読書について 他二篇 (岩波文庫)
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読書について 他二篇の感想・レビュー(642)
名著。この本は、書き手、読み手をあるべき姿へと導く灯である。文学的視点から、発信者・受信者に求められる要素を抉り出す。情報化社会を迎えた現代においてなお輝きを強める。
本を読むだけでなく、自分で思索することが大事。物を書くときは、自分の知っていることを、明確、正確な言葉で伝えること(文学の話のようだったが、それに限らず文章全般に言えると思う)。どちらも耳が痛かった。他にも、古典を読むべし、本は二度続けて読むべし、など。
150年以上前に書かれた本なのに、現代人に向けて書かれたのではないかと思えるような内容であった。世間では、読書そのものを神聖な行為であるかのように扱い、多読がもてはやされているが、本書を読んでそれが浅はかな考えであると感じるようになった。本論とは関係ないが、ヘーゲルの悪口が書かれている節は他の節と比べてずいぶん長い気がしたのは気のせいだろうか。「全人類の中で最も厚顔無恥な人間、すなわちヘーゲルの徒の手になるヘーゲル報知新聞(以下略)」という文章を読んだ時は思わず噴き出してしまった。
本は読んだ分だけ賢くなる、と漠然と考えていた自分にとってグサリと突きささりました。”読書とは他人の頭で考えることにすぎない。他人の精神から生み出されたものを取り込み過ぎるのは、自分でまとまった思想を生み出そうとする施策にとって有害である”本を読んでも、自分の頭で考えて自分の考えを持たなければ意味が無い。自己啓発本なら行動まで繋がらなければ意味が無い。読むべき本を吟味して、良書を繰り返し読み込むことが大事だと思いました。
多読することに意味を見出さないこと。思索・自分の頭で考えること。良書を反復して読むこと。言葉の低俗化・言葉という文化について。 本は他人の考えた足跡を辿っているに過ぎない。自分の頭で考え、自分の考えを持つこと。読書家を自負する人は読むといいんではないかな。 なんでも自分で考えないとね。そのための材料は必要だけど・・・。
十代の頃から悩んだりものすごく考え込んだりして考えて考えて自分なりに出した結論がこの本の中にさらりと書いてあって驚きました。表題作「読書について」はその通り、読書をする人は一度は読んだ方がいいと思われる読書に対する姿勢の話です。古典とは良いものだから残っている。常日頃から思っていたことが明言されていてすっきりしました。表題作の他2篇も興味深く、考えさせられることばかりで、久々にもう一度しっかり再読しなくてはと思わされる一冊でした。
「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間は次第に自分でものを考える力を失っていく」その意見にはちょっと驚き、そして思い当たる節もあると自覚せざるを得なかった。なぜなら自分は書評で評判の新刊にすぐ飛びついていたからだ。これからは、紹介された本やランキング上位の本も実際に目次と最初の文体だけでもチェックして読むか読まないか決める審美眼を養っていきたい。
読書と思想、文体について、いろいろと考察していました。ヘーゲルの考えを真っ向から否定しているのは、学派の違いからではないかと思いました。この考えに基づいたら、自分は間違いなく愚者の道を歩んでいると思います。
最も価値のある思想とは、自分自身のために思索した思想であり、読書によって得られる思想とは他人の借り物であり無価値(意訳)という痛烈な皮肉を皮切りに全編を通して耳に痛い話が多い。そもそもこの感想を含めてあらゆる感想が、筆者からしてみれば愚の骨頂以下のなにものでもないと切り捨てられると思う。もしこれを逃れるものがあるとするならば、人に向けて書いた感想ではなく、自分に向けて書いた感想だけだろうなとは思う。本当にそれが出来るのなら、こうやってネットにオープンには書かないのだろうから、既に頓挫しているわけだけれども
けっこう流し読みをする私にとって、ところどころにチクリと刺さる言葉が。読書はただ読むだけではいけない。思索して自分の考えを持つことが重要だ、とショウペンハウエルはいう。内容の多くが、母国ドイツの国語の乱れを嘆いている。間違った文法の使用、著者が楽したいがための文の省略。しかも、それが研究論文や新聞でも見られる。彼はそれを痛烈に批判している。読者も、新刊にすぐとびつくのではなく、古典・名作を読めと推奨している。そのような悪本(新刊)は時間とお金の無駄であり、買わないことが良いと。
なんて新しい本なのだろう、という印象。誰だ彼を悲観主義等という言葉の檻の中へ投げ入れたのは!暇つぶしの読者についての痛烈な批判や、繰り出されるアフォリズム的文体は、後のニーチェにも影響を及ぼした。彼の鋭い批判に対しての「解釈」が悲観主義だったというように思う。この本の最も言わんとすることは表題の「読書について」で簡潔に述べられているのですぐに読みたいのならそこを読むのがいいと思う。名著。
歯に衣着せぬ物言いが清々しくて気に入った。沢山の比喩を使いこれでもかと訴えかけられ、幾度かドキッとさせられる部分があった。自分で思索することを心掛けたい。
再読。前回は読書をはじめたばかりのころに読んだので、今回の方がよりこの本の意図するところを痛烈に感じた。他の二篇もあわせて、時代の逆風がショウペンハウエルにこのような文章を書かせたにしても、これらの見識はとても刺激的。
読書は、他人の思索の跡をなぞり書きする行為に過ぎない。一日のほとんどを読書にあてる人は、他人に頭の中を明け渡しているのだ。お金のために書いている著者の本は買うな。など、厳しい言葉で思索することの重要さを訴えています。
P7「もともと愚鈍で~」の一文が突き刺さる。ある程度大衆的な本読んで読書にはまり、さあ古人の作品も読んでみるかと思い手に取ったこの本でそんなこと言われちゃ。彼の著作から読書始める人って現代には中々いないでしょう。P49で匿名批評家を批判する下りを読んで、昨今のネット社会に彼が生きていたら間違いなく発狂するだろうな、と思ったり。
よくもまあこれだけ悪態、罵詈雑言を語るものだと感じつつ、読み進め、これぞ悪書(?)と思いきや、いやいやどうして、さにあらず、頷けるところ、共感できるところ、多々あり、始末に終えない。流石、アフォリズムの天才、ショウペンハウエル氏。哲学者、文章家としての、思索、書物、読書に対する理想の高さがなせる箴言だ。後の読書本で本書が引用されている理由が分った。また、訳者「あとがき」の、ショウペンハウエル愛好者の北大の坂井尚夫先生とのエピソードも興味深かった。特に心に響いたところを、2つ、コメントに。
Gotoran@灯れ松明の火
②「読書について」>>p138:「反復は研究の母なり。」重要な書物はいかなるものでも、続けて二度読むべきである。それというのも、二度目になると、その事柄のつながりがより良く理解されるし、すでに結論を知っているので、重要な発端の部分も正しく理解されるからである。さらにまた、二度目には当然最初とは違った気分で読み、違った印象を受けるからである。つまり一つの対象を違った照明の中で見るような体験をするからである。
ナイス!
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11/09 22:31
②「読書について」>>p138:「反復は研究の母なり。」重要な書物はいかなるものでも、続けて二度読むべきである。それというのも、二度目になると、その事柄のつながりがより良く理解されるし、すでに結論を知っているので、重要な発端の部分も正しく理解されるからである。さらにまた、二度目には当然最初とは違った気分で読み、違った印象を受けるからである。つまり一つの対象を違った照明の中で見るような体験をするからである。
ナイス!
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11/09 22:31
読書家vs思想家の対比、比較≠客観的把握は新鮮な視点だった。(引用⇒仮にも読書のために、現実の世界に対する注視を避けるようなことがあってはならない。P16)。ここで読書とは統計も含むと思う。政治や経済は統計の数値や過去の“経済学”などを根拠に判断をするが、「現実の世界への注視」はつねにお座なりであると感じざるを得ない。150年も前に指摘された愚が、現代において新鮮どころか痛烈に人を苦しめる。読んでいて苦しみと悲しみが同時に襲ってくるような、良書。
表紙の文には読書についての批判の本とも取れる内容のことが書いてあったが、実際は読書について、というよりは思索についての著者の思索を書いた本と言う方が正しい。著者は決して読書を否定している訳ではなく、世間大勢の読書法、つまりは書いてあることをそのまま著者の言葉通り反復するような読み方を批判している。この手の本を読むと陥りがち的な逆説的な事態、つまり自分の頭で考えない読書はダメだ、という著者・・・ 続きはこちら→http://jin1987.seesaa.net/article/232254489.html
「読書について」「思索について」「著作と文体」の三編を収録。凡人をこきおろした辛辣な文体がやはり彼の特徴である。どのエッセイにも共通しているのは、頭の卓越した人というのは、紛い物の借り物ではない、「自分の思想」を持っているということである。これは闇雲に本を読むだけでは手に入れられず、また持っている人とそうでない人には、文体にも大きな違いがでるものとしている。収録三編の内、表題の「読書について」が一番身に染みる。逆に「著作と文体」はドイツ語や当時の出版状況に言及しているため、前半部分だけでも十分だと思った。
☆7 ショウペンハウエルのこの毒舌が好き。その対象に僕も入っているんだけど、見事にバッサリ切るからむしろ気持ちいい。それにもちろん、納得出来ること多数。全部で三編からなるけど、一冊を通して一貫したものが伝わってくる。読書は未知を知るのに役に立つけれど、そこで得た知識は所詮他人のもので、自分の知識・思想としては、役に立つどころか足を引っ張りかねない。ショウペンハウエルは文学を、小説から哲学書まで広く捉えて語ってたし、現代の多様な書物には通じないところもあるかもしれないが、この一冊は念頭におくべきだと思う。
読書によって蓄えた知識で自らを耕すこともなく、ただ乱読しているだけでは成長はない。誰かの思想に触れ続けるために読書をしているのではなく、新たに得た思想を以て、それを自分なりに噛み砕いて、その後自分と向き合っていくのが大切である。ページの割に読む時間がかかるのは、それだけ文章が緻密だということだろうか。あと、ショーペンハウアーさんの人をディスるボキャブラリーの数は素直にすごい 笑
彼が著作や文体といったものにこれほどまでに感情を表すのは、当時の、まだ一般化=大衆化していない出版という文化が知の現場そのものだったからなのだろうと推測する。無意味だと自覚しつつ言うが、彼の定義を利用すれば、現代日本のハウツーやラノベのような書物は言うまでもなく、それらを含めた全著作の99%以上は死滅する(笑)。文化が上から下まで浸透することで、本来の高貴さが漸進的に俗化・堕落するのは必然。だから現代において彼の論理がどれほど通用し得るものであるかは個々人の判断に委ねられるべきであろうが、得るものは多い。
なんだかずーっと立たされて叱られているみたいな感じがしました・・・。読み手としても書き手としても。おおむね正論なので言い返せないし。現代にも持ち込める論理なので読み継がれてきたのでしょう。活字中毒者で濫読派の私には耳が痛かったけれど、やはり良い本にめぐりあえてきた自分も少しは信じてやりたいと思います。読書する時間は思索からの逃避ではないし。
考えなしの読書を批判しているのであって、多読自体を批判してはいない。精神的食物も食物と同じで摂取量の50分の1ほどしか栄養にならない、という点は身につまされる。ぽんぽん繰り出される毒舌が可笑しい。
当時のドイツの言葉遣いに対する痛烈な批判が続きますが、今の日本語にも通ずるところがあると思いました。こき下ろしっぷりが激しくて面白い。多読が及ぼす害悪についても説いていたけど、そこまでたくさん読んだ人だからこそ言えることだろうなぁ。読むことは他人に考えてもらうことで、大事なのは自分で考えることというのを意識して読むべきだと感じました。
「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく」という表紙の文章を読むだけで十分な一冊。「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間と力には限りがあるからである」という意見自体には同意するが、嫌悪対象に異常な精神リソースを割くことで多大なる時間を浪費したであろう著者にこんなことを言われても微妙。「著作と文体」は完全に不要だと判断したので、切り取って罵倒術を学習中のSの人に献上したい。「本を読む本」オススメ。
この本を、読書に限らずメディア論、つまり情報を伝達する媒体と、思考との関係を描いたものとして読んでみる。すると、この本で言う読書には、TVもネットもラジオも全て等しくしっくりはまることに気づかされます。まさしく、情報を他人から受け取るとは、多かれ少なかれ他人に思考を預けることだという、プラトンの文字論並みに最も原理的、古典的なメディア批判の原型がここに見出だされるのです。自分自身の思索をする時間はますます少なくなっています。そうした意味でぼくはこれを、原理的で辛辣な反メディア環境論として読みました
受動的な読書になってる気がしたので読了。なるほどと得る物があったが、どうしても賛同できない事がちらほら。それを含めてこの本の魅力ではないかと思う。余談ではあるが、著者の度重なるヘーゲルへの批判が微笑ましかった。
PHP研究所版で一応既読。PHP研究所版は新訳ということで読みやすかったが、「編者が重要と思ったこと」を抜粋するという編集方針がそもそもショウペンハウエルの精神を無視していると言わざるをえない。それに対して岩波文庫版は、PHP研究所版で省かれていた箇所(そこにも興味深い言説がいくつかある)も読めるのでおすすめ。
近年のビジネス書・MBAブームなどで多読・速読がもてはやされているが、量を読んでなんぼと思っている方や勝間、本田らに影響されて自分の目に入った部分だけを読み漁るような読み方をしている人に熟読させたい本。「一日を多読に費やし勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく」。衝撃的すぎる一文だと思う。確かに本を読めば読むほど考えた「気」になっていることが多い。かと言って、考えてみるとその先には他者の優れた説が待ち受けていたりする。常識のごった煮となってしまう。しかし思索することを止めてはならない。☆×5
読書について 他二篇の
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