世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)
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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉を追加
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉の感想・レビュー(2831)
ボブ・ディランを聴きながら読んだ。最後に出てくる「激しい雨(A Hard Rain's a-Gonna Fall)」も勿論そうだが、「廃墟の街(Desolation Row)」という曲はこの小説のイメージにピッタリだ。
下巻の中盤からが面白い。それまでも退屈はしないが。春樹の長編は後半に入って物語の全容が掴めたところで、ようやく疾走感が溢れてくるような気がする。この作品が一番好き、という人がいるのもわかるなあという印象だった。/ちなみに春樹作品は既にいろんな人が解説してるだろうから、今さらメタファーがどうのとか僕が文章にする必要性を感じないので書きません。それに僕がこの作品を読んで感じとったところは非常にぼんやりとしたところで、そのぼんやり感が僕にとっては心地よいのです。くっきりさせたくないのです。
狭い世界に生きるのも幸せなのだと思った。でも、最終的に森に入るということはどういうことなのかわからなかった。壁の外に出たら現実世界で変わることがあったのか、第3回路の世界の女の子の心を思い出させてあげても現実世界に変化はあったのか。それとも全部「世界の終り」で完結してしまうものなのか。 本の中の世界はすごく無機質な視点で書かれてたような気がする。常に妙な静けさと寂しさを感じていたけど、それが妙に入り込みやすかった、と思う。
「世界の終わり」の真相(場所)が分かった時、「やられたー!」と思ってしまった。とても爽快なやられた感。完全にミスリードされてました。現実の不確かさ、常識という枠の狭さ、そして世界(人間)の可能性の大きさを、村上さんの本はいつもながら感じさせてくれます。そして読書している間、夜に必ず変な夢を見るんだな~(笑)。
なんだろう、どちらの話も、切ないよ? なんか、すぽ、って空にされたような気がする読後感だよ? 片方の世界の理由がわかったけれど。その影さんの動きが、それでどうなるのとか、気になって、……ああ、もう。
影は現実的。自我が獣に移されて死ぬことを知っている。僕は徐々に自分たる自分が希薄になるある側面で逃避的な存在。多重人格で考えると影が心の闇を受け持つ係。でも僕は影を助け、影に言われた南のたまりで決別(解放)する。僕は影を引きずりながらこころ(私の中の無意識に構築された世界)を手放さないように森に住むことにした。現実の私は恐らく第三の回路から、影が僕から幾らか引き受けた自我を持ち表層意識に戻るが、肉体は冷凍保存されるらしい。つまり統合された2つの話の結末は1つに冷え固まりながら目を覚ましている状態なのかなと
予想していたものとは違った結末を描いていたので、意表をつかれた。また、舞台が日本なのに、自分の中ではなぜか外国であるかのように想像をしてしまっていたのが印象に残った。
ハードボイルドの最後の24時間は、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」だなあと思って読んだ。まるでホールデンみたいだ。長い長い意味があるのかないのかわからない旅の果てに、人生の自己肯定を行う。そういう意味で自伝的という理由はわかる。世界の終わりは、自己回復の物語。結局大がりな設定の割に、大して何も起きないで、謎だらけで放り出されるのは、いつもの村上春樹氏の特徴そのままで、まあ、考えても突き詰めても仕方ない。過程を楽しんだ。とにかく、どちらの話も行き場がないのではなく、どこかに通じている。それでいいのだろう。
結局どゆこと\(^o^)/言葉で説明して理解してみようかと思ったけど、それは難しいや。笑 でもだからこそ、また今度も一回読みたいね、ってなった!ボブ・ディランは村上春樹もすきなんだね、伊坂幸太郎でしか小説で見たことなかったのに!村上春樹すきだー!!
作者が意図したものをきっちり汲み取れたとは到底思えない。半分だけということが、回路にとってどういう影響を与えるのか?巻末で昭和60年の作品だと知ったときの衝撃!!
2011年中に読むつもりだったのにずれこんだ。読み終えたけど、やっぱり意味がわかりませんでした。影が脱出できたから現実世界の主人公は死ななくてすんだのかな。うー
再読本。『私』は自分の周りに固い殻を作り他者や周りの世界を拒絶し、あるいは無抵抗に生きてきた。それが世界の終りという世界を作り出すきっかけとなった。それに気がついた『僕』は、自分の不幸を知った。影を手放し森に生きることを決めたことは、おそらく主人公が初めて自分の意思で決め、実行したこと。主人公は世界が終りを迎える時になって初めて、光が、唄が、近くにいる人の存在がどれだけ自分にとって幸福なことなのかを初めて感じることができた。世界の終りに住むことになったけれど、それは世界の終りではなく始まりだと思う。
不思議な内容でよくわからなかった。話は面白いのだが……。裏表紙の説明に「同時進行する二つの物語を結ぶ、意外な結末。村上春樹のメッセージが、君に届くか!?」とあるが、届かなかったかもしれない…orz。
ひょんなことから再読してしまった。仕事の後遺症で脳に悪影響が起きて、現実世界が夢の世界に侵食されてやがて死(植物人間?)に至る。。。という話。夢の世界はある時間軸を越えるとスタート時点に戻ってしまうので、解釈によっては、無限ループ下で永遠に生きてるとも取れますね(あくまで本人の意識下ではだけど)。自分もたまに酔っ払って同じ事何回も喋ってることがあるけど、あれも解釈によっては、現実の時間軸を超えた存在になっているということなのかもしれません(笑)。
テーマだけ聞くと、どたばた劇なのかなと思ったが、まるっきり違った。超級理論小説、村上春樹バージョンって感じ。要所要所がユーモアに溢れている。真摯に「生」に向きっているスタンスにグッとくる。
私はあんまり、本を読みながらあれこれ考えるタイプではないので、 村上春樹は「よくわからない!」って感じなんだけど、それでも面白い。 同じようなことを上巻のところにも書いたw でも、よくわからないなりに、素敵で綺麗なお話だった。 掴みどころがなくって、読むと不思議な気持ちになる。
何度読み返したか分からない作品。読むたびに、「世界の終わり」に住めたらいいなと感じる。でも、そういった「終わっている世界」が永遠に続くとしたらそれはそれで怖いかもしれない。ただ、心が無ければその「怖い」という感覚すらも感じずに済む。理想の世界なのか、そうでないのか。そんな怖さを持った作品でもあるのかもしれない。
最後にレンタカー事務所の女の子のことを思い出していたけど、そういうものなのかもしれない。世界の終りで影と一緒に抜け出していたらどうなっていたのだろう。人間の心とは何かと考えたくなった。冷凍するのは良いアイデアかもしれない。
2つの世界が衝突して終わった。「世界の終わり」のまちに出てくる図書館の娘と、現実世界の図書館の女の子はリンクしてるのかな?終盤に「祝福」をした人々がまちの住人の原型にになったんだろうか?
「私はこの世界から消え去りたくはなかった。目を閉じると私は自分の心の揺らぎをはっきりと感じ取ることができた。それは哀しみや孤独感を超えた、私自身の存在を根底から揺り動かすような深く大きなうねりだった」ー最後に私の心が叫ぶ言葉は痛く悲しい。
悲しい結末だけど好きです、そのまま影と脱出する風に見ていましたが。2つの世界が並行して進む中、あれこれ考えましたが結局全ては解らずと言った所で様々な解釈がありそうです。太った子とは良い御縁が無かったようです。作中に挙がる音楽が分からず歯痒い思いをしました。
最初は首をかしげながらの「なんだかよくわからないなあ」という感想だったが、それでもこの本の存在は忘れられなかった。村上春樹の文章を読んでいるとある種の懐かしさのようなものを感じる。たとえ意味が読み取れなくともそれに私はたまらなく惹かれるんだと思う。
他の村上さん作品より分かりやすい印象。「宮廷の○○○○○が皇太子の○○をなおすときのような格好でうやうやしく〜」という表現が何故かツボにはまって笑いこけた
二つの世界がつながった瞬間が世界の終りであり世界に戻る事。村上先生の小説のなかではだいぶ分かりやすいストーリー展開でした。街の描写がすごく好きです。解釈はいろいろできそうですが、どう解釈しても正解であり正解でない。そんな気がします。
二つの物語が寄り添いあう速度が絶妙。世界は数多くの示唆に充ちているみたいなことを繰り返しているが、それはまぁ小説の中に置かれている何かが必ずメタファーとして作用している、ということなのだろう。
村上春樹の作品にしてはわかりやすくて人気のあるものだが、個人的には長編をランキングすれば下位にランクインする作品。なぜならば、他の作品に比べてこちらが働きかける量が圧倒的に少なくて済むから。故に人気あるのかも知れないけどね。
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