新装版 虚無への供物(下) (講談社文庫)
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新装版 虚無への供物を追加
新装版 虚無への供物の感想・レビュー(380)
一気に読了。アンチミステリだとかそう言った理屈抜きで面白く、凄い小説でした。こりゃ間を置いて再読する必要がありますね。理解できてない所もありますし。ヒロイン?の言動には苛々させられたなぁ(笑)
一年越しの再読。推理合戦は流石良く出来てるな、と改めて思う。美しい文章に加えて、薔薇やシャンソン等の多くのパーツに幻惑され…。そしてラストに内包されたメッセージ。手の込んだ推理小説の体を取ってるからこそ、このメッセージは強烈な印象として残る。"虚無への供物"とは、やはり素敵すぎる。また読みたい。
知り合いが次々と亡くなっているのに悲しみが感じられず、推理くらべをしているのは人としてどうなんだろうと思っていたので蒼司の最後の台詞はうなずけました。人の言葉を遮ってまで自分の推理を披露する久生、全てわかっているのに何の説明もしない牟礼田は嫌いです。
無知からの愚かしい悲劇ではなく、…純粋な悪、悲劇らしい悲劇を…。それは1954年から遠く離れた今では当たり前の顔をしており、それでも変わらず踞っている黒影でもある。…この実在は可能性の中の、ひとつの可能性。…読了。
今から56年前の、日本はかなり陰惨である。現実と非現実の境が曖昧なそんな時に、氷沼家で起こった連続殺人事件を、素人探偵たちが解決しようと試みる。推理小説や海外小説をギミックも多くそれによって犯人像を狂わされる。日本探偵小説史上の三大奇書とよばれるだけあって、あっと思う展開と複雑に組み込まれたシナリオに引き込まる作品だった。
作者自ら「反地球での反人間のための物語」と称するほど、現実と非現実が奇妙に錯綜し、読者を翻弄する。それはさながら胡蝶の夢であり、フィクションとしてミステリを愉しんでいる自分とは一体いかなる存在なのか――そんなことを考えた。この名状し難き読後感、“推理小説を内側から克服しようとした試みであるだけに、再読、三読に耐えるそのバネが抜群にいい(「解説」)”とのことで、今後繰り返し読むことであるいは表現可能になるかもしれない。
上巻では久生が好きになれなかったのですが、下巻では牟礼田が好きになれませんでした。本当にここまでしないと、止められなかったのでしょうか。自分の中でうまく消化できず、納得できていません。アンチ・ミステリーだってことは、よくわかりました。
さも重大な発見をしたかのように見当外れの推理合戦を嬉々として繰り広げる探偵達と、犯人の悲しみとの対比が印象的でした。探偵達が半ば無理矢理こじつけた暗合は当然事件にあまり関係なく、シンプルな結末を迎えたのは満足なのですが、犯人の動機までが何となく的外れなのがいまいち腑に落ちないと言うか、スッキリしないと言うか…。
ミステリに駆動されるミステリ。作者の思惑に関しては終盤にかなり明確な説明が入るのだが、その中で探偵役の態度について全く反省がないのはまあ狙ってやってるんだろうなあ。
「奇書」を読むのも、この「虚無への供物」で三作目なのだけれども、ここにきて何となく「奇書」の共通点のようなモノが掴めた気がする。例えば、「本格ミステリ」は最後にすっきりと爽快な読後感が味わえるモノであり、しばしば「ゲーム」を「クリア」したときのソレに近い楽しみ方が出来ると思うのです。さらにそれを発展(アレンジ)したモノ、「メフィスト賞作家の作品群の一部」もそうであるように思います。(ただしグロだったり、鬱展開となると爽快感とは違う気も)読んだ後のモヤモヤ感、つまりこれこそが「奇書」なのでは?
こんなオチかぁ…結構ガッカリだ。わりと全体に予想通り(あの人とあの人の告白とか)だし、御見物衆うんぬんも「いまさら」感は否めない。動機も予想範囲内だった…もう少し詩情溢れたものを期待したのだが。たぶん、発表当初の衝撃はこの時代に読んでいては感じられないのでしょう。ヒッチコックの『サイコ』みたいなものなんだろう。時代が育んだ奇書、ってとこかな。再読はないと思う。
下巻は一気に読めました☆純文学的な印象だったかな('◇')ゞ まさに十人十色な捉え方ができる一冊ですな。 個人的にはすごく好き。いろいろ考えさせられる話だったな。 五色不動や薔薇の色、シャンソン、アイヌの話等々、絡み合うのが面白かった。ラストも良かったと思う。なにげにあとがきもよかったな。
奇書・推理小説・反推理小説のどの側面から見ても、楽しめる作品でした。上下巻を通して、第4章の序盤に最もハラハラしてしまったのですが、作者の掌の上で踊ってしまったようで、ちょっと恥ずかしいです。読了後、何が事実で何がそうでなかったのかが分からなくなってしまいましたが、その分あれこれ想像できるので読んだ後も楽しめます。
☆5 蒼司の最後の言葉にはっとさせられました。推理合戦は面白かったですが、本質をねじ曲げてしまっていました。ニュースや身近な出来事…今の私達にも言えることですよね。"虚無への供物"の意味がようやくわかった気がします。上巻は読むのに疲れて止めようかと思いましたが、読んでよかったです。
幾重にも入れ子構造になった構成である上に主観と供述を元に組み立てられる真実が、ページを逆にめくるたびに新しい扉を開き、ワンダランドへの深みへ 引き摺り込む。長編にも関わらず読み返しながら一気に読んでしまった。傑作。
真犯人の告白によって事件が縮小する(ように見える)とき読者は、長い小説をここまで読んだ徒労感に駆られる。犯罪があったことを「期待したのに」と。しかし、この作品のラストはその「期待」をこそ見事に糾弾する。鮮やかすぎて二の句が継げない、これは素晴らしいアンチ・ミステリーだった。騎士道物語を好きながらパロディ化した「ドン・キホーテ」と同じ熱意の書であり、同時期に詩を書くのを野蛮と言い切った精神にも通ずるようだ。
ふ~、なんとか読了。三大奇書のひとつであり、アンチミステリーの代表作とのことだが、自分には今一つピンと来なかった。まだまだ読書力が低いなぁ~。はやくレベルアップしたいが、再読する気になるには、かなりの時間が必要。
お不動。コルデルの赤薔薇、マックレディの青薔薇、メイヤンの黄薔薇。コアマン・プチ・コクリコ、ムッシュウ・ルノオブル、ルナ・ロッサ。重要そうな情報に攪乱されて、随所に散りばめられたヒントを気持ち良い程見逃していた。一番優秀な探偵は藤木田老とさせていただく。
ああだこうだと繰り広げられるもどかしいばかりの ズッコケ推理合戦に一体意味はあるのかと読み進んでいたが、 その意図が明らかになった時にハッとさせられた。 大変面白くもあり、うーんと首をひねることもあり、最後にはため息ひとつ。 なるほど、アンチミステリーか。
上巻読了は時間がかかったんだけど、下巻は一気読み。犯人がわかって、なるほどな~といろいろと納得。ウンチク盛りだくさん、みたいなイメージがあったんだけど、最近の、うんちくてんこ盛りミステリを読んでいると、そうでもないかな~という印象。ちょっと一度、読んだだけでは、上手く感想が書けないな。時間をおいて、再読してみようかな。
厚さの割には時間がかかったが読了。周囲の人間があれこれ推測して本質を狂わせる…身近な出来事に通じるものがある気がする。下巻も上巻に負けずにあれこれ脱線していくが、よくこれほどの知識や教養を蓄えられるものだと感心。
周りが盛り上げまくったせいで、自分がしたこと以上の事態になり収集がつかなくなった印象。
このお話の「真犯人」はあまりに身近で、この本が発行された当時に読んだ方々も背筋がひやりとしたのではないかなあ、と思いました。また読み返す時には「真犯人」を意識して読みたいです。
再読です。悪趣味なことだが探偵は事件を自分の物語として書き換え、犯人すらそれを促す。関係者を顧みずに事件を本来、事件とは関わりがない自分の物として弄ぶ化け物を私達は飼い馴らしていることへの警告も知らしめている。あの人物の告白にその人の最後の矜持が伺えて泣きそうになります。この作品があったからこそ、「私達、読者こそが犯人である」と題を撃った作品(深水氏のデビュー作や「クリスマス・テロル」)も生まれたのですね。
ミステリ読者の品性を問う作品。なぜ読者もまた犯人なのかといえば現実を非現実に歪めてしまうからなんだろう。ミステリより過酷な現実を直視しないのが冒涜ということだろうか。「現実が想像(ミステリ)以上の地獄だ」という感覚は隔世の感があるが「現実を弄ぶ悪趣味への批判」のメッセージは今なお色褪せない
上巻にでてきたさまざまな事象がこうくるか?ああくるか?とキリモミさせられたあげく、こんなところに落としてくるなあ、と。途中にああ、そうだよね、と納得した部分は、ではなくて~と話は続く。ヨソノ世界で行われる読みもの、と一般の推理小説が思われているなら、この本はそれに対して問題提示をしているような。ネタバレさせたくないので、曖昧な記述ではありますが、まずは読んでほしい一品です。三大奇書の中では読みやすいし。それに新装版にはたくさん解説ついてますし。
あらま。これは傑作ですね。こういう意味での「アンチ・ミステリ」なら大歓迎。殺人を望む読者もまた犯人の一人であると。京極夏彦の推薦文がまさに的を得ている。終わった瞬間に全て始まるのだ。「ザ・ヒヌマ・マーダーは、いわばあたしが、自分のために作った物語ですもの。よくって?」
反推理小説、だそうです。いろんな人が誤った推理を展開しまくって、翻り続ける上巻。かなりイライラがつのりました。「毒入りチョコレート事件」を思い出しました。下巻は一気に読めました。犯人の動機はやはり「?」でしたが、それもあえて、なんでしょうかね。久生さんがやっぱりトンチンカン・ツンデレキャラで笑えた。鉄格子の内と外、という所と、推理する者も読者も、犯人である、という所が印象的でした。
何故、三大奇書と言われているのか、よくわからない。ドグラマグラと比べるからダメなのかもしれないけど・・・・・・30年前にはすごい作品だと言われるのもわかるけど、現代ではたいしたことないなぁ、って思う。アンチミステリィっていうのは、わかるんだけど、もう少しほかのやり方もあったのではないだろうか。
新装版 虚無への供物の
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感想・レビュー:109件














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