侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (岩波文庫)
侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的なを読んだ人はこんな本も読んでいます
侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的なを追加
侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的なの感想・レビュー(83)
02/03:shibaba
芥川は頭脳明晰ですね。明晰すぎて自分の創作力の限界に気付いてしまう。そしてそれでも自分の思想を残そうとアフォリズムという形を選択したのでしょうか。私には彼のいう無力や虚しさが痛いほど分かる。いいじゃないですか。真実は無力ですよ。正しいことは決して胸を熱くしません。けれどもそれで肩を落として座り込むのではなく、自分を肯定して歩むことこそが、私たちを熱くさせるのではないでしょうか。そう思わずにはいられませんでした。
01/01:竜崎
11/30:k
11/03:粉
自殺するときに残した「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」という言葉へどうやって行きついてしまったのかとか、ぼんやりした不安がどういう不安なのかとかが、この本を読めばうっすらわかると思う。 動物園にいる孔雀よりも玄関先にいる猫にぼくは愛着を持つのです。っていうのが、ああ、芥川らしいなって何かホッとした。
「文芸的~」を読みたいがために購入。谷崎との論争の中身が気になり、読もうと思った。論争から始まり評論。芥川の詩や俳句に関する考えに触れられる良い機会だった。谷崎の方も読もうと思う
「侏儒の言葉」というのは芥川龍之介の当時持っていた思想をアフォリズム形式で書き連ねていった作品。数百年前書かれた「ラ・ロシュフコー 箴言集」を連想させるが、それは専ら人間性について書かれた作品である一方、こちらはそれよりも多種多様な分野を取扱っている。 記述文は、慧眼による鋭い洞察で得られたものである一方、更に芥川の皮肉・厭世観の風味も加わり、人間の無力さを嘆いているかのよう。それにより昨今流行の格言集みたいに、胸を熱くさせるようなものではない。良くも悪くも古典の醍醐味であるといえる。
09/09:サトル
08/16:ねこすけ
08/07:ウィト
08/02:AR
07/05:Doubly
芥川って実は優しい人。作品は隙がないけど、さすが昔は生徒を愛した先生で、恥ずかしくなるような励ましやら、信じているやらエールやら、温かい人なんだと気づいたら、涙が出ます。私も古今東西、まずは書物を読んでいきます。
侏儒の言葉は中二のときに読む用。文芸的な、のほうは時代の空気を感じられるが、文芸を志していない自分にはけっこう退屈。大学生の暇なころに読んだら通読できたかもしれないが、今はこれを読みきる時間はない。
04/25:camelletgo
04/25:若尾好き
82点。実際読んだのは、『侏儒の言葉』とセットになっていない講談社文庫版『文芸的な~』。「『話』らしい話のない小説」についての谷崎潤一郎との論争で有名な本作だが、それ以外にも古今東西の小説、小説家を語る部分も面白い。言及される小説のほとんどを未読だったため、その論旨を深く理解できなくて悔しい。それでも、通俗小説と芸術小説の違いなどは、現代の、純文学とエンタメ小説の区分けについても流用できそうで興味深かった。だがこの作品で白眉なのはそのタイトル。「~な、余りに~な」は思わず真似たくなるキャッチーなフレーズ。
04/02:門前照二
03/31:Jokers38
03/29:slip001
02/17:yingtai
01/13:cots
12/23:藍鼠
人間的な、あまりに人間的な箴言集。芥川の人間観、人生観や社会観を堪能できる。多くの小編で物語の先に深く広く淀んだ人間世界を感じさせる芥川、この箴言集は小編の基点となるアイデア集のように読める。短くて数文字あるいは1~2行、長くて2頁位のテクスト、短くして既に可笑しな悲しい芥川の世界。それぞれの先に物語が広がったのだろう。または、これから着手する長編小説の骨子とも読めるか。「歯車」で吐露しているように彼には推古から明治に至る長編小説の構想があった。「言葉」はその物語に埋め込まれる一里塚だったのかもしれない。
10/05:bisukoboy
09/20:ふぃでりお書店(@fiderio)
08/17:くわすく
学部での研究テーマとして再読。『改造』誌にて当時のものを読むと一層感慨深い。谷崎「饒舌録」と併せて読まれるべきものではある。確かに、芥川には、「話」らしい話のない小説を書く才能はないのだと思い知らされる箴言集が「侏儒の言葉」である。そして僕の文芸観を大きく揺るがせたのが、「文芸的な」である。余りに弱々しい最晩年の芥川が、却って愛おしくも見えてくるのである。
04/14:まっ
侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的なの
%
感想・レビュー:26件














ナイス!














