プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)
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プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神の感想・レビュー(244)
A 名著ゆえ、現代社会を論じているかのような指摘が多い。「天職」や「勤勉」といった、今なお理想とされる概念にはキリスト教プロテスタンティズムの教義が背景にある。所有物を欲しそれを無頓着に享楽することを禁じながら、勤勉を命じる。結果、富のみが増え続け、資本の形成を促す。物という目的を失った資本の蓄積は、その資本を運用するようになる。資本主義の精神が形成されるや否や、宗教性を失ってもなお資本への熱のみが残され、「精神のない専門人、心情のない享楽人」が生み出される。既得権を守ることばかり考える大企業をも貫く論考
もともとキリスト教に対する意識が強かったためか、読むことが全く苦とならなかった。論文のタイトル通り、ヴェーバーが論じようとしていることは明白であるし、話の筋道は分かりやすいくらいだ。強いて言うなら、キリスト教諸派に対する整理された知識があった方が理解がしやすいことは確かだ。ヴェーバー自身は同じ事、最も重要で解き明かしたいことを何度も明確に論じているし、決して論自体がわかりにくいものではないだろう。
全然分からなさすぎて笑った。ホントに。まぁ資本主義は諸悪の根源だって思ってたけどどうやらそうではないってことは思った。まぁホントによく分からんかった。
【★★★☆☆】一文の長さ+注釈の多さからくる読みにくさと背景知識のなさによる理解の及ばなさが半端ない。が、最終章は確かに感動的な名文もちらほらと。先に目を通した解説が丁寧且つわかりやすかったのは大いに助かりました。歴史の逆説と言われる「世俗的禁欲」から「近代資本主義の萌芽」が生まれた論理は一応抑えられたが、その前提などがさっぱりなのでまた日を改めて読み直さないと。
半分くらいまで読んでよく分からなくなったので一気に飛ばして解説を読んだら少しだけ分かったような気がした。でも、自分にはキリスト教の知識はほとんど無いし、自分自身キリシタンでもない。基本的には無宗教な日本で生きてる為かあんまりしっくりいく答えは得られなかった。一見背理するようで実は密接に関係している「宗教」と「経済」。その関係性を見つけたんだからやっぱりウェーバーは凄い
長年読まねばと思って手が出なかった本。プロテスタンティズムの禁欲が、資本主義としての富の蓄積に結びつくという弁証法的な人間生活のあり方に関する考察は、タネが分かっていても知的興味に溢れている。全体の論旨は明快なのだけれど、キリスト教史に疎いせいで、論旨の背景にある「納得感」のようなものを共有できないのがもどかしいかな。ちなみに本文よりも長い注は重要なところ以外は全てスキップ。ときにプロテスタントと全く関係が無いにも関わらずプロ倫の残した「鉄の檻」に絡め取られた日本人に救いはあるのだろうか。
プロテスタントの分派や歴史、あるいは当時の論壇の傾向など、事前知識が足りないためによくわからない部分もあったが、思った以上に読みやすいと感じた(もとが少し気負いすぎていたところもあるが)。解説も非常に丁寧。世界史などで紹介されたときのこの本とは全然違う印象を受けて面白かった。
少々読みづらい文章が続くが、訳者がことわっている通り、ヴェーバー自身の癖であろう。経済史的な観点からの面白い点はたくさんあるが、何よりもここで学ぶべきは、ヴェーバーが使う「倫理」(エートス)という言葉の深さだろう。我々が普通にイメージする倫理という言葉とはだいぶ違う。「行動様式」や「行動を規定するもの」としての側面が強く、「私はいかに行動するか」という点は強調されていないのが印象的である。その点でも非常に面白かった。
資本主義発達の原因を単純な資本蓄積に求めた当時の学説に対する反論として書かれた本書。ヴェーバーは、宗教改革、特にカルヴァニズムの発達によるエートス(行動様式)の転換が資本主義の精神をもたらしたとし、その過程を詳細に分析する。エートスの転換による社会構造の転換、これはパーソンズの構造ー機能分析にも影響を与えており、現在の社会理論を理解する上でも欠かせないものである。また、ヴェーバーは本書の最後でニーチェを引用し、富の蓄積に伴う宗教的信仰の低迷に警鐘を鳴らしており、現代文明を考える上でも示唆的である。
再読。僭越ながら言わせてもらうけど、ヴェーバー自体は文章下手な気がする。論文独特の心地よいリズムが感じられない。訳者の大塚久雄は丁寧な脚注をたっぷりすぎるくらいつけてよく頑張っている。
歴史の多元性を示し唯物史観に対抗した、ウェーバーの比較宗教社会学研究の原点にして最高傑作。その教義においてもっとも偏狭な宗教であったカルヴィニズムが、共時的に最も普遍性を持つ資本主義イデオロギーを生み出すに至ったことは興味深い。やはり宗教社会学は面白いと感じた。
経済について追究していく際に、敢えて宗教といった別の側面から問題を考えているのが革新的。個人は神と一対一で契約を結んでいるため、集団よりも個を重視し、刻苦勉励・財の蓄積が推奨されるようになった。
よりによって禁欲的で儲け主義に厳しいプロテスタントの世界で、なぜ資本主義が芽生えたのか?現代資本主義の礎は、まさにその禁欲的な隣人愛から芽生えたとする画期的な論考。非常におもしろかった。「隣人愛」の実践が労働の自己目的化に結びつき、節約の推奨と浪費に対する嫌悪が、利潤を投資に向かわせた。この労働&節約→利潤増大→投資というスパイラルが資本主義の萌芽となったのだと。労働は隣人愛で天職であるとする考え方は、日本的「働く=傍を楽にする」と通じるものがあってさらに興味ぶかい。
概して簡単には読めない。第二章の一などは特に難解で理解できたとは言えなかった。だが、訳者解説が非常に丁寧で分かりやすいので、本文で挫折した方もこちらだけは読んでおくことを強くお勧めする。
本文だけ読むとあまり理解できない。解説はまあまあ。日本の経済発展も勤労の精神があったからかと。呉智英『封建主義者かく語りき』双葉文庫でプロ倫のパロディ的記述があり,これを読むとプロ倫の内容がよく理解できる。評価4
[大学]「社会学理論」 略称「プロ倫」というとプロレス倫理調査会みたいな名前だが、資本主義の形成過程と、「プロテスタンティズム」が密接に関わりがあったという理論を描き出した社会学の基底を為す一冊
ウェーバーの代表的著作。普段、我々が気づかずに浸かっている資本主義とはいったいどういうものなのか、どこからきたものなのかといった事を解き明かしていく。言われているほど難解に書かれているのでもなく、また訳者の丁寧な解説もあり、非常に良書になっている。
一度、通読したが難解! ただいかに資本主義の発達にプロテスタンティズムが関係したかはなんとなくわかった。やはり神学を或る程度修めないといけないなぁ。またいつか挑戦しよう。
一文を抜き出せば、「読者はここでいま一度、この論稿の冒頭で引用したフランクリンの小論を読みかえして、その個所でわれわれが『資本主義の精神』とよんだあの心情の本質的要素が、さきにピュウリタンの〔天職意識に由来する〕職業的禁欲の内容として析出したものと同じであって、ただフランクリンのばあいには、宗教的基礎づけがすでに生命を失って欠落しているにすぎない、ということを見とどけていただきたい」(p.364)というところが大筋になりますでしょうか。
カルバン派の禁欲主義がいかにして資本主義を駆動させるエンジンとなったか、あるいは他の禁欲主義がなぜエンジンと成り得なかったかの話。そしてエンジンが空になった後の世界にも軽く触れている。面白い。
思い切って読んでよかった。議論が刺激的でとにかく面白い。著者の議論は正しいと思うが、注釈がやたらに多く、議論が複雑なこともあって、反論や誤解も多いのだろう。それに、プロテスタントの教派について余り知識がない人には、それだけでも難しいと感じるのではないか。私もその辺が分かりにくくて、読みにくく感じた。大塚久夫の解説も丁寧でよいが、事前にプロテスタントの教派についての簡単な知識があればもっと理解しやすくなったのではないかと思う。もう1~2度読めばもっと理解が深まるかも知れない。
己が神によって救われる特別な人間であると証明するためには、世俗の誘惑を断ち切って職業労働に専念すべしと説く禁欲的プロテスタンティズム。一方で営利活動に専念し富を獲得することが救いのしるしとなり、他方で徹底的に消費を抑制する。その結果蓄積される富は、当然浪費されるのではなく、資本という形で営利活動に還元される。これが資本主義の興りとなった。この説の是非はともかく、社会的な事象の根源をさぐるという、社会学の基礎的な視点を学ぶ入門書。
キリスト教の細かな宗派の知識がなく難しかったけれど、理解できた部分はとても面白かった。もっと理解できたらあの結末の美しさ、論の成る寸前の迫力をもっと味わえるのかもしれない。また時間を開けて読みたい。
疲れた。明らかに本文を読んでいた時間より注釈を読んでいた時間の方が長い。内容?あれだ。一見背反する宗教と経済という内容を連関させて考えたのは凄いんじゃね。百人くらいがもう言ってそうな感想だが。
一応本書で言わんとしていることは授業で聞いたことがあることだったが、その論証が実に緻密かつ周到で、本文だけならまだ理解できる気がするが、注も併せて読んだら、すっかり混乱してしまった。いずれ、読み返そうと思う。解説が丁寧でよかった。
近代資本主義の成立をの原因をプロテスタントの世俗内禁欲に認める。その眼のつけどころ、関連の持たせ方は名著と呼ばれるのにふさわしいと思う。しかし、それが正しいのかどうかという客観的評価を下しえないということにやはり社会学の限界が存在していることも確か。
既にこの論考の示すところは否定されているらしいが、実際にどの点を否定されて最終的にもどの程度の変更があったのかは知らない。プロ論はあくまで一資料。
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神の
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感想・レビュー:53件














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