1973年のピンボール (講談社文庫)
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1973年のピンボールの感想・レビュー(2325)
20代中頃の、どこにもぶつけることができず、表現できない主人公と鼠の葛藤・・・ 何にもならないとわかってるけど、何かするしかない。 共感です
僕の方は楽しく読めた。羊はこの先どこに向かうのだろう。ボクはまだ双子とっていう経験はないけど、きっとそれは大変なことなんだろうと思う。
初期三部作の二作目。社会としては大学紛争が終焉を迎えつつある中、体をただすり抜けていくだけの現在が、何もかもがすきとおっていくような時空感覚で語られていく。そうした生きざまの中で何かにこだわることの意味とこだわることのできない意味を、感じさせていく仕掛けの小説なのかと思った。
諦念でもなく、挫折でもない。ただ箱のなかで失われた過去やピンボールと触れ合い、配電板や双子と心を重ねる。そんな不可思議な世界でも永遠はものすごい存在感を持っていつでも背後にいるらしい。
初期の春樹ワルードが濃縮された一冊。村上春樹で一番好きという訳でもないのに何故か一番読んでる本。春樹らしいシュールさがたまらない一冊(再読)
★★★★1/2 再読 この版では初
読んだそばからストーリーを思い出せない・・・ でもビールが飲みたくなる。たばこが吸いたくなる。ピンボールがやりたくなる。脳みそのどっかが新しく見えた気分になる。様々な世界が広がる。 最近著しく弱っている想像力を刺激してくれるお話しでした。
僕と鼠の物語2。限りのないデジャ・ヴュの中、何かが僕たちの心を捉え、心に「幾つもの井戸が掘られ」ることになる。そして僕は「水面を打つ音」に安らぎを求めていくのだが・・・。僕と鼠の対比が悲しい。井戸にピンボールを選んだとこが謎で面白い。
スペースシップとの会話が印象的だった。ピンボールは何かの象徴なのか、彼女と「僕」を繋ぐ役割を持つものだったのか。また、鼠は色々と苦しみながらも変わろうとしているようだった。彼の悩みをうまく理解できたと思えないけども。鼠は街を出てどうなってゆくのか見届けたい。
僕たちは自分を確かめるために過去を振り返る。しかしそれは過去でしかなくその時の自分、その時のそれと会うことはできないし、過去に想いを馳せることで、自分の失ったものに対して得たものの小ささに絶望してしまう。もうひとつ自分を確かめる方法は?未来を想像しそれへ向かうこと。それは何も生まないかもしれない。でも出口からでないと入口には入れないんだ。出たり入ったりそれが生きることなんだ。
内容云々よりもまず、文章そのものに強く引き込まれた。これに限らず、村上春樹作品は、その文章を読むことそのものに楽しみを感じる。そのことを再度確認できた。
主人公の内的変化から「僕」の身に何が起こったのかに思いを巡らせ、同じことを「鼠」に対しても行う。大事な事は書かれていない。だからこそズシッとした手応えがある。何度でも読める。
ふんふんふんと鼻歌まじりに読んでいて、消えたピンボールの謎に迫るところから一気にひきこまれました。私が双子と出会い別れ、鼠が女と出会い別れるまでのひとときの記録なのですが、そのあらすじに収まらない深みのある言葉の数々に時折ぐっときてる自分に気づく。ピンボールの歴史に関する引用の数々、配電盤のお葬式、短命ゆえに心優しい金星人のエピソードなど、キザになりすぎるギリギリのラインを保つ言葉と物語の紡ぎ方が巧いのですよね。けれど、まだこれだっていう村上春樹作品に出逢えていません。次は「羊をめぐる冒険」です。
何が言いたいのかよくわからない小説。しかし、「なるほど」と思えるところが随所にあると感じるのは何故だろう。双子の女の子とのやり取りが面白い。
デビュー作『風の歌を聴け』の続編的な。読みやすいかとおもえばくどくどしくなったりとその緩急の定まらないところがちょっと苦しかった。全体的に洒落ていて面白い。が、鋭さはちょっと薄め。でも村上の才能の片鱗を感じる一作。
春樹ワールドが強め、すなわち「当たり、狙ってないでしょ」的な秀作。この人にオチや教訓、ストーリー性等を求めちゃいけない。そういうのを狙って表現出来る方だけど(『アフターダーク』とか『スプートニクの恋人とか』)、それよりも注視し、感ずるべきは登場人物や作品世界から滲み出る浮き足立った感じや空虚感だと思う。ピンボールが繋ぐ「僕」と「鼠」と、69年~73年という「時代」の機微。やはりジャームッシュやヴィム・ヴェンダースに似た匂いを感じてしまうなぁ。☆☆☆☆
村上春樹さんは今の私にはあわなくて、けど興味ある先生のオススメだから初めて最後まで読みました。 ピンボールの話は面白いけど鼠の話はまるで分からない。
毎度ながら鼠の生き方に自分を重ねてしまって公平な立場で読むことができなかった。初秋の朝のような柔らかさがあった。あるいはそれは海のせいかもしれない。そして双子はとても可愛かった。
「僕」と「鼠」の話がパラレルに進む構成。著者はこの頃から既にこの手法を用いていた。1章から17章までは奇数の章が「僕」偶数の章が「鼠」で規則的な交互展開構成だったたのに、17、18章と突然連続で「僕」そして20、21、22章で再び三連続で「僕」、「鼠」は23、24章で連続となり終わる。この物語後半の不規則性は一体何を暗示しているのだろう。 ピンボールの歴史を語る場面、大学講師のくだりは非常に興味深く読んだ。
風の歌を聴けが「夕暮れ」だとしたら、これは「夜明けの近づいた夜」っていうイメージ。もちろんこれだけには括れないけど。
困ったことに要約すると「ある朝、僕が目覚めるとベッドには双子の女の子がいて……!?」というお話になってしまうのですが、本当を言うと特に困りません。もちろん双子萌え。
ピンボールネタが新鮮だった。ほんの数回しかしたことがなく、記憶もおぼろげでだが少しやりたくなった。双子がかわいい。ピンボール台との対話はなんとも不思議な気分にさせられた。秋も終わりですね。
長い間積んでましたがやっと読みました。鼠と僕の話が交互に進みます。夏の終わり~秋にかけてのもの悲しさがしみます。後半はピンボールがいかなるものかよくわからりませんでしたが(カービィーのピンボールしかしらない)なんとなく流行がすぎさったの物悲しい感じは伝わってきました。次は羊を読む予定。
今の季節に読んで正解でした。秋の雰囲気を感じることが出来ます。あとは会話が素敵、特に鼠とジェイの話は心に染みてきました。正直『風の歌を聴け』を読んでさっぱり分からなかったので、村上春樹は敬遠してたのですがこの一冊は良かったです。次は『羊をめぐる冒険』読んでみたいと思います。
情景が頭に浮かびやすい、乾いた感じ?どこか皆が壁1枚隔てるのかなー、比べてピンボール台との会話は読んでて一番暖かみがあった
急に春樹が読みたくなって、別になんでも良かったのだけど久しぶりに手に取った一冊。家にいるときは単行本で、外にでたときは文庫本で読んだ。不思議と数年前に感じた程の衝撃はなかったが、とことんキザで洗練された文章は感傷的な情景描写にぴったりはまっていた。羊やダンスに比べてキャラクターの魅力に些か欠けているのが個人的な優劣の付けどころか。
いゃあ、久しぶりに読みました。技巧的すぎる気もするけれども、何と言うか、もう説明をする時間よりも読んだ方が明確な気がする。そんな、喪失の物語。そして、僕は、この物語をかでとしてあらゆる現実に向かい合うべきだと思う。それが、僕たちの時代の責任だと思い知らされる。いゃあ、久しぶりに読むと、そう思いました。多分、あまりにもロマンティックなんだけどね。
1973年のピンボールの
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