ファミリーポートレイト
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ファミリーポートレイトの感想・レビュー(1263)
全体的に暗くて、気軽には読めない。だけど終わりには救いが見出だせる。桜庭さんのパワーというか、物語る事に対する情熱が迫ってくる小説だ。
恋人を作るのは非常に簡単で、愛することは非常に難しいと教えられた気がする。魂を削って書かれた小説。私も日本語が好き。5時間ぶっ続けで読むことに没頭してしまった。
『私の男』が父と娘の歪んだ愛情ならこちらは母と娘の歪んだ愛情の物語。良い意味で気持ち悪い。でもギリギリのところでエロスやグロテスクにならないのは桜庭一樹の筆力故だろうか。第一部が圧倒的な世界観だったから段々尻下がりだった気がする。連れ戻されてからの駒子は何だか気の毒だったし。駒子の語る話の世界観は好きかも。解って登場人物が出てくるけど、この人は『ばらばら死体の夜』の解と同一人物かな?2012/092
なんともいろいろと解釈ができる内容。意見も分かれそう。まこ、こまこの関係を肯定的に捉えるのと、否定的に捉える二つに分かれるのではないか。まことこまこの関係はもはや宗教だと思う。まこという神を拝めるこまこ。この関係によって、二人の逃亡生活は成り立ったと思う。後半は、神がいなくなってこまこが他人から助けられながらも独立していくお話。最終的には作家になったんだけども、真田がいうように社会人になったら社会の歯車にならなくてはいけない。これをなかなか受け入れられないまこ。私も真田の言葉には、どきりとしてしまった。
親を追う駒子、親としての眞子。眞子と駒子の関係。眞子に振り回される駒子、しかし眞子の影響を受ける駒子の関係が読んでて辛かった。
椎名林檎のような世界観。ケイティ・ペリー聴きながら読んだけど。文学とは、小説とはこうあるべし!みたいな桜庭さんの姿勢が見えた。ような気がした。
ちょっと長いな~と感じながら読み続けた。この前に『いつもの朝に』を読んでたから家族愛の作品が続いたけど、全然違うタイプだった。そこまで「ママのために」自分をなくせるのはなんだろう。ラストは個人的に今一つストンと落ちなかった。ちょっとファンタジックで、「嫌われ松子」や「かたつむり食堂」みたいな演出で、頭の中で映像化してた。桜庭本、もう少し読んでみようかなぁ。
桜庭作品は自分的に当たり外れが激しい。私の男がも〜ドストライクだったから殿堂入りしちゃってて他が霞む…。これも私は合わなかった。誰にも感情移入できずただ難解な人の独白を読んでる気分でした。結末がなんか陳腐だったよ。現代版シンデレラストーリーかっていう。
他人には理解できない関係があっても良いかもしれない。不健康で、脆さを孕んでいるからいずれ壊れてしまうだろうけど。第三部が一番、嘘っぽかった。
2012-9 私の男 次に ファミリーポートレート と 読んだので 密なる肉親と一体化してどろどろ溶け合うような濃密な愛憎の描かれ方に ただただ圧倒されてしまう 娘をもつ母として読むと 共感と恐怖を同時に覚える
おとぎ話みたいで、夢中になって読みました。
主人公駒子は不幸な境遇で育ったかもしれないけど、いつの時代も誰か(または何かに)愛されていたんだなぁ思った。
何よりも作者に愛されている主人公だな…と感じました。
なんでここまで母親を慕えるんだろう・・・煙たがられて、暴力をふるわれる事もあったのに。母の眞子が死んで、遺された駒子は脱け殻のように生きる。まるで母の幻影に取り憑かれているよう・・・。最後に呪縛から解放されてよかった。母親との絆を大事に、多くの観客に物語を語ってほしいと思う。
自分の中にある強い感情を、書くことで昇華させていく駒子。彼女が物語を作ることができたのは、その複雑で困難な人生だったからというだけでなく、作ることで生きる意味を見つけられる人間だったから。生きることって、多種多様なのねー
重たい話なんだけどもずるずると読み進めた。母親が消えたところから一気に読むスピードが落ちたけど、それでもページを捲る手は止まらなかった。つまりはそういうこと。
単純に楽しいとはいえない作品だけど、駒子と眞子の苦しさの描写にとても引き込まれました。真田先生の「幸福から立ち直る」という表現も納得。ただ途中からすこーし長く感じてしまったかも…
第一部は母娘の旅のお話ですこぅし不思議な感覚でした。まるでファンタジーを読んでいるみたいな。母の為だけに生きるコマコ。母の神のコマコ。第二部では旅が終わって、急に現実に落とされたような生々しさがありました。都心とか。そして、今度はマコが神になって。だけど、やっぱりコマコはマコの為に生きているみたいで。最後の最初なファミリーポートレイトには、ぐっと来るものがありました。(なんだか、作家になってからのコマコが作品を書く描写は、桜庭さんを彷彿とさせました。)
これは現代社会問題をテーマに扱った、されど時事小説ではなく文学である。母娘問題というとても重いものを扱っているのに、桜庭さんの手にかかればどこか浮世離れした、物語という不思議なふわふわしたものになるから流石。で、ラストでわーっと一気に現実味を帯びて、どしんと心に落ちたところでページが終わる。後に残るのはとてつもない充足感…。今回はその鍵のひとつが駒子が言葉を発することだったのではないかとかあれこれ考えて物語の世界に浸りっぱなし。
情念を書かせたらこの人の右に出るものはいない、と改めて思う。闇の中から伸びる腕に搦め捕られた体を切り裂かれる様に読み進める前半と渇きと飢えに苛まれ足掻く後半。上手い組み立て。
桜庭さんにとっての物語って、駒子がバーで語ったり、原稿用紙に向かって書いたりした物語みたいなものなのかなと感じた。フィクションの中に自分自身のことを織り込んでいくところとか。
小説と言うよりノンフィクションを思わせるような女性の半生。ドロドロと底のない沼地をゆく感覚で話が進んでるのか進んでないのかわからず、途中で読むのを止めてしまいたくなった。それでも最後まで読みきったのは語彙の豊さにある気がする。身の内に潜む泥臭い熱情を的確で新鮮な言葉で描いているのでグッと心臓を鷲掴みにされた。明るい話ではないけれど、挫けそうな時に読みたい小説だと思った。個人的総合評価4。(最高値5)
『私の男』では、父と娘の歪んだ愛情関係を描き、この作品では、母と娘のやはり歪んだ愛情関係を描いている。多分、常人から見ると異常な関係であり、異常な生活ではあるが、当事者である駒子は限りない幸せを感じている。『幸せ』とは、人によってまちまちであるし、定義されない、定義されてはいけないものだと、感じた。読み応えがあり、面白かった。
GOSICKつながりで読んでみました。軽い話だと思っていたらそんなことはなく重たい内容。母との逃避行の話が、東京に出てからの駒子の人格にしっかり影響を与えていたのがよかった。作家になったのも、温泉や豚肉処理の町で演じていたのが影響したんだと思う。最後の、『これが、あなたとあたしの、いっとう最初のファミリーポートレイト!』の部分は感動しました。
親子の素晴らしさと悲しさでお腹いっぱいになった。マコとコマコが旅は、おとぎ話のよう。二人の間には、何ものにも変えられぬ愛が確かにあった。おもしろかったけど、後半はない方が好きかも?
なんど読んでもページをめくる手はとまらない。駒子はとても普通とは言えない生き方をしているのに、キスやセックスなんかは平均的というか、ずれてる、ということもなくて、人間の本質的な部分を見た気がした。駒子にいつまでもよりそっていたい。
母と娘の愛憎を、赤朽葉や私の男に通じる視点で書き上げた長編。桜庭氏の作品が愛憎をテーマにしていても重すぎることがないのは、作者自身が作品の中からではなく、どこか別の視点から眺めているから。小説というより物語なのだと思う。読む側と書く側の論理の違いも深くうなずけるものがある。
僕はこの本を読んだことを、この作者と巡り会えたことをとても嬉しく思っている。この作者の描く作品は、いつでも僕を夢中にさせてならないのだ。
はじめは「八日目の蝉」と同じにおいがしたけど・・・途中から大化けしたかんじ。てか同じ扱いにした自分が恥ずかしい。。。第2章は正直なくても話は完結できたんじゃないかな・・・・・・・と思う。
「もし人生を最初からやり直せるとしても、あたしはやっぱり、何度でも、マコの娘として生まれたかった。幸福になんてならなくていいから。幸福とは堕落かもしれないから。あの人とはぐれた後の余生が、ただの長い悪夢であってもいいから。マコは、コマコの神・・・。あたしはいつまでもいつまでも狂ったようにママだけを愛していた。」 愛と幸福はイコールではないんだな。 コマコのマコに対する歪んだ愛に泣きそうになる。 八日目の蝉の作家角田光代さんが解説を書いてるのもまた良い。
まさに桜庭先生自身がのたうち回って、ゴボリゴボリと産み出したかのような迫力ある作品でした。産み出すコトの苦しみと、その元になってくる、ヒトとの繋がりといった環境について考えさせらました。
母と娘、10年にも渡る流浪の旅。 駒子、20年に渡る文字の旅と葛藤。 文字の羅列に酔ってしまった部分が多く、読むのに疲れてしまった部分があった。文字の洪水が凄まじく、父と娘を描いた私の男より趣旨が少し分かりにくいように感じた。
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