もの食う人びと (角川文庫)
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もの食う人びとの感想・レビュー(484)
世界のリアルを知った。日本は本当に恵まれた国だと思う。安心、安全なこの境遇に浸っているのではなく、厳しい情勢の国々に対して手を差し伸べたい。この本を読んで世界に助け合いの心を持てる人が一人でも増えてくれたら良いなと感じた。
いやー重かった!タイトルからして私の大好きな食エッセイかと思いきや、大間違い。各賞受賞したドキュメンタリーだったのね。こんなに思い内容なのに、いやみにならないのは、筆者の目線がとってもやわらかで思いやりに満ちたものだからだと思う。チェルノブイリに関する記事にいたっては・・・。まさか筆者自身もこれが数十年後の日本になるとは夢にも思わずに書いたに違いない。みなさん、ぜひ読んでみてください。
食を通じて、世界でこんなことが起こっているのだ!と、あくまで事実に基き冷静に語っている本。バングラデッシュの残飯ビジネス。フィリピンでの旧日本軍による人食い事件、韓国元従軍慰安婦の話、ソマリアの国連平和維持軍と現地の人たちとの食生活の大きなギャップ、チェルノブイリ原発。。。どれも衝撃的な話でした。
顧みられない人びとの暮らしの様子を、食という視点で書いた本。内容的には相当えぐいはずなのに、あまり読後が悪くないのは著者の文章が上手いせいか、生々しさより表現の綺麗さが目立つためぐいぐい読める。しかし、改めて各話を思い出すと、ただ死なないために食っている人びとの話だ。何一つ希望はない。
チェルノブイリ事故から8年後、立ち入り禁止区域での生活。再読して衝撃だった。あの時とてつもなく高く感じた場所の空間線量は、1マイクロシーベルト/時。8年後とはいえ、その数値を思っていたより低く感じる今。放射能のわずかな知識しか持たないお年寄り。自生きのこ、山の果物、貯水池の魚…食事は検査1つ受けていない。汚染されていることは理解しているが、他に食べるものもない。世界はぐるぐる繋がり合っている。だからと言って、チェルノブイリのその先を、福島へ繋げる必要はない。お年寄りが警笛を鳴らしてくれている。
食べるということが簡単にできる日本に住まう著者だからこそかけた作品。チェルノブイリのくだりは東京電力福島第1原発事故が発生した日本にとって、もはや他人事とはいえない。放射能に汚染されているとわかっていても立ち入り禁止区域の中で人々は生活し、食べている。生き続けるために、避けなくてはならないはずの汚染された食べ物を食べなくては今日の命を保てないジレンマ。幸運にも経済的に豊かな日本だが、それを当たり前だと思ってはいけない。食べること=生きることであるのに、それすらままならない人々が世界には五万といるのだから。
1992年末~94年3月に取材・執筆、93年3月より1年間共同通信より配信された連載企画を加筆修正、単行本94年6月、文庫97年6月刊。発表当時に読んでいたら取材先の状況に圧倒されてお終いだったかもしれない。今読んで感じることは、著者の取材方法からかいま見えてくる当時の日本のずれっぷりのいたたまれなさ。「世界ではこんなものが食べられています」と紹介しそれを食べてみせるなんてグルメ番組そのもの。でもそれが一番理解されやすい方法だったのだろう。取材が進むにつれ、そういうわざとらしさが薄れていったことが救い。
「外部世界との有機的関係を避け」「音抜き、におい抜き、手触りなしの資料写真」のようにものごとを見ているおれも、いずれこの著者のように「ビニールハウスふうの無菌、無風空間から世界を眺めているのがついに嫌に」なるのか。そして自分の足でもの食う人びとを見に行くのか。それはまだわからない。
少しずつ読んでいてやっと読み終わりました。食べるという行為から世界を見ていくと、そこから見えるのは・・・。という本でした。いい本にまた出会ったなという感じです。
人にとって根源的な行為の一つである「食べる」という行為から、世界中の人々の「生」に迫った圧巻のルポルタージュ。よくぞここまで調べて食って書いたものだと感心する。とくにチェルノブイリのくだりは、もはやひとごとでは済まされないだけに、危険と言われても帰ろうとする人々の姿には呆然とするしかない。読んだ後、自分はこの世界を前にしてどうすればいいのか、どうしても考えてしまう。自分に出来ることなんてたかがしれているからこそ。
15年ぶりぐらいの再読です。そのときに受けた衝撃が蘇ってきました。まあ、衝撃が蘇ってきたということは、15年間、世界の貧困や諍いを意識せずに生きてきたということでもあるので、人というのはなんと忘れやすい悲しい存在なのかと、自分のことながら反省しました。でも、毎日毎日、苦しんでいる世界各地の人達のことを思いながら生きてはいられないですけどね。それもひとつの現実。超おすすめ!必読の書でしょう。
もの食う風景があることすなわち、そこに人間がいることである。そんな当たり前のことを強く印象付ける素晴らしいルポ。ところどころにドキッとするパッセージが現れるのもスリリング。そしてふたつのあとがきの切実さに涙した。
世界中の「食」に自ら触れてみた著者の目的は、先進国の飽食を非難するでもなく、飢えている人たちへの憐憫でもない。飽くまで、あらゆることに無感動、無反応になってしまった自分へのショック治療をすべく「食」に焦点を当てた旅だ。でもこの本を読み終わって思うことは、日本に生まれてよかったなぁってこと
「食事をする」というのではなく「ものを食う」という、凄まじくも悲しい人間の生への欲求が胸を打つ。また、その国の歴史や不遇な境遇を背負った人々の生きて来た証が、ものを食った記憶の中に脈々と生き続けていることも興味深い。自分の食の記憶を紐どきたくなった。
世界各国の様々な食に関する話と聞けば、グルメ評論かと一見思ってしまうが、もちろん、そういった内容の本ではない。言葉では言い表す事が出来ない強烈な書。作者が作中で食い、味わうということに人が傾ける驚くべき集中力について触れた事があるが、まさにこの書は、驚くべき集中力で食するように読んでしまった。この書が出たのはもう数年前となるが、色褪せず、今でこそ読みたい本となった。食べる事は元々作物が持っている何かを全てではなく一部「いただく」事ではあるが、この作品も食べるという行為を読みながら、その世界の一部を頂く
衝撃を受けた。テレビや新聞で知った事件も、学んできた歴史も『食う』という視点を与えられることによって、にわかに現実のものとして胸に突き刺さる。翔さんが二十歳の誕生日にマネージャーからプレゼントされたという本書。当時泣けないことを悩んでいた彼も泣いたという。何度も繰り返し読んだという。彼から遅れること9年。読んで良かった。
辺見さん、凄過ぎる。どんな状況下でも食い続けるしかないという人間の基本的な視点からレポを続ける。おかしくて悲しい。教科書には載らないような、思わず目を背けたくなるような事実を私につきつけてくれました。平和な電車の中で、食いついて読みました。全日本人におすすめします。
飽食の国家に身を置きながら、迫撃砲の恐怖に曝されることもなく、この本を紐解く。満員電車の中で。食を軸に据えることでルポルタージュに一貫性と堂々とした目的意識が確立された。
衝撃。テレビからは知ることのできない真実。日本は「食」に恵まれていて、衛生面も整っていて…日本の良さを改めて実感した。それでも、エチオピアの小さな村の喫茶店のコーヒーは飲んだみたいと思った。
発展途上国と先進国との食の落差が心に突き刺さるな。片や飽食で廃棄されているのに、一方ではストックはおろか今日の食べ物さえ無い。しかし各々が当たり前のように、その土地や文化として受け入れ、ものを食らっていく。印象に残ったのは作業者の給料より高級な猫缶。ロシアの放射能まみれになった農作物。戦争時のマニラでの人食い。命を繋ぐために寄食であって寄食で無いものを今日も食らっていく。
★★★★☆しょっぱなから残飯を食べる話なので、食事中の読書にはオススメしません。世界各国の美味しい料理が紹介されるわけではなく、戦争、飢餓、貧困の匂いがかなり強い。加えてチェルノブイリや慰安婦、つい先日新聞に載ってた日本兵による戦時下での人食など、日本人には突き刺さる話が多い。世界規模で見れば、日本や欧米の飽食の方が異常なのかもしれないと思った。
「食べること」を通して世界や戦争や飢餓を見つめている作品。とはいえ、よくある「戦争はいけないよ」系の本ではありません。人肉のエピソードと、世界一うまいスープのエピソードが印象的でした。食が飽和しきった今、日本人が知らなくてはならない事実なのでは、と考えさせられました。これを読んだら、食べ残しなんて出来なくなります!
「食べる」という行為は、人種や性別、国籍や宗教を超越した、人間の根源的活動であり、食事の風景にはその人間が所属する世界が赤裸々なまでダイレクトに反映されてしまう。それがゆえに、「食べる」ことそのものから隔絶されたソマリアの少女の話にはひどく衝撃を受けた。彼女の背後に広がるのは、人間性を失った虚無である。
食の背景にはその地方の風土があり、歴史があり、社会状況があり、その人の人生があるんだなあということをしみじみと感じる。会ったこともない世界中のもの食う人びとに思いを馳せるのはとても楽しい
「食」のルポルタージュの金字塔的作品。なかでも「禁断の森」チェルノブイリは衝撃的です。「少なくとも千年は居住に適さない」(p266)。この記述を日本人が現実感を持って読むことになるとは、著者でも想像すらできなかったでしょう。結果的に著者の意図をはるかに超えた迫真のルポになっています。
不朽のルポです。食べることは人間の根本的な問題であり、そのことを十二分に意識した辺見さんだからこそ描くことができる世界です。美食の時代から食の安全性が問われている時代、いずれの時代にせよ、現代の私たちに問いかけるテーマがこの本には溢れています。
この本に描かれているのは、「もの食う」ことではなく、「人びと」であった。どの話も胸がいっぱいになってしまう。行き場のない感情がつもり積もって、しかし、やがて消えてしまう。そんな自分を軽薄な、その場限りの思考しかできない人間だと責めてしまう。重たい。読むときはそれなりに身構えたほうが良いだろう。
著者が出会う世界各地の食べ物、そしてそれを取り巻く人々の悲喜こもごもは食がいかに人間に寄り添っているかを否応なく見せつけられる。本書に登場する食べ物は時に食欲をそそられるものから吐き出したくなるもの、そして不味さすら噛みしめたくなるものと様々である。他方で、著者が時折見せるもの食う人びとへ浴びせる浅慮や無根拠な楽観、怠惰な思考に憤りを感じずにはいられなかった。だがそれは著者と同じ日本という食べ物や情報に溢れた国にありながら漠然としか生きていない自分自身に向けられたものだったかもしれない。
「グルメ?美食?」そんな食に関する修飾を吹っ飛ばす描写が満載の本。食うという行為は、生命活動の維持のための個人的な行動であるにもかかわらず、社会の影響を極めて受けやすいという、二面性を見せつけてくれる。今回、改めて読んだのだけど、時期が時期だけにチェルノブイリ付近の村での「諦めで疑いを乗りきる」暮らしの描写がやり切れない。惨禍に見舞われた日本が、今後の食をどのように扱っていくのか、意識していきたいと思う。
【再読】今この時期だからこそ読み返そうと思った。事故後8年目に訪れたチェルノブイリのルポ「禁断の森」に震えた。飽食の時代と言われた当時の日本だが、もはや以前のように安心して食べ物を口にすることはないだろう・・。
裏表紙を読むと飽食の日本に対する警世の書と受け止められがちだが、本書はそれほど単純ではない。貧困・内戦・制裁・原発事故…、その中でなす術のない弱者たち。それでも食べる(=生きる)人びとの憤慨・悲哀・諦観を我々はどうすることもできない。
高校の教科書で読んだときからいつか読もうと思っていた本。そのときは序章の「残飯を食らう」だけ読んだきりだったけど、こりゃ、ほんとに「序」にすぎねーぜ。その先の長い物語のなかには、目をそむけたくなるような「他人事」がたくさん。「食」という限定された視点から、なんて広い世界が見えてくるのだろう。こりゃ、すごい。んで、初めて読んだときから忘れられない「地上ゼロ・センチの必死の調理。」の一文はもはや名言だ。
もの食う人びとの
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