門 (新潮文庫)
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門の感想・レビュー(585)
たしかに正当な続編。『三四郎』『それから』と、主人公は年齢を重ね、その思想も着実に変わっている。良くも悪くも枯れた感じ、というか。作中で繰り返し、この夫婦には過去がある、みたいな描写がなんだかおそろしい因縁のようだった。
「それから」に続き、息を潜めるようにして、影を好んだ暮らしの中で、ただひたすら内側を向き続ける夫婦の物語。
「又じきに冬になるよ」という最後の宗助の一言は一種の悟りなのでは?
解釈の幅が広く、読み手の個性が顕れるのも純文学の最大の魅力です。
婚前の宗助の心情を表した一文、
゛彼は暖かな若い血を抱いて、その熱りを冷ます深い緑に逢えなくなった ゛
この表現には思わずため息が出た。
「三四郎」は未読なので、遡って読むのがこれまた楽しみ(^^)
三部作、ようやく読み終わった。許されない恋を成就させた二人は幸せそうではあるものの、それはふとした瞬間に壊れてしまうような脆い幸せなんだろうな。安井と会ったらどうなってしまうのか。
三部作、やっと読み終わった。全体的に暗く当時の許されない恋のその後が描かれれていた。知的で、非常に細かい描写は現代の作家にはあまり見られないものがある気がする。今後、他の作品も読みつつ、再読もしつつ、漱石の世界を楽しみたい。
「三四郎」「それから」に続く三部作の最後。物語の情熱性はいよいよ影をひそめ、淡々とした形で進むようになった。主人公も何もない平均的な人間として描かれている。それで、情熱がひそめた分、ドラマ性がなくなった。それ故、退屈を覚える読者もいるだろうと思う。特に「不倫」というテーマが「それから」と共通しているが、もし「そらから」と似たようなドラを期待したらがっかりする。また、安井という台風の目になりそうな人物から、主人公は逃げるように門をくぐるのだから、がっかり感はいよいよ増してくる。
三四郎、それから、に続く三部作とのことだが、主人公の恋心は現在の描写では登場せず。緻密な情景描写と、結局何も出来ない主人公の行動が、対比のようになっていて、胸が苦しくなる。 大事なことを先送りする。言わなければならないことを言わない。なんとかしなければと思わず、先のことは全くわからない。まさに俺の人生ではないか、と思い切りダウナーに入り、ま、とはいっても宗助ほどではないか、などとどうでもよい安心を得る。 いったい俺はどこに向かえばいいのだろうか。
『三四郎』『それから』を読んでついに『門』を読了。共通するテーマは「三角関係」。どんどん話が深くなっていく。地味で暗いけれど、質素でそれなりに平和に暮らしているように見える夫婦。でもお互いに過去をひきずって、不安を抱いたまま生きている。『三四郎』『それから』は最後には未来に対して明るい光が見えて終わったけれども、『門』は違う。ずっと、このまま変わらずに続いていく。こういう結末も嫌いじゃないなあ。
初の漱石長編。ちょうど100年前の小説で、漱石さんは当時43歳。三部作の最後である事は知っていたが、何故か『門』だけに惹かれた。まぁいいや、逆に、順に、下って行こう。漱石さんの文章って、教科書通りだという先入観があったが、意外とトリッキーな言い回しが端々にあって素敵です。明治の(ゲシュタルト崩壊するほどの日常)空気系なんて、ちょっぴり読み草臥れるけれど、過去話辺りから面白くなってきます。澱んだ空気が晴れる訳ではないけれど。
夏目漱石著『門』読了。『三四郎』『それから』から続く三部作の最終作。年を経る程、外的なストレスやら抱える不安は増えてくる。増えるというよりも積もってゆく。そして、だんだんと立ち向かうよりも逃げ道を求めるようになる。そんな年代のお話。いつの時代も変わらない姿。三部作の中で一番痛い。重い。心の機微の描写が一番繊細かと。というより夏目漱石自体、相当なコンプレックスの持ち主なんではないかとも思われるような表現がチラホラ。21章の後半の描写が秀逸。
三角関係を克服したうえに成り立つ夫婦であることの罪悪感が、宗助と御米の生活に影を落とし、世間から隠れなければならない独特の暗さと疎外感を生み出しています。『こころ』の中では先生が妻に隠れて自殺したように、本作では物語の最後まで、夫婦である宗助と御米の間には避けられない隔たりがあることを示しているのです。
前半は、世間から身を隠すようにひっそりと暮らす訳あり夫婦の日常が、淡々と描かれていきます。後半その夫婦の過去が語られ始めると、物語は立体感を増し、夫婦の感情の細かい襞が時とともに変化しつつも、なお互いに寄り添い、時代の持つ特有の圧力に耐えながら生きる二人の姿が、切なく浮き彫りにされていきます。「三四郎」、「それから」とは明確に違った重層的構造を持った、より情緒的で深く静かな感動を与える作品でした。
人間の細やかな心情が描写されていて、宗助や御米や小六の生活を覗いているだけで楽しかった。門はそれからの代助のその後をみているようであった。
三四郎、代助、宗助と夏目漱石の代表作を読んで心情の襞が良く表現されていて感心した。書かれた時代の流行もあるが新しい本を追っかけるだけでなく振り返るのもオツなものである。
なぜかこの作品を誰かに映像化してもらいたい、と強く思わされた。この作品の前作にあたる『それから』の映画版の印象が強いためだろうか?この作品に漂う諦観と淡々とした流れは、映像化を待っているように思えてならないのだが…それから印象的だったのは、確かに宗助が抱えた罪悪感は最終的に解消し得なかったものの、ラストでは当面の問題であった弟小六の問題はとりあえず片付き、また宗介も昇給を果たしたというまずまずのハッピー・エンドを迎えたということ。この終焉が読者に何とも言えないもどかしさと独特の余韻を残す。
最後まで何も起こらず何も解決しない。門は開かれもせずかといっておおきな障害となることもなかった、という感じ。主人公がいきなり禅寺行きだしたとこは急展開すぎて笑った。結末もあまり腑に落ちない感じで、総中流社会の何も起こらない日常を予期してると言えなくもないけど、他の作品と比べてあんまり面白くはなかった。
宗助と御米が共に罪の意識を抱き、そのために生活の中では互いだけが頼りとなる。しかし個々の不安には共有できない部分があり、それを個で抱えながらも日常は流れていくのでしょうか。
宗助とお米のこれほどまでの罪の意識は、理解しがたい。現代人なら時の経過とともに忘れるだろう。しかし、その意識を前提にすると二人が罪からくる不安に怯えながらも結び付きを強める姿に真実味がある。
春を喜ぶ御光さんの言葉に宗助の「然し又冬になるよ」の場面が重くずっしりきた。治ったように思っても雨や寒い日には古傷がうずくように完全に何も無かったかのように元通りになることはないのだ・・・ということか。シチュエーションは違えど心の奥底にあるが言葉で表せないものを漱石は表現してくれる。心が救われる。
『それから』とはまたがらりと違った雰囲気。後半にかけてストーリーが加速していくのは、新聞連載のせいなのか…?宗助夫婦が住む場所の設定など一つ一つに二人の過去の影が落とされているよう。宗助は何を求めているのか。
「それから」の続きが気になってたので読んでみたけど、鬱々としてしまった。。心理描写とかホント巧いんだな~。ハラハラして冷静に読めませんでした。いろいろあっても人生は続くんだよってことでしょうか。
個々の不安はけっして他人とは理解し合えない質のもので、それを解放するすべはなく、ただ漠然と日常を過ごすことでなんとかやり過ごすしかない。絶望的な不安ではないにしても、希望もない。結局何もない日々を、前進も後退もなく、なにも解決しないまま時を重ねていくしかない。生きることは感情のシーソーがふれないように細心の注意をはらいながら、時がたつのをただ待つことなのかもしれない。
作品全体に印象として、影が落ちているようなものを感じる。 宗助と御米の夫婦を中心にその周囲の人々の日常が書かれているわけであるが、なぜだろうか、ページをめくる手がなかなか進まない。 宗助の弟の小六も含めて、宗助たちの生活すべての局面において人と人とのつながりの芯の温かさのようなものを感じられないのである。 ですが、原因ははっきりしている。 それは、「罪悪感」である。
『それから』を読んでから読んだので繋がりを感じ、しみじみとした気持ちで読めました。代助よりも宗介の行動の方が不可解な分、何が起こるか分からないスリルをもって味わえました。
「物語」は終わってしまっている。宗助は「物語」を抱えて細々としたミニマルなアウトロを紡ぎだしす。激情(=劇場)はもううんざりだし、そもそも実務的に生活をこなしていかなくてはいかん。ただ(なんとか)生きている、自分の生き方に善し悪しなんてつけることは出来ない。でも、ただ日頃の処理だけで生きている訳ではなくて、「物語」の処理、責任もつけなくては行けない。どうも、こういうものは呑んでも、アクロバティックに寺にこもっても正直決着はつかないし、どうしようかと思う。決定的なことが起こらないように祈る日々を生きてる。
『それから』に続けて。実存主義というか、主人公の宗助からは『嘔吐』(サルトル、1938)のロカンタンのような趣を感じた。ただ、『それから』の代助が、世界が真赤になった後、宗助のようにはならない気がする。三部作を通読しての発見としては、100年前の閉塞感が現在にも続いているということか。そういえば、私は高校一年の終わりから高校二年の始まりにかけてこの作品の安井のような立場に陥ったことがあり、それから色々な物事が失敗して今に至っているんだけれども、風の便りで別れたと聞いた彼と彼女は今頃どうしているのだろうか。
久しぶりに漱石の長編を読んだ。特有の奥ゆかしく、またきらびやかな詩的表現にくらくらさせられた。私の人生経験の乏しさゆえに、実生活になぞらえて考えることは非常に難しかった。ただ、学生である私にとって、小六の一連の流れはとても共感する部分は多かった。また、一窓庵を出立するときのエピソードが今作の基軸といえるのだろうが、まだ理解しきれていない。しばらく時間を置いて再読したい。読後感はよかった。
「それから」を飛ばして読んでしまった。残念ながらぐいぐいと物語の中にに引っ張り込む力を感じなかったな。後半になりこの夫婦に何があったのかがわかり、やっと僕の心も動いた。くぐるべき門はあるのに、その門をくぐることができないという状況は、大なり小なりだれもが経験するものだと思う。だからこそ、宗助の心情がよく伝わってくる。宗助は、結局、門の前で(妻にもなにも言えず)一人苦悩し続けることになるのだろうか。
三部作の終編。世間と距離を置きつつ、互いに思いやる夫婦の姿に、温かさを感じた。御米に子供ができない原因が、かつての夫を裏切ったからとのことで、不倫が社会的に重い罪悪だと扱われている点に現代との差を感じる。ただ、不倫の事実は本編で語られることもなく、推察するしかない。そもそも、何故安井は御米を妹として紹介したのだろうか?妻であった事実ですら曖昧にしか語られないのは謎。安井が宗助の前に現れそうになる所で事態は急変するが、最終的に何の救いも示されず、苦しみを妻とも共有できずに、孤独の中で物語は終わる。何だかすっ
テーマとして『それから』のそれからの話。結局のところ門を通りすぎる人でも通りすぎずにすむ人でもないということ。薄給でせせこましく生活し、学問や知識に対して興味を持てなくなるほど仕事に忙殺されるサラリーマンというのは、今の時代にも多くある。全体的に詩的で寂しい印象。
門の
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