感じた。特に後者の末尾など、鳥肌と共に訳の分からない笑みが浮かぶのを抑えられなかった
【★★★★☆】勿論風刺小説として現代にも生き続ける(例えば、子の主体性のなさは子の身体が誰のものであるのかにつながり、それは臓器移植は「家族」の意思で決定可能かという問題になる)「河童」も含蓄に富んでいるが、何より「大導寺信輔の半生」「歯車」のもつ暗澹さ・苦痛・憎悪が徐に心身を蝕んでくる。/「目鼻のある歯車」(190頁)、か…。
読後、憂鬱になりました。脇腹が痛いです。『歯車』は『人間失格』みたいなものかと思ったらそうでもなく、ただただ胸に泥が溜まったような疲労感が残りました。芥川さんといい太宰さんといい自殺しすぎだ!東方というゲームの河城にとりというキャラが好きで、モデルとなった『河童』を読むためだけに購入したのにとんだ弊害です……。『河童』は中々社会諷刺や幻想物語の要素もあったので楽しかったのに……とりあえず胃が痛いです。
「玄鶴山房」をとりあげれば、静かに生を閉じようと覚悟した風だった玄鶴の山房に妾だったお芳が手伝いとして暮らすことで生まれる不調和、他意のないお芳が山房に指した光が人々のこころに影を落としていく有り体を容赦ない芥川の視線で綴る。影は罪ともいえ、ひとがひとである所以とも考えられることから、芥川自身が生きていることに対する思いを強く反映。作品を芥川の外的なものとすれば芥川の内的なものに限りなく近づいたといえる、創作と自我の境界を保ちきって描き上げられた秀作。この刊は等身大の芥川を知るのに適した作品群といえる。
〔自分メモ〕「蜃気楼」が良かった。とてもとても良かった。あまり注目されていない、こんな芥川の作品があったのだなあ。これぞ“芥川賞”の源だと私は思う。幻想に映る、無である存在。
人間ここまで切羽詰まるとこう言うもの書くのか…本の終盤になるにつれ、神経が痛み、過敏になるのがいたいほどわかる。こうなると残された手は自殺しかないだろう。特に歯車の圧迫感は恐ろしい。死ぬことで芥川は文学史にその名を刻んだ。
河童・或阿呆の一生の
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感想・レビュー:103件














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