生物から見た世界 (岩波文庫)
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生物から見た世界の感想・レビュー(149)
『環世界』という概念が面白い。それぞれの生物にとって世界はどのように『在る』のか。『ジョジョの奇妙な冒険』には、二本腕から放たれた『無数の拳』が相手に同時に殺到するという描写があるけれど、あれはきっと一秒間に18回以上拳が放たれてるからいっぺんに当たったように見えるのだろうなと思った。
色々なものに応用可能な考え方であると思う。人間中心、自分中心になりがちな「世界の見え方」を新しい軸でとらえなおすことを教えてくれる。みなそれぞれに環世界(Unwelt)を持ち、それぞれの仕方で世界をとらえている。かつ、その際に重要なのは、それが「何か」ではなく、「何をしてくれるか」である。まさにそのことによって生物は結びついて世界をなしている。客観的世界とは、せいぜいそのような「かたまり」にすぎないのかもしれない。最初の50ページ、最後の20ページだけでも大体内容は理解できると思われる。
生物の見ている世界というと、動物の種によっては色の見え方が違う?くらいにしか考えたことがなかった。自分の想像してた彼らの見る世界が、こうまで違うかと驚かずにはいられない。よくある「世界を見る目が広がった」レベルを更に超えた「世界を見る目を見る目が広がった」体験をさせてもらった。序盤は馴染みのない単語に戸惑ったが、構わず読み進めるうちにゆっくり理解が追いついて、終盤にはしっかり楽しめた。挿絵は理解の助けになるだけでなく、手描きの味わいがあって、数も多くて良い!
環世界という概念が新しくて興味深い。人間やイヌなどの動物は脳が足を動かしているが、ウニやダニなどは外的刺激によって、動物自身が動かされている。この刺激をうけてから行動までのフローチャートが環になって完結する、これを環世界と呼ぶ。単純な動物ほどこの環世界が単純になる。ものを認識することを◯◯のトーンという説明をしているのだけれど、これもなかなか。貝にとっては敵となるヒトデのゆっくりした動きには反応するが、それ以上早い動きには反応しない。反応する必要がないからだ。序盤やたら難解だけど後半はさらさら読める。
客観的記述も認めるが、自らの意識に現れてくるありよう、「環世界」を無視することはできない、といった態度は、現象学や実存主義との関連を追ってみるとおもしろそう。
冒頭の環世界についての哲学っぽいお話が難解で、う〜ん、何だかわかったようなわからないような…と思いながら読み進めていくと、事例の数々が面白く、結局「環世界」ってなんだったのか、ちゃんと解らないままだったけど、実りある本でした。訳者が解説で「人々が『良い環境』というとき、それはじつは『良い環世界』のことを意味している。」と書いてられる。そう、そう!と、共感。なるほど、環世界って、そう使われてみると、ちょっと納得。
意味の理論の追求によって、生物学の新境地を開拓していた。世界は生物ごとで多様に変容するという事実は人間を一生物として相対化できるという考えに繋がると思う。生物学には疎いので、言い回しを理解するのに時間がかかった。
ハイデガーとのつながりで木田元先生が紹介されていたので、文庫で見つけて嬉しかった。内容もユニークな挿絵も実に面白い。客観的な「環境」から各生物ごとの「環世界」を切り取るという視点が興味深い。もっと細かいレベルなら、同じ環境に生きてる人間でも立場毎に環世界が違うと言えるのかも。大人になった時、結婚した時、あるいはケガや病気をした時、それぞれ周りの見え方や暮らし方が変わるし。他人ならなおさらか。 経験に基づかない「魔術的」という考え方も、なるほどと思った。
ヒト科の生物は言葉を持ち、意味を保存・表現し、身の丈以上の世界を表象できる。ではほぼ触覚的なダニはどうか?木の上でじっとして、他の生物の温かさを感じると皮膚に落ち、血を吸い、卵を産み、落ちて死ぬその時空は、ヒト科の生物には想像もつかない。ユクスキュルは生物が各自の感覚から世界を作るとし、それを「環世界」と呼んで視聴覚に偏ったヒト科の思い描く「環境」と区別した。<私>の環世界は閉じている。<あなた>とは関わらない。もし関われるとして、この<あなた>に人間以外も含まれるなら「環境」という考えは変わるはずだ。
何も食べずに18年間生存しているダニのエピソードを読んでそんな動物はかっこいいとおもいました。まぁそんなことが本題ではなくて、生物たちがいかに”独自の世界”を持っているかを記述した本。人間視点で考えると理解できないところを別の生物からの視点で見ると理解した(気になれる)不思議。
これは科学なのか、哲学なのか。「知覚する」「作用する」ということを根本的に考えなおさざるを得ない。蜂にとって世界は星型や尖った図形(=花)とそれ以外で認識されるように、人間を含め全ての生物は、世界を「自分のトーン」でしか理解出来ない。
底本はものすごく昔のものらしいが、この本を幼い頃から愛している日高氏の努力の賜物なのか、少しも古さを感じさせない。あくまで科学の本ではあるが、哲学書でもある。とはいえ、著者の考え方は主観的で科学的なものではないと、晩年まで苦労したようだが。
インターネットな現実世界にも適用できる思考法。科学書としてではなく挿絵つきの科学哲学書として読む。適度にやわらかい翻訳と味わいのある挿絵が環世界という見えない世界を案内する。
主観を重視した『科学』であり、かなり挑戦的な内容である。再現性を伴わない個人の主観をいかに捉えるのかという問題について、昨今の自己啓発本を読むよりも本書を読むほうが勉強になる。
生物が本能で動くと考えるのは自然の設計を否定するための窮余の産物であり、全てが同一の空間で生きてると考えるのは幻想である。手軽に過ちに気づけます
「動物には世界がどう見えているのかということではなくて、彼らが世界をどう見ているかを述べている」という日高敏隆訳者解説に尽きる。想像力ではなしに、積み上げ式叙述に因って。
私たちの見ている世界は外世界からのフィードバックを通して作られた主観的世界であるという本。そのなかで特殊な例としてあげられている、生得的な本能はフィードバックをすっ飛ばした魔術的世界として立ち現れてくると言う話は面白かった。恋愛や音楽や絵画など芸術として称揚されている物もその実は生得的な本能に根ざした物に過ぎないのかしらとかなんとか身もフタもないことも思ったりして。
生物学の古典的名著であり、ハイデガーなど哲学者に影響を与えた「環世界」論を平易に説明した本だが、非常に面白い。マダニから見た(知覚した)世界の説明から始まり、世界(環境)はただ客体としてあるのではなく、いずれの主体も主観的現実だけが存在する世界に生きており、環世界自体が主観的現実にほかならないことを解き明かす。人間や犬だけじゃなく、ダニやウニ、ゾウリムシの事例から。
図書館でみつけて、知覚心理で紹介されてたのを思いだし読んだ◎とても興味深い本!トーンとか環世界とかわかりやすい◎にしてもかたつむりって4回/1秒で一瞬なのか..!
古典科学の部類になるのだが、これはいい。人間の動物への視点を見直すことに必須な本です。環境と環世界との違い・・・・これは目からウロコものです。おすすめです。
「主体から独立した空間というものはけっしてない。」これが人間が持つ誤解の原点であり、最無限遠点なのだろう。君と僕とではこの地球上のありふれた街角の風景すら共有していないのだ。すべてはこの冷たい事実の認識から始まる。
ダニ、クラゲ、カラスに犬に人間、生物の主観から生態系を捉えなおした面白い論文。”死んだふり”はなぜ有効か、盲導犬の訓練は犬にとってどんな意味をもつか、カシワの木のように生物の領域が交じり合うと、それぞれにどのような影響があるのか。魔術的うんぬんはひっかかるけれど、仮説・検証の過程にあるものと思うと興味深い。
生き物個別の観点から世界の在り方を指摘した視点はまさに慧眼といえる。それぞれの生物は彼らの知覚に応じた環境を創りだし、それを世界として生きている。そう考えるならば、自然は各生物たちが創りだした幾百もの世界の集合体である。確かに斬新で、面白い考えであるが、主体中心主義に走りすぎている嫌いがある。さすがに主体無くして客体非ず、とは言えないだろう。個人的な意見としては、大地や地球それに宇宙などは、地球上の生物に純然たる客体足りうる存在だと思うのだが。
◎ 訳者日高敏隆の著作『動物と人間の世界認識』(ちくま学芸文庫)のネタ本。「環世界」という独自の訳語など、日高著作を先に読んでから、この本を読んだ方がわかりやすいように思う。ダニの知覚、ハエが見る世界、カタツムリ・ウニ・ミミズなど各々の環世界から、人間における「探索像は知覚像を破壊する」例等、興味深い話が満載。
それぞれの生物が独自の近くと行動で作り出す環世界に関する古典。その生物にはその生物にとって意味のあるものだけが認識されているという話。絶対的な客観は有り得ず、それぞれの生物の主観により各々の世界が構築されているという事を、具体的な研究事例から挙げていきます。古典と呼ばれる程古いものですが、考え方は今でも新しいと思います。人間の環世界からすると単純に見える環世界でも、確実性においては複雑な環世界を凌ぐというのが、戦略の違いとして面白かったです。作用標識は知覚標識を消去する機能環の話もツボ。《大学図書館》
生物から見た世界の
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感想・レビュー:50件














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