経済成長という病 (講談社現代新書)
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経済成長という病の感想・レビュー(108)
再読しながら、あれっ、なんか展開がぶつぶつ切れると思ったら、これは短い文章で書かれたものを集めたものなんですね。2-3年前の本ですが、3.11のあとも論考は古くなっていません。読み方としてはちょっと時間がある時に、題に興味がある章をパラパラと読むのがおすすめかな。
ちょっと面白いが最後の方は飽きる。ステレオタイプな批評を格調高く語ってる。この意見に両手を上げて賛成する人っているんだろうな。 著者の主張の骨子は「経済成長がすべてを解決するわけでない。成長後の世界を考えるべきだ」というもの。しかし後半は食品偽装やらオバマやらのテレビニュースのネタがしきりに続いた後に、テレビはその役目を終えた…とくる。…著者はテレビ大好きっぽいんですがねぇ。結局一番悪かったのはメディアでありメディアに振り回された人々なんじゃないかと思いました。
「東京ファイティングキッズ」で著者に興味を持った。手を拡げ過ぎでぼやけてしまっている印象を持ったが、端々に良いこと言ってる(書いてる)なあと感ずるとことがあり、基本的な主張は支持する。こういう思考を持つ人達が社会の大勢を占め、世の中が変わっていければ未来への希望はつなげる。
経済という視点から、本書は語られているが、理論書でも、単なる批判書でもないと思う。筆者が感じている違和感(疑問)から語られているが、それらは私も(より漠然と)感じていたものである。「直接的にか、間接的にか、あるいは何かを迂回して」、まだら模様の中で私(たち)がどう結ばれており、どう結び直される(私(たち)を結び直す)のか……と、ふと思った。
まずはじめに、本書は経済書ではありませぬ。有名な企業家であり経営者である著者であるが、「経済成長」とは本当に正しいテーゼであるのか?という、根源的な問いを投げかける、社会評論と言うか哲学書と言うか。あぁ、いかにも内田センセのオトモダチだなぁという感じの読みやすさ。(読みにくい、というヒトもいるでしょう。あたしはそういうヒトとはオトモダチになりたくないけど。)各章が独立した形で、現代社会が「つきつけられている問題」が本当に問題なのか、と問うという、かなり困難な内容に挑戦した名著。しばらくは平川さんを連読する
経済成長こそがさまざまな社会問題を解決し、至上命題となっていることに警鐘を鳴らす本。リーマンショックなどの出来事を、なぜ経済や金融の専門家たちは予見出来なかったのだろうか?それは経済合理主義というシステムそのもののほつれではないだろうか。
「わけのわからなさ」の道筋を辿る、ある出来事に自分がどう加担してきたのかを知る、今問題と思っているものをこれまでの結果だという視点から見てみる、など。提案されている思考法は面白いし、経済成長を目指すことが前提の経済学者やビジネスマンの主張に対して感じていた違和感が少し理解できた気もする。ただ、それぞれの文章がエッセイ風で、提案された考えがちゃんといかされてはいない点が残念だった。本格的にその思考法で論じられている著作があれば読みたいと思います。
統計学を始めとする学問はあくまで過去の事象についての因果関係を整理するだけであって未来を予測することなどできない。これは学問だけに当てはまる話ではなく、経済的な経験についても言える。要するに、日本が経済成長と共に国家として発展してきたことはあくまで過去の話であり、経済成長を続けさえすればこれからも発展を続けられるという考えは、何の根拠もない理論であるばかりか、むしろ国を衰退に導かせかねないということ。
われわれは「経済成長という病」に取り憑かれている。多くの人は本当に不条理を解決するのは発展だ、などと信じていただろうか。金の絶対性に平伏していたから経済成長にのみ意義を見いだしていたのではないか。「経済発展」こそが進化であり「経済平衡」は退化であろうか。本当に?
経済書ではなく哲学書に近い。「何が何でも経済成長」の呪縛にとらわれていないか。人口が減少すれば総生産力も総需要も減退するにもかかわらず、人口を増やすために何が何でも経済成長を維持しようとするのは本末転倒ではないか(69頁)。経済成長至上主義が人々に与えた心理的影響、効率主義、合理主義に対する無批判な信仰は、私たちの社会のより深いところに禍根を残すのではないか(91頁)。また、著者は、コミュニケーションの必要があったから携帯電話が作られたのではなく、逆であると指摘(155頁)。ひとりの時間を作るのは難しい。
我々の眼前にある経済問題にとどまらず、社会問題、政治問題までもが経済成長によって解決できるという論調が蔓延しているが、本当に「経済成長」が処方箋になりうるのか、問題提起の書。
リーマン・ショックやそれと共に起こった世界的な不況が起こった原因をあれこれ分析する本は何冊も出ているが、この本はそうした原因の追求ではなく「内的な必然」を考える、つまり社会のメンバー全体が一連の「事件」にどこかで加担してきたことを確認する本だと言えるかも知れない。社会のあらゆる問題への処方箋が経済成長という言葉でまとめられることへの疑問の呈示。人口が減少し、経済が均衡するのは原因ではなく結果ではないか。経済が右肩上がりを止めた後の社会の作り方を考えるべきではないか?そういう視点を与えてくれる本。
出生率の「低下」ではなく、高まりすぎたそれの「適正化」ととらえると印象ががらりと変わる。リフレーミングですな。 あと、「時間」について言及している部分はとても共感した。 年寄りの繰り言的な部分が散見されるのも事実ですが(笑)、みなさん、この方は年齢的にも人格的にも「立派なお年寄り」ですよ!言いがかりはやめましょう(笑)
経済成長を遂げた社会に我々は生きているということ、そしてそこから派生する諸々な問題を更に成長をすることで解決しようとすることには齟齬をきたす。そろそろ、他の生き方を見つけようとする著者の態度には哲学的な思考も相まってマスコミなどで吹聴される論調とは一線を画す深みあり。グローバリズムとの絡みなど未来の生き方を模索する感受性豊かな現代人、経済成長一辺倒な価値観に違和感をもつ現代人に読んでもらいたい本。
自然な調整機能により人口が適正なまでに減少すると(サブタイトルの「退化」という意味か?)、経済成長もマイナスになることは不自然でない。無理に経済成長をプラスにしなくてもよいのでは?経済成長がプラスでなければダメという考え方が病である。難しい単語や言い回しが多く読みづらい。書きぶりも「Aでもないし、かといってBでもない」。「はっきりしないけど、そんなものでしょう。」という論調も、言い切る人や本が多い中で、ある意味で新鮮。
平川克美は、内田樹の対談本の中では最も存在感があり、わりと真っ当な感じのする人だったので、期待して著書を購入。読んでいる途中から、「おっさんがぐだぐだ言っている」という印象を抱え、実際に愚痴に終始した本であったように思う。内容がない分すぐに読めたので、時間の無駄は最小限にできたのが救い。
「ビジネススキームで一切を語ることを自制せよ」ってことと「専門性と判断力は無関係である」こと、そして「自分を勘定に入れよ」ということ。頬桁を張り飛ばされた。いってえええ!
「キッズリターン」二冊分でとっても魅力的なおじさんだと思ってはいましたが、非常に明快かつ独特な語り口調でした。ただ、趣旨はよーくわかりましたが、ど素人からすると、もうひとつ論拠の中心が見えづらく、何となく消化不良感も。
「何ものも永遠に成長し続けることはできない」「成長とはそれ自体ひとつの不安定であり無秩序」→ふむふむ。納得。でも「ミリオンダラー・ベイビー」のあらすじは言わないでほしかった。見てないので。(2009年7月9日★★★★)
読んでよかった。現在・過去・未来の日本社会を考える上で前提であった「経済成長」という価値観に根本から疑問を投げかける。次代を生きる上での新しい価値観の創造につながるヒントや考え方が満載?のような気がする。もう一度しっかり読み込みたい。読み手のパラダイムの転換を促す。価値ある一冊だと思います。
ある程度その内容は予想できたが、予想以上に興味深く読めた。かねてから(十年程前から)何が何でも経済成長をしなければ日本に未来は無いという発想には密かにしかしはっきりと「ノー」という思いを抱いていたのだけれど、その思いを多少なりとも説得力を持って証明してもらったようで、胸が空く思いさえした。この歴史の大変換期に対してどうすべきかを教えてくれるわけではないが、どうすべきかを考える契機を与えてくれる本だと思う。
3:著者の言うように「エッセイとも論文ともつかない」文章。グローバリズム(国家戦略)とグローバル化(自然過程)とは違う。今の多様化:多様な価値を共有する「場」があるのではなく、細分化されてお互いが交通しない。原因究明:全体が健康であるという信憑が前提。
★★☆コンテクストがちょっと散漫。個々の論旨や言説に無理のない分惜しい印象
経済成長という病の
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感想・レビュー:46件














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